JR山田線

 明治学院大学教授原武史さんのゼミ旅行に同行して、三陸沿岸を駆け足でまわってきました。原ゼミ13人の学生(女性11人、男性2人)に新聞社、出版社など記者・編集者9人が便乗参加、久慈から気仙沼まで1泊2日という強行軍のバスツアーでした。
 午前中に盛岡駅に集合した一行は、日本屈指の閑散路線JR山田線の快速「リアス」で宮古へ。三陸鉄道北リアス線の列車に乗り換え、通常運転よりかなり遅い速度で走る気動車で小本へ。駅前で待つバスに乗り込んで、バスツアーがスタート。まず島越駅へ向かいました。

三陸鉄道北リアス線 /JR山田線 <投稿日:2011年09月26日>

 大槌湾には2つの川が流れ込んでいる。ひとつは前回紹介した大槌川。大槌の惨状を後にして山を越えると、また惨状が目の前に広がった。鵜住居(うのすまい)川が大槌湾に注ぐ河口付近にできた平野部が鵜住居地区。ここは釜石市内である。築堤上の線路が消え廃線跡のようである。鵜住居橋梁を渡るとすぐに鵜住居駅。中世に鵜住居氏の居城がここにあったことから、この地名が残っているという。印象に残る地名である。駅は瓦礫の集積で何がどうなっているのかわからない状態だった。

JR山田線 <投稿日:2011年07月07日>

 車がトンネルを抜けると破壊された町が目の前に広がった。大槌川の手前海側の新港町では自衛隊が瓦礫の整理にあたっていた。その向こうに山田線の築堤から線路が斜めに落ち、切れているのが見える。大槌川橋梁の橋桁はすべて消失。東大地震研による津波の測定値は12.7mである。何もかもが破壊されている。

JR山田線 <投稿日:2011年07月04日>

 参考図書をふたつ紹介する。ひとつは昭文社『東日本大震災 復興支援地図』。B4版に津波被災地域を中心に編集してあるので、重宝している。津波浸水範囲に網掛けも施してある。売れ行き好調とのこと。山田湾に面している駅は前回紹介した陸中山田と織笠。取材時、織笠と次の岩手船越を割愛して先を急いだため、写真がない。その織笠は『鉄道ジャーナル』8月号が写真入りで紹介している。写真ではそれが駅かどうかわからないほど破壊されている。吉村昭『三陸大津波』(文春文庫)を持ち出すまでもなく、記録を残すことはメディアの最重要の仕事である。ファンの視点で記事を掲載することの重要さを『鉄道ジャーナル』の誌面は伝えている。

JR山田線 <投稿日:2011年06月30日>

 山田線が盛岡から陸中山田まで開通したのは1935(昭和10)年のこと。線名に冠されるほど重要な町である。その中心に陸中山田駅がある。津波と火災。これ以上の惨状を思い浮かべることはできない。この惨状があまり話題にならないところが、この大震災の被害の深刻さを表しているとも言える。

JR山田線 <投稿日:2011年06月27日>

 山田線の盛岡~宮古は、今回の震災で不通になった線区のなかでももっとも早く運転再開した区間である。鉄道ファンなら誰でも知っているように、列車本数が極度に少ない。北リアス線と山田線の取材では、盛岡から山田線のライバル「106急行」バスに乗った。国道106号線は山田線に沿って宮古に達する。新緑の沿線に目を奪われ、列車に乗れば楽しめない鉄橋をいくつも見て感激する。バスに乗って山田線を見直す皮肉なことになった。

JR山田線 <投稿日:2011年06月23日>

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