参考図書をふたつ紹介する。ひとつは昭文社『東日本大震災 復興支援地図』。B4版に津波被災地域を中心に編集してあるので、重宝している。津波浸水範囲に網掛けも施してある。売れ行き好調とのこと。山田湾に面している駅は前回紹介した陸中山田と織笠。取材時、織笠と次の岩手船越を割愛して先を急いだため、写真がない。その織笠は『鉄道ジャーナル』8月号が写真入りで紹介している。写真ではそれが駅かどうかわからないほど破壊されている。吉村昭『三陸大津波』(文春文庫)を持ち出すまでもなく、記録を残すことはメディアの最重要の仕事である。ファンの視点で記事を掲載することの重要さを『鉄道ジャーナル』の誌面は伝えている。
山田線が盛岡から陸中山田まで開通したのは1935(昭和10)年のこと。線名に冠されるほど重要な町である。その中心に陸中山田駅がある。津波と火災。これ以上の惨状を思い浮かべることはできない。この惨状があまり話題にならないところが、この大震災の被害の深刻さを表しているとも言える。
山田線の盛岡~宮古は、今回の震災で不通になった線区のなかでももっとも早く運転再開した区間である。鉄道ファンなら誰でも知っているように、列車本数が極度に少ない。北リアス線と山田線の取材では、盛岡から山田線のライバル「106急行」バスに乗った。国道106号線は山田線に沿って宮古に達する。新緑の沿線に目を奪われ、列車に乗れば楽しめない鉄橋をいくつも見て感激する。バスに乗って山田線を見直す皮肉なことになった。
3月11日の地震から間もなく、義捐金の募集が全世界で始まりました。津波の映像が世界の人々に「何かしないといられない」という気持ちを起こさせたのでしょう。私も「何かしなきゃ」と思ったひとりです。できれば鉄道ファンとして、鉄道の復興に貢献できることがないか。そう思っていたところに原武史さんから電話があり、「三陸鉄道の切符を買おうと思うんですよ」と言う。なるほど、切符を買えば確実に三陸鉄道の収入になる。何枚買うつもりなのかその時は聞きそびれてしまった。
今回の取材でお世話になっている三陸鉄道冨手淳氏から提供していただいた3枚の写真を紹介する。1枚目は島越駅のホーム。左手が海。海側に駅舎があり、駅舎裏から高架をくぐる階段でホームに上がるようになっていた。
三陸鉄道北リアス線は宮古と久慈を結ぶ71kmの第3セクター鉄道。国鉄宮古線(宮古~田老)と久慈線(久慈~普代)を引き継ぎ、1984年(昭和59年)に田老~普代を新線開業して、三陸鉄道北リアス線となった。