【特別対談】佐藤 優 vs 桐野夏生
『東京島』のリアルな「官能と混沌」
30人あまりが漂着した無人島。けれど女はただひとり。ここは地獄か楽園か――。
人間の本質とは何かを現代の日本人に突きつける、桐野夏生氏の新作『東京島』(小社刊)。
そこに描かれた「官能と混沌」のリアリティーを、著者と作家・佐藤優氏が縦横に語り合った。
佐藤 僕ね、『東京島』、3回読みましたよ。
桐野 3回も。ありがとうございます。
佐藤 読むほどに新しい発見があってね、個人的にはリアリズム小説として読みました。今、小林多喜二の『
蟹工船』が売れてるじゃないですか。プロレタリア文学の代表作として。
桐野 私も子供のころからわりとプロレタリア文学や貧窮物は好きでした。『蟹工船』も読みましたし、『女工哀史』とか『にあんちゃん』とか。
佐藤 でね、桐野さん。先週号の「
週刊新潮」も書いてるように、小林多喜二ってもともとは銀行員だった。そのせいか、作品中には労働現場の現実とは乖離した、思わずツッコミ入れたくなるところも見受けられるわけですよ。民間船で起きたストライキ事件に海軍が介入する。でも、あれは本来、警察じゃないとおかしい。
桐野 頭で書いているんでしょうか。佐藤さんは、以前から、葉山嘉樹の方が地に足が着いていると仰っていましたね。私は葉山の名を知りませんでしたが、娘に聞いたら、『セメント樽の中の手紙』を、高校の授業で読んだというので驚きました。
佐藤 葉山自身が労働者だったので、彼の作品には現実の裏付けがある。そうして考えると、『東京島』には徹頭徹尾、今の社会の現実がすべて一分の隙もなく描かれている。これぞリアリズム小説。こんな決めつけは怒られちゃうかな。
桐野 全然怒んないです。てか、光栄です。
佐藤 去年ね、国税庁の相当に緩い統計でさえ、年収200万円以下の低所得層が1000万人を超えるという数字を出しています。日本には、そうした食うや食わずの人たちが1000万人以上もいる。
桐野 異常なことですよね。あれよあれよという間に、所得格差が広がっている。
佐藤 しかもユーロとの比較で考えれば、8年前と比べて円の価値は約半分。つまり一面、日本は極貧国だという現実がある。東京島に流れ着いてきて、ロクに食うモノもなく暮らす連中の姿には、そんな現状も投影されているように読めるんです。椰子蟹を食べて体の具合をおかしくしちゃうヤツなんて、僕の中では博士号をもってる高学歴のワーキングプア、ってなイメージ。
桐野 なるほど。あれは一応、島で唯一の大工仕事ができる男だったのに、悪食で命を落とす、という設定でした。
佐藤 それから、東京島の一角、のどかで美しい浜辺に産業廃棄物を詰めたと思しき大量のドラム缶がうち棄てられてるでしょ。実際、ちょっといい感じの地方の山へ分け入ると、それこそドクロマークのついたドラム缶が放置されているなんていう状況を、日常的に目にするわけですよ。
桐野 産廃問題ですね。ドラム缶の話が出ましたけれど、東京島の連中は、それを定期的に棄てにくる船をアテにして、何となくいつか生還できるんじゃないかという希望をもって生きています。つまり、非常に怖いけれども緩い状況です。
佐藤 主人公である清子の後から漂着した、日本人の若いフリーターたちね。彼らは島の中で何らかの約束ごとを作り上げていかねばならないと、非常に強迫的な思いを抱いてますね。
秩序を求める男たち
桐野 男たちは習い性としてか、ルールを決めたりして社会みたいなものを作る。そういうところは意識して、戯画的に面白くしようと書いてます。だから、特に日本の状況を描こうと意識したわけではなく、ただ無人島という限られた空間の中での混沌を、描きたかったんです。
佐藤 下手をすると母親くらい年の離れた清子という女を巡って、男たちが蠢(うごめ)く。清子も自分のことを「魔性の女」だとうぬぼれている。凄い実験的なストーリーですけれど、僕の獄中の経験からすると、実際の男たちはこういう東京島のような状況に置かれたら、多分、性欲は出ないと思うな。
桐野 そうですか。東京島でも最初はみんな、性欲だけでなく寂しさからワーッと清子のところに行くんだけれども、あとはみんな飽きてしまって、それどころではなくなっていくんです。この物語は、何年か経って清子が飽きられた頃の話から始まっています。
佐藤 僕の場合、自分では比較的元気でやってるつもりなのに、やっぱり独房に入ったら、150日目くらいまで勃ちませんでしたからね。鈴木宗男さんによると、岸信介さんは「巣鴨プリズンの中で夢精をして、毎朝ふんどしを洗ってたのはオレだけだ。あとの連中はフニャッとしとる」と怒ってらしたそうですが。
桐野 巣鴨拘置所に収監されたのって、50歳も目前だったはずでは。ということは、佐藤さんは150日過ぎたら……。
佐藤 ちょっと元気になりました(笑)。
桐野 よかったですね(笑)。東京島の連中はもっと、ヘナーッとしてます。
佐藤 その点、中国人グループである「ホンコン」はタフで旺盛ですね。あのあたりは僕、中国人というより、僕の母の郷里である沖縄のイメージが強かったんですが。
桐野 ホンコンは棄てられた人たちというか、一種の流刑にあっているので何も持っていないのです。だから、いっそうサバイバル能力を高くしなけりゃならないと思いました。
佐藤 あと、セックスやオチンチンもよく出てくるような印象だったんですが、そこへのこだわりは?
桐野 あら、よく出てきましたっけ?
佐藤 回数にして3ケタは行ってると思いますよ。
桐野 それはおおげさです(笑)。
佐藤 いや、本当に本当に。なのに、ですよ。必ず出てくるはずの、男の世界の議論が出ていない。
桐野 それは何ですか?
佐藤 包茎であるか否か。
桐野 ははは。
佐藤 この議論は、男の世界では出てくるはずなんですよ。皮と形状の話は。
桐野 すみません、気付きませんでした(笑)。清子は要するに、自分を見た男が欲情するかどうかが、島における自分のアイデンティティになって、生きていけるのです。だから、包茎か否かよりは勃起してるか否かが重要なんだと思います。それで書いていないというのもあるかと。ま、しどろもどろの説明ですが。あと、私があまり知らないというのもあると思います。包茎うんぬんについて(笑)。
佐藤 先ほど混沌という言葉が出ましたけれど、ここで描かれているのは、混沌=カオスよりも秩序=コスモスですね。
桐野 そうですね、確かに。清子だけがカオスなのでしょう。そして、男たちは秩序を求める。
「実はエッチなこと」
佐藤 誰が清子の夫となるかを決めるにあたって、クジ引きが行われるじゃないですか。
桐野 男たちが公平性を担保するように見せかけて作ったシステムで、清子はそれに仕方なく従わされているというイメージで書きました。つまり、清子には男を選ばせない、選ばせれば男たちの間に殺し合いが起きるから、という意味です。
佐藤 でも、そのクジ自体にはインチキがない。
桐野 はい、一応。伏せた貝殻を順番に開けていく、みたいなやり方です。
佐藤 まさにそこ。それが世を統べる神事なんですよ。神事はギリギリのところで偶然性に頼る。
桐野 偶然性というのは、やっぱり神事なんですね。
佐藤 清子はいろんな形でシンボリックな神事を行ってもいるわけです。話は逸れますが、僕は、偶然性に頼る神事は今こそ大切だろうと思っています。
桐野 今こそ、というのはどうしてですか?
佐藤 衆院の定数は480ですが、あんなの1500にすればいいんですよ。そこからクジ引きで選ぶと。
桐野 誰がなってもいいってことでしょうか。裁判員制度みたいに?
佐藤 いえ、とりあえず1500人は選挙で絞る。あとはクジ。いくら後援会が大きかろうが、選挙運動の資金が多かろうが、最後は運、ということ。
桐野 そうか、わかってきました。
佐藤 こういう制度だと、家業としての政治っていう発想はなくなりますよ。
桐野 議員って、世襲制だったのかと思うほど多いですからね。2世、3世の議員って。
佐藤 そう。だからこそ、ある程度の努力を超えて最後のところは運なんだ、努力は意味がないんだというシステムにする、と。そうでないと、競争競争で煮詰まっちゃうわけです。悪事が起きる土壌にもなる。
桐野 小学校はクジ引きで入ったという人がいます。
佐藤 国立の小学校ではそうですよね。でも、それでいいんですよ。でないと、お受験競争が煮詰まった末に、ライバルのあの子を殺せってな話になる。
桐野 競争の果てに、行き着くところまで行くってことですね。
佐藤 東京島でクジ引きの神事を導入しなかったら、何が起きたでしょうか?
桐野 殺し合いですね。
佐藤 男の欲望はしょうもないから、実際には神事があっても平穏無事には行かなくて、まさしく東京島みたいなことになっちゃう。
桐野 そうそう。
佐藤 それとね、清子の亭主が書いていた日記を、日本人グループの共同体から締め出された男、ワタナベがこっそり盗み読むところ。あれはまさに谷崎潤一郎の『
鍵』の雰囲気なんですが、そういう関係性、嫉妬の中からエロスを感じるというのはあるんでしょうね。
桐野 はい、意識はしてなかったけれども、谷崎の中で、私は『鍵』が一番好きな小説です。
佐藤 それこそ性欲も露骨に描いた『蟹工船』顔負けの、リアルな官能性が『東京島』には盛り込まれている。
桐野 プロレタリア小説って、確かに官能的ですね。
佐藤 そうなんです。その中に欲望がすごく凝集していると思う。
桐野 持てるものは己の肉体しかない。肉体にだって階級性が出るものでしょうけれども、それも意味がなくなるほど、ギリギリで剥き出しという感じですね。欲望が生きることのみに集約されているのも、実はエッチなことです。
脱構築と創造神話
佐藤 そういうこともひっくるめて言うなら、『東京島』こそ官能性を感じさせる社会小説だ。
桐野 畏れ多いです(笑)。でもね、佐藤さん、男たちは東京島で社会を作ろうとするんですが、それを異物である女が壊していく、というような構造ではあります。
佐藤 ええ。ただし、これは劇的な結末につながるところだからあまり言えませんが、男どもの上に君臨するかに見える清子は、破壊者のように見えて破壊していない。これは一昔前の言い方をするなら、脱構築ってことですよ。
桐野 なるほど。確かに破壊者にはなりきれていません。
佐藤 それに登場人物みんなが色んな場面でウソをつく。僕、人間の特徴って小ウソをつくことだと思う。
桐野 大ウソじゃなくて、小ウソというのはどういう意味ですか。
佐藤 だって、旧約聖書の創世記の一番最初のところでも、リンゴの実を食べた男が神様から『食ったかどうか』を聞かれているのに、『あなたが創った女が言ったから食べた』と言い逃れして、女は女で『蛇が“なぜあの実を食わねえんだ”と言ったからです』と責任転嫁する。小ウソと責任転嫁の集積が人間文化だと。
桐野 興味深いですね。とはいえ、聖書にならうなら、どこかにそういう人間の罪を問う存在はいるってことですよね。
佐藤 どこかにね。『東京島』にもやはり、責任を問う、超越的な存在がいますよ。それは桐野さんと読者。
桐野 そうですね。小説書いている時って、自分がひとつの世界を好きなように動かしているわけですから、神様みたいなものではあります。
佐藤 東京島に流れ着く日本人の若者たち、ひとりひとりの物語も書くことができるでしょ。
桐野 はい、できますね。
佐藤 だから、ある意味で創造神話ですよね。ここで描かれているのは。計算された面白さというのじゃないですけれど。
桐野 『東京島』は、最初は一編の短編のつもりで書き始めました。続くことになったので、その場その場で想像して書き足し、次第に色んなモチーフを取り入れているうちに、世界がわりと濃くなってきたんですよね。実はちょうど今、神話の仕事もしていまして、どこかに神話的要素も入ったと思います。やっぱり神話作ってたんですね、私。
佐藤 そう思います。これ、映画にだってできますよ。様々なモチーフが繰り返し登場する、マトリョーシュカ風の構造になっているようにも僕には読めてね。そこがまた非常に面白かった。
桐野 先ほどお話に出た、清子の亭主の日記を盗み読むワタナベ、私は彼を清子の男版みたいなイメージで書いたんです。ふたりで一対。表と裏です。
佐藤 イザナギとイザナミのような感じですね。教えてほしいんですが、共同体から退け者扱いされた彼にだけ驚くような展開が用意されていますが、あれは?
桐野 いや、何だか一番の外れ者が特別な目に遭う、といった構想が頭をもたげてきてしまって。でも彼は、やっぱり悪意の塊でもあるわけです。それもさっき仰ったように共同体の破壊者まではいかない小悪党ですが。
「日本が理解できる」
佐藤 面白いですね。だから僕は、ワタナベが一番、異化効果があるトリックスター的だと思ったんだけど、外務省の中って、ああいうのばっかりですよ。
桐野 本当ですか?
佐藤 たとえばですよ。僕が現役のころ、外務省の5階にある国際情報局の斜め向かいが大使室になっていました。人事が発令されて、海外へ赴任するのを待っている待命大使たちの部屋。で、ある時、5階トイレにウンチがなすりつけられる珍事件が頻発するようになったんですよ。
桐野 ウソ!
佐藤 それはね、人事に不満を抱いた人物が自分の思いを言葉にできないもので、そんな形で抵抗したというわけなんです。
桐野 恐ろしいですね。何が恐ろしいって子供みたい。
佐藤 官僚っていうのは歪んでて、マゾヒスティックなヤツが多いんです。鈴木宗男さんから怒鳴られまくっている中で、どこかきっと“気持ちいいッ”などと思っていたんでしょうね。
桐野 ほう、まったく驚くべき世界です。『東京島』なんかより、ずっと面白い(笑)。
佐藤 鈴木さんの前でブリーフ1枚になり、腹に顔の絵を描いてヘソ踊りする外務官僚もいたりね。ただ、同じ場所で素っ裸になってオチンチンを股に挟み、山本リンダの「こまっちゃうナ」を歌った人もいました。こちらは国会議員です。
桐野 そりゃ困っちゃうな(笑)。じゃあ政治家は、サドなんですか? マゾなんですか?
佐藤 サドもマゾも両方います。やっぱり歪んでいるんですよ。政治家は全員ひとり残らず、自分が政治家になったのは総理になるためだと信じてますし。
桐野 確かにそういう感じは、ひしひしと伝わってきますね。
佐藤 だから僕、捕まってね、ホントに日本ってありがたい、立憲君主制でよかったと思うんです。もしこれが田中真紀子総統とかの国だったら、鈴木宗男さんと僕、火あぶりですよ。
桐野 焚刑(笑)。
佐藤 ええ、それも反省が足りないとばかりに、とろ火か何かで延々と。
桐野 炭火かもね。備長炭。
佐藤 ま、僕はサドでもマゾでもないから、もし東京島に行ったら日本人グループの彼、そう「GM」クンみたいに生きていくかな。
桐野 GMはまともですからね。
佐藤 GMには転機が訪れ、ある重大なことに覚醒するんだけど、僕だったらそのことに知らん顔してやり過ごし、ひっそり消えて行くでしょうねぇ。
桐野 どうして消えて行くんですか?
佐藤 競争社会が好きじゃないんです。そのくせ競争はしてしまう。ダメなんです。アドレナリン出ちゃうので。ただ、本当に好奇心は強いんですよ。とにかく物事が知りたい。だから桐野さんの作品は大好きだし、イメージが膨らむから、桐野夏生という作家は、僕の中では一種のイコンなんですよね。パソコンでいうアイコン。
桐野 嬉しいです。ぜひこれからもどんどんクリックしてください(笑)。
佐藤 あと、『東京島』は海外でも読まれるべきです。今の日本は苦しみ(pain)に満ちた国“Japain”なんて海外で評されていますが、この国の閉塞状況がどういうことになっているのか、それが『東京島』には全部入っているので、日本を理解するための本として凄くいいと思うんですよ。各国からどういう反応があるのか、それもまた楽しみ。
桐野 ありがとうございます。早速、考えてみようと思います。
(「週刊新潮」2008年6月5日号より)