三陸鉄道北リアス線(1)消失島越駅前に唯一残った宮沢賢治の石碑
三陸鉄道北リアス線は宮古と久慈を結ぶ71kmの第3セクター鉄道。国鉄宮古線(宮古~田老)と久慈線(久慈~普代)を引き継ぎ、1984年(昭和59年)に田老~普代を新線開業して、三陸鉄道北リアス線となった。
風光明媚なリアス式海岸を車窓から眺められる区間は実はそう多くない。明治以降でも3度の大きな津波を経験し、線路は山側のできるだけ高い位置に敷設された。それでも海に近いところに設置された駅がいくつかあり、そのひとつが島越(しまのこし)である。コンクリート高架上にホームがあり、海側に白亜の壁に青い屋根の駅舎があった。ホーム標高は13.5m。駅前広場に宮沢賢治の詩「発動機船 第二」の一節が記された石碑があり、何もかも流された駅関連の施設で、かろうじて残った石碑である。
取材時、がれきの整理が進んでいたようで、駅周辺はコンクリートの残骸が広範囲に散らばっているのが目についた。
唯一残った島越駅前の石碑
左が海。駅舎付近から宮古方面を向いて撮影。杉の枝が払われ幹が露出している部分が津波の到達高さを示している。撮影/編集部 4月30日
三陸鉄道北リアス線
<投稿日:2011年06月13日>
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