三陸鉄道南リアス線(3)明治三陸津波では津波同士がぶつかった綾里
小石浜の次は綾里。この2つの駅の間にはかつて白浜海岸という臨時駅が夏の間だけ開設されていた。綾里湾の湾奥に位置する白浜海岸は、明治29年の明治三陸津波で津波遡上最高記録(38.2m)を残した。小さな半島の付け根を津波が両岸から襲い、津波同士がぶつかったという。被害戸数296戸、溺死1350人と石碑に刻まれている。
綾里は昭和48年まで国鉄盛線の終点であった。開業は昭和45年なので、明治、昭和、チリの3つの巨大津波時には線路はなかった。津波同士がぶつかったといわれる付近には石碑が建っている。南リアス線甫嶺(白浜海岸)~綾里の線路脇である。今回の津波は駅まで達することはなかった。
かつての白浜海岸駅(臨)付近 撮影/編集部 5月28日
綾里の「明治三陸大津波伝承碑」 撮影/編集部 5月3日
こちらは津波被害の惨状についてより詳しく触れている 撮影/編集部 5月3日
2つの碑はこの線路脇に建っている。線路がわずかに歪んでいる 撮影/編集部 5月3日
綾里駅舎。東北の駅百選選定駅である 撮影/編集部 5月3日
国鉄盛線の終点だった綾里。列車が通わなくなったホームには静寂が漂っていた 撮影/編集部 5月3日
三陸鉄道南リアス線
<投稿日:2011年07月19日>
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