JR山田線(1)流出した第34閉伊川鉄橋(宮古~磯鶏)

 山田線の盛岡~宮古は、今回の震災で不通になった線区のなかでももっとも早く運転再開した区間である。鉄道ファンなら誰でも知っているように、列車本数が極度に少ない。北リアス線と山田線の取材では、盛岡から山田線のライバル「106急行」バスに乗った。国道106号線は山田線に沿って宮古に達する。新緑の沿線に目を奪われ、列車に乗れば楽しめない鉄橋をいくつも見て感激する。バスに乗って山田線を見直す皮肉なことになった。
 区界から宮古まで山田線は閉伊川を何度も渡る。宮古を出てすぐにまた閉伊川を渡る。第34閉伊川橋梁。これが最後の閉伊川渡河。川はすぐに宮古湾に注ぐ。海側には新旧の道路橋があり、両方とも津波に耐えたが、上流側の山田線の鉄橋は、橋桁が半分流失した。この区間の開通は1935(昭和10)年。


6本の橋桁が流失した山田線第34閉伊川橋梁 撮影/岩城徹雄氏 3月30日


手前が旧宮古橋、その向こうが山田線の橋梁 撮影/岩城徹雄氏 3月30日

 写真は宮古在住で元国鉄JRの運転手岩城徹雄さんの撮影。一見廃線跡と見紛う。前日とこの日は岩城さんの車で案内をしていただいた。宮古から磯鶏に海沿いの線路はめくれ上がって柵のようになっていた。


めくれ上がった線路(宮古~磯鶏) 撮影/岩城徹雄氏 3月30日

 津軽石は宮古湾の奥にある。地震発生時、14時46分発宮古行きの2両編成の列車が上りホームに停車中だった。


乗客は駅員の誘導で避難。駅舎は床上浸水したものの、ホームとともに大きな破損はなかった。


押し流された気動車 撮影/編集部 5月1日


津軽石駅待合室 撮影/編集部 5月1日


JR山田線 <投稿日:2011年06月23日>
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