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松井秀喜、32歳。昨年、左手首骨折という挫折を経験したヤンキースの主砲が、再出発の意味を込めて、2月17日、『不動心』(新潮新書)を出版する。この中で、松井選手は、「心の構え次第で、挫折は力に変わる」と説いている。出版を前に、自身の野球人生から、今季、対決が注目されるレッドソックスの松坂大輔投手のことまで、縦横無尽に語った。
〈苦しみやつらさこそが、生きている証しではないでしょうか。僕は、生きる力とは、成功を続ける力ではなく、失敗や困難を乗り越える力だと考えます〉
〈「広く深い心」と「強く動じない心」――すなわち「不動心」を持った人間でありたいといつも思っています。もちろん僕も人並みに悩みます。苦しみます。失敗します。けれども、そこで挫けたり、逃げ出したりはしない。悩みや苦しみ、失敗や逆境をどう糧にしていくか。マイナスをどうプラスに変えていくか。いつもそんなことを考えています〉
『不動心』は、松井秀喜氏のそんな「はじめに」からスタートしている。
2006年5月11日。対レッドソックス戦の1回表の守備で突然襲った痛恨の大ケガ。シーズンの大半を棒に振ったこの挫折を乗り越え、松井選手は、
「このケガが、自分の野球人生にプラスになってくれることを信じている」
と、出版を決意した。
失敗を逆にプラスと捉える独特の思考法。アスリートだけでなく、サラリーマンなど一般の社会人にとっても大いに参考になるその考え方はどこから来たのか。
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プロ入り14年目で、僕は初めて大ケガを経験しました。幸いシーズン後半に復帰できましたが、本当の意味での再出発は、今年ということになります。
僕は野球人生の中で、このケガがマイナスではなく、プラスになることを信じているんです。このケガのおかげで、松井秀喜が、選手としてだけでなく人間としても大きくなったと思えるようになること。再出発のシーズンを前に、そういう思いを込めて本を出版することにしました。
――93年にプロ入りして14年。10年間の巨人でのプレーの後、03年にヤンキース入りし、日米通算2000本安打まであと13本と迫っている。ヤンキースの主砲として積み上げた実績は、4年間で62億円という気の遠くなるような年俸が表している。しかし、松井選手のここまでの野球人生は決して平坦なものではなかった。
僕にとってのターニングポイントは、2つあります。1度目は、巨人入団後3年を経た95年のオフシーズン。2度目は、ヤンキース入りして最初の年(03年)、メジャー独特のボールに悩まされ、“ゴロ・キング”と評されてスランプに陥った時。この2度の転機なくして、今の松井秀喜はないと思っています。
最初の転機となった95年のオフシーズン。つまり翌96年のシーズン以降の僕は、それ以前の僕とは違ったものになったと思っています。
それまでの僕は、内角に弱点があり、ここを突かれて打ちとられることが多かった。膝元もそうですが、身体に近いコースを徹底的に攻められて、それでやられることが多かったのです。
肘が畳めないとか、インサイドアウトのスイングとか、そんなことだけではない。当時の僕は、バットの軌道がワンパターンで、あるコースに来るボールは打てるが、そこから外れるとなかなか打てなかった。つまり、“打てる範囲”が狭かった。これは、腕がどうというより、身体全体にかかわることでした。
当時、僕は巨人軍の寮にいましたが、このことでなかなか寝つけなかったり、夜中にガバッと飛び起きたりしました。そして、たまたま寮の隣の部屋が空いていたんで、そこへ行って、バットスイングを繰り返しました。どうすればその欠点が克服できるのか、考えながら、ひたすらバットを振ったものです。徐々に自信がついた僕は、96年のシーズンから成績が“爆発”しました。
失敗をどう生かすか
厳しい内角球をどう克服するか。これは多くの打者が、悩み、対策を練っていることだと思います。
僕は、スイングを繰り返すだけでなく、“極端な練習”をおこないました。それは、単に内角のボールということではなく、それこそ身体に当たるようなボールを打つ練習をしたのです。ティバッティングの時もそういうボールを上げてもらって、これをひたすら打つ。また素振りも、そのイメージをした上でスイングするのです。さすがにデッドボールになるような球を投手に投げてもらうわけにはいきませんが、とにかくそういう極端な練習を反復してやりました。すると、インコースといっても、身体から何十センチかは離れているわけで、次第に楽なところを打っている感じになっていきました。
野球というスポーツは、3割を打てば一流選手になります。つまり、一流選手でも、残りの7割は凡打しているわけです。
僕は、この7割の失敗をずっと生かそうとしてきました。その失敗をどう生かすか、あるいはどう活用するかによって次への一歩として大きく差が出てくるものだと思います。
打てた時の記憶というのは、勝手に残ってくれます。でも、打てなかった時に、「なぜ打てなかったのか」を分析し、なぜ失敗したのかをきちんと追及していく。その結果、いろんな対処法が出てくるものだと考えています。
相手の投手が、僕をどう打ち取ろうとしているか、それを僕自身がコントロールすることはできません。僕をどういう球で、あるいは、どういうコンビネーションで打ち取ろうとしているか、それは、僕にとってはどうしようもないのです。でも、僕にもコントロールできるものがあります。
相手が投げてくる球をどういう風に待って、あるいは、どういう身体の使い方をして、または、どういうスイングをしていくか。これは、自分で考え、そして練習することによって、自分自身をコントロールし、打つことができるように持っていく可能性も出てくるわけです。
相手がいいボールを投げてきたからどう打つかではなく、打つために自分はどうしたらいいか、何をすればいいのかということです。僕は、このことを常に考えてきました。
たとえ相手投手がタイミングを外すボールを投げてきても、練習によって、タイミングを崩されないような自分のタイミングをしっかり身につけておけばいい。常にそれに対応できる“身のこなし”を身につけておけば、それでいいのです。
そのためには、頭の中で理想というか、一番いいものを思い浮かべて、そこからその理想を自分の身体で「体現」するにはどうしたらいいのかを考えるのです。
まず自分でバットを構えて、タイミングをとってみる。そして、ゆっくり振ってみる。そして、徐々に速く振っていき、その感触をつかんでいく。
次には、緩いボールを打ってみます。その次には、少し速いボールを打ってみる。そして、最初に自分の頭の中にある「理想」に少しずつ近づけていくのです。僕は、その作業をずっとやってきました。
スイングは“音”で聞く
――しかし、メジャーに新天地を求めた松井選手を苦しめたのは、得意だったはずの外角に来るメジャー独特のボールだった。外角に落ちる「見たこともないボール」を打ちあぐみ、松井選手は、“ゴロ・キング”と称されるようになる。やがて松井選手は、野球人として2度目の転機を迎える。
これには悩みました。日本では、そういう外角のボールは見たことがなかったですから。そこから新たな対策を考えました。
そういうものまで、ホームランを打とうとすると、かなり高い確率で失敗します。そこは、もう発想の転換しかない。悪い言い方をすれば、“あきらめ”です。ホームランを打つのではなく、強い打球をレフト方向に打てればいい。強い当たりがレフト方向に飛べば、相手投手にとっては、ホームランでなくてもヒットでも嫌なものです。
そこを確実に強く叩くことで、今度は強く打てる内角にボールが来るものです。僕は、右打者から変わった左打者なので、どうしても左手が弱い。そこで、外角のボールを強くレフト方向に打てるように、左手を徹底的に鍛えました。
これはもう“我慢比べ”ですね。最初は、打てないボールは、もう打たなくていい、ただ強い当たりをレフト方向に打ってやるというだけの気持ちで臨み、やがてそのことによって、道が開けてきました。
「打てないボールは、打たなくていい」という“あきらめ”を持つには、勇気がいります。しかし、外角にこだわるあまり、すべてが打てなくなっては本末転倒です。僕は、こういう「勇気」は持たなければならないと思っています。メジャー最初の年に、まだ外角に落ちるあの球を打つまでの技術は僕にはありませんでした。しかし、その勇気を持ち、やがて次第にレベルアップして、これも打てるようになってきた。あの時、一種のあきらめを持ったことは間違ってなかったと思います。
――そんな松井選手が欠かさなかったのは、素振りだ。どんな場合でもバットを放さず、彼は素振りを続けた。その時、最も気をつけたのは、スイングの時に出る“音”である。その音の重要性を松井選手は恩師である長嶋茂雄氏から学んだという。
僕は巨人時代、長嶋さんに毎日毎日、いやというほどバットを振らされました。長嶋さんは、その時、スイングを見ない。ただ僕がバットを振る音だけをじっと聞いているんです。そして、それで僕の調子を見てくれる。
いいスイングの時は、高音で、短い、“ピュッ”という音が出ます。表現しにくいですが、乱れない音というか、散漫にならない音というか、とにかく空気を短く切るピュッと締まった感じの音がする。スイングが速いと、そういう音が確かに出てくるんです。
しかし、調子が悪い時は、幅が広く、鈍いような“ボワッ”という感じの音になる。たとえヒットが出ていて、新聞に“松井は調子がいい”と書かれても、この音が出ている時は、決して調子はよくない。自分では、自分の調子がわかりますね。この音を出すために、腰がどうとか、腕がどうとか、そういうことは関係ありません。これは自分自身の経験で高めていくしかありません。僕は、長嶋さんに繰り返し繰り返しスイングを見てもらって、意識しなくてもこの音が出るスイングが自然に身につきました。感謝しています。
松坂投手への期待と不安
――その松井選手が迎える強敵が、レッドソックスの松坂大輔投手(26)である。松井VS松坂の対決は、日本で99年から02年まで17打席ある。オープン戦、オールスター戦、日本シリーズで都合17打数2安打1本塁打、打率1割1分8厘。数字的には、松坂に軍配が上がっているといっていいだろう。一体、松坂の球はどこが凄いのか。
まず球が速いですね。メジャーに来れば、速さ自体は普通ぐらいでしょうが、キレがあって、その上、球種が多いですね。
中でも、ウイニングショットにできるボールがスライダー、チェンジアップと、いくつかあるということでしょう。彼はフォークがありませんが、おそらく、それも必要ない。やはりメジャーで重要なのは、コントロールとコンビネーションです。最近の彼のピッチングを見ていないので何とも言えませんが、彼にはそれがあると思うので、僕はメジャーで十分通用すると思います。
そして大切なのは、しっかりとした“気持ち”です。ハートさえ持っていれば、問題はないと思います。
警戒しなければならない最大のものは、やはりケガです。そして向こうのメディアであり、ファンです。これだけ注目されているわけですから、少しでも調子が悪くなれば、メディアはいろいろと書いてくるし、ファンも厳しい目で見てきます。試合で、思うように結果が出ない時期があったら、十分覚悟しておかなければいけません。
しかし、これらを乗り越え、1年間ローテーションを守ったら、30試合くらい投げることになります。この内、半分勝ったら、すごいことだと思いますね。でも、彼の実績から見れば、十分可能性はあります。20勝以上、勝つ可能性もあると思いますね。
彼にとって心強いのは、レッドソックスのキャッチャー、ジェーソン・ベリテックが、素晴らしい選手だということです。非常に頭のいいキャッチャーで、相手の弱点を突いたり、タイミングを外したりするのがうまい。ベリテックがいて、リードしてくれるというのは、松坂君にとって大きなアドバンテージです。
しかし、僕は今のところ最近の松坂君を見てないので対策を立ててもいませんが、彼のピッチングを見れば、すぐに対策を立てることは可能ですよ。
――注目を浴びる松井VS松坂の対決。今年のメジャーは、昨年までに増して、日本の野球ファンの関心を集めるだろう。そして、ケガを克服して、さらにバージョンアップした“ゴジラ松井”がどこまでの成績を挙げるか。日本の野球ファンの夢――松井秀喜がメジャーでホームラン王になる可能性は、果たしてあるのだろうか。
日本の野球ファンが、僕がメジャーでホームラン王になることを期待してくれているのは嬉しいことです。皆さんの期待というのは、それこそ僕がコントロールできることではありません。でも、そういう思いで見てくださる方のためにも、少しでも納得というか満足してもらえるような成績は、僕自身が出したいと思っています。ケガしたことが、もしかしたら松井秀喜というバッターとしてもプラスになったんじゃないかな、と思えるようになれば僕も嬉しい。見てくれているファンの方も、そう思ってくださるような、これからの野球人生にしていきたいな、と思っています。
(週刊新潮 2007年2月8日号掲載)
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