このブログは、三陸鉄道北リアス線島越駅を紹介して以来、南下してきた。実は今回取り上げる鹿島臨海鉄道は、大震災取材として最初に訪れた場所であった。地震の起きた3月11日は、「日本鉄道旅行歴史地図帳」11号の編集を終え、12号九州に取りかかっているところだった。その12号を編集しながら、「東日本大震災の記録」の企画を練り、ようやく取材に出ることができたのは、地震から1ヶ月半が過ぎた4月下旬であった。
地震の取材を始めるにあたって、まず鹿島神宮にお参りに行こうと考えた。それは震災報道が東北に偏りがちなのが気になっていたこと、鹿島臨海鉄道の情報がほとんどないことなどが動機となっているが、まず地震を鎮める神社でもある鹿島神宮をお参りしておきたかった。
鹿島神宮に行ってみると、鳥居がなかった。本震で傾き、余震で倒れたとのこと。やはりたいへんなことが起こっていると実感さられた。雨が降り、参拝者もほとんどいない鹿島神宮を後にして、鹿島臨海鉄道に沿って奥野谷(貨)方面へ行く。道路横の空き地にコンテナが置いてあるのが見え、物置代わりに使用しているのかなと思ったが、よくよく見るとあちこちにコンテナがあり、道ばたにもある。これは津波で運ばれてきた海上コンテナであった。
神之池付近の線路を跨ぐ歩道橋に上がって見た光景は一生忘れないだろう。どんな力がかかると線路がこうなるのか。起点の鹿島サッカースタジアムから13km付近。ここには廃止になった神之池(貨)があったところだ。線路のすぐ横にある公園の芝生にも大きな亀裂ができていた。
倒れた鳥居と曲がりくねった線路に遭遇した取材初日の衝撃は、その後津波で激しく破壊された鉄道を取材した後でも、忘れることはできない。こんな光景は二度と見たくない。
鳥居がなくなっていた鹿島神宮 撮影/編集部 4月23日
望遠レンズで強調されてはいるが、凄まじい歪み方であった 撮影/編集部 4月23日