2011年09月

 原武史さんが「絶景」と強く推薦していた万石浦を見に行ったのは、2009(平成21)年6月だった。石巻線沢田付近から浦宿まで、万石浦の静かな水の風景を堪能し、浦宿で降りて「撮り鉄」も楽しんだ。その足で女川まで行った。どん詰まりの終着駅には、鉄道ファンを惹きつける魔物が住んでいる。
 大震災の数日後、新聞に載った女川の写真を見て、戦慄した。駅に停車していた列車の1両が丘の中腹にある墓の上に横たわっていたのだ。駅施設はホームを残してほぼ消滅し、ホーム横で温泉施設の休憩所として使用されていたキハ40も、駅から数百メートル離れたところに無惨な姿で横転していた。

石巻線 <投稿日:2011年09月29日>

 明治学院大学教授原武史さんのゼミ旅行に同行して、三陸沿岸を駆け足でまわってきました。原ゼミ13人の学生(女性11人、男性2人)に新聞社、出版社など記者・編集者9人が便乗参加、久慈から気仙沼まで1泊2日という強行軍のバスツアーでした。
 午前中に盛岡駅に集合した一行は、日本屈指の閑散路線JR山田線の快速「リアス」で宮古へ。三陸鉄道北リアス線の列車に乗り換え、通常運転よりかなり遅い速度で走る気動車で小本へ。駅前で待つバスに乗り込んで、バスツアーがスタート。まず島越駅へ向かいました。

三陸鉄道北リアス線 /JR山田線 <投稿日:2011年09月26日>

 今回は自社メディアの宣伝をさせていただきます。小社には「@バンチ」という月刊コミック誌があります。来月10月から三陸鉄道を題材とした連載が始まります。「東日本大震災の記録」マンガ版ということになります。予告編では「マンガ版は三陸鉄道にスポットライトを当て、未曾有の災害に立ち向かう人間たちの熱いドラマを描く」と謳っております。本誌には「ドキュメント 乗客の証言」のページでタイトル通り地震発生時三陸鉄道の列車に乗っていた乗客の証言を掲載しておりますが、マンガでは乗客はもちろんのこと、乗務員をはじめ三陸鉄道の人たちが「あの時」何を考え、どう行動したのかをドキュメントドラマとして描こうという構想です。
 9月21日発売の「@バンチ」11月号では、その予告編が掲載されています。その一部をここに紹介させていただきます。

 気仙沼線最後の開通区間は、1977(昭和52)年の柳津~本吉である。宮脇俊三氏のデビュー作『時刻表二万キロ』の最終章には、開通日の沿線の喜びがユーモアたっぷりに描かれている。それはさておき、この間、陸前戸倉から陸前小泉までほぼ太平洋を右に見ながら走る。それだけに津波被害も大きかった。
 取材中、大きめの石がごろごろしている印象があったのだが、調べてみると陸前横山から陸前小泉まですべて石積みの築堤上にあるのだ。写真はこれまで通り北から紹介する。なお陸前小泉は駅施設が完全に消失しているので割愛、志津川は回をあらためて紹介したい。

気仙沼線 <投稿日:2011年09月19日>

 これまで大きな鉄道橋が流された現場をいくつも見てきた。山田線の第34閉伊川橋梁、大槌川橋梁、大船渡線の気仙川橋梁など。閉伊川橋梁は橋桁10本のうち6本が流されたが、橋脚は流されず、傾くこともなかった。大槌川橋梁は橋桁すべてが流され、一部橋脚も傾いていた。この2つは河口から数百メートルのところにある。気仙川橋梁は河口から3km以上も上流にもかかわらず、橋桁が流失、落下した。
 この津谷川橋梁は河口から2km弱。橋桁すべてが流失し、橋脚もすべて上流側に傾き、鉄筋が剥き出しになるなど無惨な姿となった。

気仙沼線 <投稿日:2011年09月15日>

 南気仙沼から南下すると松岩付近から気仙沼湾に沿って走る。松岩の標高は1.7m、次の最知が2.6mである。地震発生時、この2つの駅間に気仙沼発小牛田行き普通2942Dが走っていた。キハ48×2両。当初行方不明と報道された列車である。この列車のニュースはほとんど聞かなかった。乗客乗務員が避難したのち、築堤上に停止していた車両は、すぐ横の水田に押し流された。
 5月27日、現場で半分に切断され、運び出された。

気仙沼線 <投稿日:2011年09月12日>

 気仙沼線は前谷地~気仙沼72.8kmの路線である。最初の開通区間は1957(昭和32)年2月11日の本吉~気仙沼。支線の南気仙沼~気仙沼港(貨)の開通が1956(昭和31)年4月11日。ん? 日本鉄道旅行地図帳2号「東北」の編集中、この謎を解くのに時間がかかったのを思い出す。解いてみるとそれほど複雑ではなかったが、珍しいケースではあった。

気仙沼線 <投稿日:2011年09月08日>

 大船渡市在住の梅澤直氏から情報と写真をご提供いただきました。下船渡~大船渡に長い間停止していたキハ100系2両。地震当日は盛発一ノ関行き338Dとしてこの区間を走行中だった。築堤の高さは5mぐらいであろうか。津波で床下浸水し、結局廃車に。7月26日、キハ100-38が現場で2つに切断され、28日に運び出された。
 バンダイに「Bトレインショーティ」というユニークな鉄道模型があるが、それを思い出してしまった。

大船渡線 <投稿日:2011年09月05日>

 今日は9月1日、防災の日です。大正12年9月1日、相模湾を震源域とする関東大震災が発生、10万人以上が死亡するという大災害になりました。神奈川県内を走る東海道本線は、地震や地震に伴う土砂崩れなどでたいへんな被害が出ました。被害の様子は「写真サイト」にて駅ごと、区間ごとに写真を整理しご紹介しています。

<投稿日:2011年09月01日>

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