立ち読み:新潮 2018年5月号

地球星人/村田沙耶香

 おじいちゃんとおばあちゃんが住む、秋級あきしなの大きな山の中では、真昼でも夜の欠片が消えない。
 坂道を急カーブしながら、私は窓の向こうで揺れている破裂しそうに膨らんだ木々の葉っぱの内側を見つめていた。そこには真っ黒な闇が佇んでいる。宇宙と同じ色をしたその黒色に、私はいつも手を伸ばしたくなる。
 隣では、母が姉の背中をさすっている。
「大丈夫、貴世きせ? お姉ちゃんは山道に弱いからねえ。長野の山道は、特に険しいから」
 父は無言でハンドルを握っている。なるべく揺れないようにゆっくりとカーブしながら、バックミラー越しに姉の様子をうかがっているみたいだ。
 私は小学校五年生になったから、自分の世話は自分でできる。車に酔わないようにするには、窓の外にある宇宙の欠片を見つめるのがいちばんいい。二年生のころにそれに気が付いてからは、この長野の険しい山道で車に酔うことはなくなった。二つ年上の姉は、私と違ってまだまだ子供で、両親の摩ってくれる手がないとこの山道を乗り越えることができない。
 急カーブを繰り返しながら坂道をあがり、耳がきんとして、自分がどんどん空に近付いているのを感じる。おばあちゃんの家は、宇宙に近い。
 胸に抱きしめたリュックの中には、折り紙で作った魔法のステッキと変身コンパクトが入っている。リュックの一番上には、私にこれらの魔法道具を与えてくれた相棒のピュートが座っている。ピュートは悪の組織の魔法にかかって人間の言葉を喋ることができないけれど、私が車酔いをしないように、そっと見守ってくれている。
 家族には話していないが、私は魔法少女だ。小学校に入った年に駅前のスーパーでピュートと出会った。ピュートはぬいぐるみ売り場の端っこで捨てられそうになっていたのを、私がお年玉で買ってあげた。家に連れて帰ると、ピュートは私に魔法少女になってほしいといい、変身道具を渡してくれた。ポハピピンポボピア星からやってきたピュートは、地球に危機が訪れていることを察知し、その星の魔法警察の任務をうけて地球にやってきたのだ。それ以来、私は魔法少女として地球を守っている。
 この秘密を唯一知っているのは、いとこの由宇ゆうだ。早く由宇に会いたい。去年のお盆以来、私は由宇の声を聞いていない。私たちは毎年お盆にしか会うことができない。
 私は一番お気に入りの、星の柄がついた藍色のTシャツを着ていた。今日のために、お年玉で買ったとっておきだ。値札をつけたまま大切にクローゼットに入れていたTシャツを、今日のためにおろしたのだ。
「揺れるぞ」
 父が小さな声で言った。この先は一番大きいカーブだ。車が急カーブした衝撃が車内に伝わってくる。
「うっ」
 姉が口を抑えて顔を伏せる。
「窓を開けて風を通しましょう」
 母の言葉に父が瞬時に反応し、目の前の窓が開いた。生ぬるい風がとろりと頬を撫で、葉っぱの匂いが車の中に流れ込んでくる。
「大丈夫? 大丈夫?」
 母の泣きそうな声が車内に響いている。父は無言で車のクーラーの電源を切った。
「次のカーブで最後だ」
 父の言葉に、私は、思わずTシャツの胸元を掴んだ。去年にはなかった膨らみが、ブラジャー越しに微かに感じられる。
 四年生の時と私は違っているだろうか。同い年の由宇は私を見てどう思うだろうか。
 もうすぐ、おばあちゃんの家に着く。そこには、私の恋人が待っている。私は自分の皮膚がじりじりと熱くなるのを感じながら、風へ向かって身を乗り出した。

 いとこの由宇は私の恋人だ。
 いつから私の中にその気持ちが発生していたのかはわからない。恋人になる前から、私はずっと由宇が恋しかった。私たちは夏が来るたびに仲良く寄り添ってお盆を過ごしたし、由宇が山形、私が千葉に帰っても、由宇の存在が私の中で薄れることはなく、濃くなって濃くなって、焦がれるようになってからまた夏を迎える。
 私たちが正式に恋人になったのは、小学校三年生のときだった。田んぼの前に流れる小さな川を、おじさんたちが石でせき止めて膝までの深さにして、皆で水着になって泳いで遊んだのだ。
「わっ」
 私は川の流れに足をとられて転んだ。
「川は真ん中が流れが速いんだよ」
 私に手を貸してくれた由宇が言った。それは私も学校で習ったけれど、こんな小さな川でもそうだなんて知らなかった。
「もう、水はやだ。あっちで遊ぶ」
 私は階段を上って川を出て、水着のまま家のほうへと向かった。由宇が追いかけてきた。
奈月なつきちゃん、待って」
「うるさい」
 私はそのときなんだか妙にいらいらしていて、由宇にあたってしまった。私を追いかけてきた由宇が、不意に、何か小さな草を千切った。ぱくりとそれを口にしたので、私は仰天した。
「由宇、そんなの食べちゃだめだよ! お腹壊しちゃうよ!」
「大丈夫だよ。これ、すいこっていって、食べられる草なんだって。てるよしおじさんが言ってた」
 私はおそるおそるそれを口にした。
「わ、すっぱい!」
「すっぱいけどおいしいよ」
「どこにあったの?」
「ここにいっぱい生えてる」
 私たちは家の裏にある斜面を歩き回ってすいこを集め、並んで座って食べた。
 水着が濡れていて気持ち悪かったが、すいこは美味しかった。機嫌がよくなった私は、
「由宇にしてはいいことを教えてくれたから、お礼に私も秘密を教えてあげる」
 と言った。
「秘密ってなに?」
「あのね、私は本当は魔法少女なの。コンパクトで変身して、ステッキで魔法が使えるの」
「どんな魔法?」
「いろいろ! 一番かっこいいのは、敵を倒す魔法」
「敵って?」
「あのね、普通の人には見えないかもしれないけど、この世界にはたくさんの敵がいるの。悪い魔女とか、バケモノとか。私はいつもそれをやっつけて、地球を守ってるの」
 私は肌身離さず持っている小さなポシェットから、ピュートを出してみせた。ピュートは見た目は真っ白なハリネズミのぬいぐるみだけれど、本当はポハピピンポボピア星の魔法警察からやってきた使者だ。私はピュートからステッキとコンパクトをもらって魔法使いになった。そう説明すると、由宇は真剣な表情で、
「奈月ちゃん、すごいね……! 奈月ちゃんが地球を守ってくれているおかげで、僕たちは平和に暮らせてるんだね」
 と言ってくれた。
「そうだよ」
「……ねえ、その、ポハピピンポボピア星ってどんなところ?」
「それはよくわからない。しゅひぎむ、があるってピュートが言ってたから」
「そうなんだ……」
 魔法より異星に興味を示した由宇が不思議で、私は顔をのぞきこんだ。
「どうしたの?」
「ううん。……僕も奈月ちゃんだけに言うね。僕、もしかしたら宇宙人かもしれないんだ」
「えっ!?」
 私は仰天したが、由宇は真剣な表情で続けた。
「美津子さんがよく言うんだ。あんたは宇宙人だって。秋級の山で、宇宙船から捨てられてたのを拾ってきたって」
「そうなんだ……」
 美津子さんというのは、由宇のお母さんだ。私は父の妹であり私のおばさんであるきれいな人を思い浮かべた。由宇に似て内気で大人しいおばさんが、嘘や冗談を言うようには思えない。
「それにね、引き出しの中に、拾った覚えのない石があるんだ。石なのに真っ黒で、平べったくて、つるつるして、見たことがない形なんだ。だから、それは僕の故郷の石なんじゃないかって思ってるんだ」

(続きは本誌でお楽しみください。)