(文・都築響一)
「鬼一家」と名づけられたヒップホップ・ユニットを率いる「鬼」は1978(昭和53)年、福島県いわき市の小名浜に生まれた。今年33歳になるラッパーである。
父親は会社勤め、母親は喫茶店を経営しながら、フォークソングを歌う歌手でもあった。
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「家にはカラーボックスに2段ぐらいレコードがあって、俺が小学校1、2年生のころかな、家に帰ってもだれもいないから、ヒマを持てあまして、レコードを聴きだしたんです。妹がひとりいるんですけど、5歳下でまだ小さかったから、おばあちゃん家とか保育所とかに行ってたんで。初めて針を落としたのが上田正樹の『悲しい色やね』でした(笑)。いちばん最初に詞を書こうかなって思うようになったのも、ジャニス・イアンの『スターズ』を聴いて、それの影響ですもん。」
6歳で小学校に入学してから12歳で卒業するまでに、彼は小学校を2回変わっている。小名浜一小、二小、三小。いずれもいわき市内の、3つの小学校に転校を重ねるという、イレギュラーな少年時代の幕開けだった。
「同じエリアで転校というのは、気分的にも荒れますよね。喧嘩とかイジメとかも受けるし。理由は……おふくろが新しい男つくったってこと。離婚して、新しい男が来て、生活変えて、また別れてって。そのたびに学校が変わって(笑)。おふくろも生まれ育ちが小名浜のすぐ隣町の泉っていうところなんで、やっぱり地元で育てたいという思いがあったんでしょうね、いまから考えると。
だから小学校時代は、いい思い出ないです。サッカーやってたんで、あんまり家にはいなかったし。そういえば小学校5年のときでした、最初のCD買ったのは。ほんとは買ったんじゃなくて、万引きしたんだけど(笑)。マイケル・ジャクソンのベスト盤と、本田理沙の『いちごがポロリ』。そのときはいちごが乳首だなんて、知らなかった。そのあと小6ですね、ジャニス・イアンの歌詞カードを読んで、いろいろ考えるようになって、(自分でも)ちょっと書いてみたいと思い出して……結局、書いてないけど。」
同じ市内で転校を繰りかえす不安定な毎日は、中学生になってもまだ変わらない。
「中学は一中(いわき市立小名浜第一中学校)に最初行ったんですけど、そこから今度はいわき市内の平三中に転校して。これもまためんどくさい話なんですが、おふくろのところで親父が……あの人は何代目だ?(笑)、4代目のお父さんとソリが合わなくて、まあ暴力も受けてて、それで中2の1学期で(もともとの)親父のほうに行ったんです。」
続きは本誌にてお楽しみ下さい。
福島県いわき市の小名浜出身のMC。ソロでの活動の他ヒップホップ・ユニット「鬼一家」のリーダーと、元犬式のDrum Kakinuma、The Funky PermanentsのBassの3パースバンド「ピンゾロ」として現在東京を拠点に活動中。哀愁を帯びたディープな現実を淡々と剥き出しの言葉に現した数々はドロ臭くも心に沁みる。
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2008年10月鬼一家名義でのアルバム「赤落」をリリース後一躍注目される中、人生で2度目の刑務所に入る。獄中でしたためられたリリックを元に作られ2009年にリリースした「獄窓」もスマッシュヒット。その後2011年4月ミニアルバム「湊」をリリース。