立ち読み:新潮 2017年11月号

第49回新潮新人賞受賞作
百年泥/石井遊佳

 チェンナイ生活三か月半にして、百年に一度の洪水に遭った私は果報者といえるのかもしれない。
 前日は一日中豪雨だった。午後には授業を早めに終了して学生を帰らせ、翌朝窓を開けたらアパートの周囲はコーヒー色の川になっている。
 そのとき携帯電話が鳴り、出ると受け持ちクラスのアーナンダだったが、
「こうずいですから、きょうじゅぎょうはやすみます」
 茶色の水をみつめながら私は言い、
「……はい……せんせ……はい……」
 とぎれとぎれの声がどうにか聞き取れた。伝達事項があるさいなど、面倒見のいい彼がたいていクラスの窓口になってくれていて、今日も気を利かして電話をよこしたのだ。電話を切って向かいの家の玄関に目を移す。門扉の上部分が、とつぜん水面から生え出したように見えるその状況から推して水の高さは一メートルを越えている。私の部屋がアパートの五階だったことをあまたの神仏に感謝しなければならない。
 きのう、教室の窓の外から聞こえる雨音のあまりの激しさに気づいて教科書から顔をあげ、
「あしたはこうずいかもしれませんね」
 笑いながらホワイトボードに「こうずい flood」と書いたのが遠い昔のようだ。茶褐色の水をへだてた家の二階の窓から家族五人の顔がのぞく。右方向から頭の上に大荷物をのせた夫婦らしい男女が、たっぷり胸のあたりまである泥水の中をゆうゆうと歩いてくる。
 それを目で追いながらパソコンをひらいて地元テレビ局のデジタルニュースを見ると、
〈チェンナイで百年に一度の洪水! アダイヤール川氾濫、市内ほぼ全域浸水か〉
 との見出しが躍り、記事を読みかけたところでふと、さっきの電話で洪水の間それぞれが家で自習すべき課題を言いそびれたことを思いだし、携帯に飛びつきリダイヤルしたが耳にしたのは
〈No connection〉の音声のリピートのみだった。再度パソコンをひらくがすでに画面いっぱい〈このページは表示できません〉のメッセージ、けっきょくこれを最後に電話やネットをふくめすべての通信は断たれ、前夜以来の停電につづいて水道の水も止まった。
 熱赤道上のチェンナイは年間つうじて蒸し暑く、もっとも暑い時期は五月から六月、私がチェンナイに来たのは八月下旬だから酷暑期直撃はまぬがれたものの、ほどなく雨期攻撃が開始された。未明にすさまじい雷鳴を聞いた直後から豪雨、朝豪雨昼豪雨夕方豪雨で道路に水があふれ、バスもバイクも通れず教室に学生が二三人しか来ていない日が十月、十一月に何日かあり、あまつさえ度重なる長時間停電、インド初経験の私はこんなものかなと思ってたが、ついにゆうべアダイヤール川の堤防が決壊した。
 私の住むアパートから見て、会社はアダイヤール川をはさんだ対岸、歩いて十五分ほどだ。毎日この川にかかった橋を渡って会社へ行き、社員に日本語を教えるのが私の仕事だ。
 インドへ来る前、私は多重債務者だった。
 すぐ返すから、と男に頼まれた。つきあい出して半年ばかりの自称フリーライター、種々雑多な媒体に雑文、主として競馬関係の文を寄稿するらしかったが、私は競馬に興味がないので一度も読んだことはない。自由業らしく無精ひげをはやし、長めの髪をいつも後ろでポニーテール風にまとめ「それはそうと」「絶対」が口癖、「おれもう借入件数が多すぎるからさ、JICCのブラックリストにも載ってるしサラ金では借りられないんだよね。それはそうと一か月したら必ずあの件の振り込みがあるから、絶対迷惑かけない。絶対」
 他人に貸す金などなかった私はやむなく某サラ金で借り、男に渡す。男とはその二日後連絡が取れなくなった。一か月後に「あの件」の振り込みがあったかどうか知らない。一週間もしないうち、見事な巻き舌で話す情熱的な男たちの訪問をうけはじめた。その数が尋常でないため問い合わせると、くだんの男が私の名義と国保のコピーを使い、十数社から借り倒していた事実が判明した。このように来る者こばまず、本人確認を行うことなく貸し付けるふところの深い金融会社ばかりであるから、取り立ても熱烈なのだ。ふだんから人の話をよく聞かない習性がたたってこうなった。
 困りはてた私は、ついに恥をしのんである日、去年別れた元夫に借金を申しこむことにした。実のところ元夫には何度も金を借りて返済しておらず、すでに五度目。
 元夫は不動産・株取引仲介をはじめとしてシニアのお見合いパーティ、援助交際あっせん、遠洋漁業人材派遣など何かとブローカーをしている。高田馬場駅前の、エレベーターのない雑居ビル三階にある事務所へ行き、形ばかりの受付で用件を言い面会を申しこむ。彼は三十分ほど待たせて現れ、
「仕事あるよ、チェンナイに」
 だしぬけに言った。私は、
「タイは行ったことないんだけど……」
 彼は額の前で手をふり、
「チェンマイじゃない、チェンナイ。南インド」
「何の仕事」
「日本語教師。日本企業と取り引きが多いIT会社で、社員教育のために日本語の先生が欲しいんだってさ」
 日本語教育に関し未経験であることでは誰にもまけない私だったが、元夫にまだ全然返済していない借金のため拒否する勇気がなかった。契約更新は一年ごと、月給は日本円に換算すれば安いが、現地での生活費が日本にくらべ桁違いに安いから、月々そこそこのお金は残るというのが元夫の説明だった。
「毎月おれの口座あてに国際送金してもらって、そうだなあ、だいたい五年くらいで完済できるんじゃない」
「……あの私、今まで隠してたけど、じつは雪国そだちで……」
「ああでも、インドルピーを日本円に両替する手数料も結構かかるから五年じゃ無理だな。七、八年か」
 二日後、私はヒンドゥー・テクノロジーズというその会社の東京支社へ行き、チェンナイから出張に来ていた副社長と面接、どういうわけか即OKとなった。煩雑なインドの雇用ヴィザ取得プロセスも奇跡的スピードで進み、二週間後私はチェンナイにいて、その翌日授業がはじまった。
 着いたとも気づかぬうち着いていたその街で最初に知ったことは、ここに月光仮面がいるということだった。よく見ると全員女性で、スクーターに乗るさい、世界平和でなく大気汚染から呼吸器官を守るため、スカーフで頭部をぐるぐる巻きにした上にサングラスをかけた結果の相似らしかった。急激に都市化したインドの街はどこもそうであるように、中学の地理で落ち武者ヘアーの社会科教師に「マドラス」と習ったこの街もまた信じがたいほど空気がひどい、だがこの騒々しく殺伐とした街のいたるところにただよう海の予感によって、それは多少やわらげられている。東京での面接のさい、副社長のカールティケーヤン氏はそう言った、チェンナイは海がちかいです、すぐ東はベンガル湾ですから夏もあまりあつくなりませんよ。地図でみるかぎりたしかにそうだ、だがいたって雑然としたこの街のありさまだけ見ていれば疑いたくもなる。ほんとうに、海などあるのだろうか?
 洪水三日目。
 朝のカーテンの向こうに私は、ついに地面を見た。かばんをひっつかみ、アパートの階段をいっさんに駆け下りる。まだエレベーターなど動いてはいない。地面を踏みたかった。三日ぶりに目にする地面、泥まみれだろうがなんだろうが片足ずつ、右踏んで、左踏んで、じん、と感触をあじわう。ああ地面、そのまま会社へむかう。直接川に面してはいないが、私のアパートも会社もともにアダイヤール川の配下にある。私のオフィスは二階だが水が来たかどうか。
 街に出てまず気づいたのは名状しがたい匂いだ。すっぱいような甘いような、くどいくせに目鼻立ちのはっきりしない匂い、人生初の洪水翌朝の匂い。そして住宅地を通る道路の両脇に延々と続くのは、泥まみれのゴミの山、それらの前世はカーペットにマットレス、チェックのシャツと学童用半ズボンとサリーの被布、サンダル、裂けた樹の枝、どぶねずみ、チェンナイに多いクリスチャン宅前の真っ赤なベストを着たシロクマのぬいぐるみ、スパイダーマンの人形、等々の名で呼ばれていたおびただしい何ものかだ。路傍にうずくまるこれらの一つ一つからたちのぼり、ねっとりなれあった匂いがそばを歩く私をふいに抱きしめ、つづいて全身の毛穴から容赦なく浸透してくる音がまざまざと聞こえる気がした。そのため何秒か気が遠くなっていたのだろう、何かにつまずきかけてとっさに脇にあった木の枝をつかみ、うすぐらくなった視界の夜が明けるのをしばし待ってると、「あらあら大丈夫?」すぐ近くで声がして顔を上げれば通りがかったらしい白髪のサリー姿の女性が見え、右手に牛乳のパック、左手にトマトとオクラの詰まった袋を持っている。「いえ、ぜんぜんOKです」と私が反射的に答えるとおだやかに微笑みながらインド式に頭を傾け、「気をつけてね」女性はそのまま去り、何か変だな、まだはっきりしない頭で思ったがともかく会社へ急ぐ。

(続きは本誌でお楽しみください。)

[→受賞者インタビュー インドから“けったいな”小説を目指して/石井遊佳]