諜報の天才 杉原千畝
1,320円(税込)
発売日:2011/02/25
- 書籍
インテリジェンスの視点で「命のビザ」を検証すると、従来の杉原像が激変した!
国難を逸早く察知する驚異の諜報能力。この男にソ連は震え、ユダヤ系情報網は危険を顧みず献身した――。日本の「耳」として戦火の欧州を駆回った情報士官の失われたジグソーパズル。ミステリアスな外交電報の山にメスを入れ、厖大なピースを70年ぶりに完成させた本邦初の快挙。日本が忘れ去った英知の凡てがここにある。
おわりに
杉原千畝関連年表
主要参考文献一覧
書誌情報
読み仮名 | チョウホウノテンサイスギハラチウネ |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 224ページ |
ISBN | 978-4-10-603673-6 |
C-CODE | 0331 |
ジャンル | ノンフィクション、日本史 |
定価 | 1,320円 |
書評
知られざる情報活動の全貌
〈著名人が薦める〉新潮選書「私の一冊」(3)
日本の外務省には2人の異能の士がいる――。その存在は早くから聞き及んでいたが、実際に会ったのは随分と後だった。1人はモスクワの「ラスプーチン」こと佐藤優。いま1人は外交史料館の「ポアロ」こと白石仁章。戦後の日本からインテリジェンス・オフィサーは絶滅してしまったのだが、2人は氷河期の蝶のように生き残っていた。
そして「命のビザ」でユダヤ人を救った杉原千畝の事績を発掘し、復権に取り組んだのがこの2人だったのは偶然ではない。現代日本の優れた情報士官は、真のインテリジェンス・オフィサー、杉原の素顔を見誤らなかった。
1940年夏、リトアニアの首都カウナスにいた杉原領事代理は不可解な公電を本省に再三発出し、ユダヤ難民に通過ビザを発給してよいかと請訓する。本省からは「否」の訓令が届くのだが、そしらぬ顔で本省に発給の可否を尋ね続けた。領事館の閉鎖後も、ビザの日付を操作しビザの発給をやめなかった。すべては自ら署名したビザの効力を担保するための巧みなアリバイ工作だった。白石仁章は膨大な史料の海に分け入り、スギハラ・マジックを読み解いていった。快刀乱麻の推理はポアロ探偵のそれだった。
杉原千畝が発給した2139通のビザはヒューマニズムの物差しでは実像が見えてこない。全欧に張り巡らされたユダヤ系の情報網は、「命のビザ」と引き換えに一級の機密情報を差し出していたのだ、と白石は喝破した。
動乱のさなかには、ビザは魔物にも宝石にもなる。杉原は満州に在勤当時、優れた情報能力を駆使して北満鉄道の買収交渉でソ連側を手玉に取った。このためソ連当局はビザ発給を拒否して杉原のモスクワ赴任を阻んだのだった。
その3年後、杉原はカウナスでユダヤ難民の命を救い、戦後世界の種をまいた。
欧州のユダヤ人情報組織は、民族の生き残りを策して、1人の日本人外交官にすべてをかけ、杉原はこの機をとらえて祖国に珠玉の情報をもたらした。知られざる杉原千畝の情報活動の全貌は白石の筆でいまによみがえった。
(てしま・りゅういち 外交ジャーナリスト、作家)
「産経新聞」2011年4月3日書評より
インテリジェンスの視点で杉原像を覆す
古都クラコフの秋は、駿馬のように駆け下りてくるという。凍てつく寒気にコートの襟を立て、ユダヤ人街だったノヴィー広場に露店を営む老婆と雑談を交わし、近くの古書店をめぐってみた。七十年前、王都の風格を湛えるポーランドの街にヒトラーの戦車が襲いかかり、スターリンの狙撃師団も牙を剥きつつあった。この街に暮らすユダヤ人一家は、絶体絶命の死地からどう逃れようというのか――。石畳を歩きながら、わが『スギハラ・ダラー』は、杉原千畝の戦略眼を通して、次第に骨格を現そうとしていた。
隣国リトアニアに情報拠点を構えた杉原は、欧州全域に張り巡らした諜報網を駆使して、国際政局を精緻に読み抜いて誤らなかった。彼の目となり耳となったのは、ポーランド軍のユダヤ系情報将校たちだった。スギハラ諜報網を通じて吸い上げられる貴重な情報の代償は、六千人のユダヤ難民に発給する「命のビザ」だった。動乱の世が生んだヒューマニスト外交官は、類稀なインテリジェンス・オフィサーだったのである。
満洲時代の杉原はすでに完成された情報士官だった。北満鉄道の買収交渉では、白系露人の諜報網を使って、ソ連側を思うさま翻弄した。それゆえ、後にソ連当局から「好ましからざる人物」としてモスクワ勤務を拒まれている。優れたインテリジェンス・オフィサーは、シベリア狼のように足跡を残さないという。杉原もソ連側に諜報の手口を掴ませず、草叢にうっすらと匂いを残したにすぎない。
そんな杉原を射程に収める人物はたったひとり、本書の著者、白石仁章にちがいない。ロシア大使館と向かい合う外交史料館を訪ねれば、私の読み筋を確かな史料で裏付けてくれるはずだ――。外交公電のヤマに分け入る白石の手並みは、シベリアの荒野に潜む猟師のように冴えわたっていた。
『スギハラ・ダラー』の刊行からちょうど一年後に本書が刊行されたことは偶然ではない。白石仁章は、「命のビザ」のヒューマニズムの陰に隠れる杉原のインテリジェンス活動をくっきりと浮かび上がらせ、従来の杉原像を根底から書き換えてしまった。それを可能にしたのは、史料を渉猟する彼のインテリジェンス・センスだろう。
本書には「本邦初」が山積している。ソ連入国拒否の真の理由を突き止め、「命のビザ」を無効にしないための巧みな時間差工作の手口を明らかにし、ポーランド軍の情報将校との接触のディテールを暴いている。いずれも初めての快挙だ。
読者は、アームチェア・ディテクティヴの解決篇を読むように、危機の日々を戦々恐々として旅することになるだろう。その果てに、杉原千畝とは、従来より幾層倍ものスケールを持つ存在だったことに気づくにちがいない。同時に、この国が見失って久しい「真の国益」を垣間見ることになるはずだ。
(てしま・りゅういち 作家・外交ジャーナリスト)
波 2011年3月号より
担当編集者のひとこと
外務省のホームズ
トレジャー・ハンター――白石仁章氏のことを、出会った当初の私はそう呼んでいた。外交史料館で外交公電の山から宝を掘り出すことを公務として行っている人物である。石ころの間に金鉱脈を見つける腕前には定評があって、私はそのことを手嶋龍一氏から聞き及んでいた。
ライフワークの一つが杉原千畝研究と知り、実際に本書の原稿を貰うようになると、私は別の称号を捧げたくなった。それは「外務省のシャーロック・ホームズ」。
本書の後半部分、杉原がカウナスから本省に何度も公電を打ち、名高い「命のビザ」の有効性を保つためのアリバイ工作をする件を是非読んでいただきたい。死を宣告されたユダヤ人を現世に呼び戻す、不可能を可能にするミステリーの解決篇である。外務省のホームズがいなければ、杉原の諜報能力(インテリジェンス)は世に知られずに終わったろう。杉原のもたらした国益のスケールが、人道主義の物差だけで測るには大きすぎたせいでもある。
2016/04/27
キーワード
著者プロフィール
白石仁章
シライシ・マサアキ
1963(昭和38)年、東京生れ。上智大学大学院史学専攻博士課程修了。在学中の1989(平成元)年より外務省外交史料館に勤務し、現在に至る。専門は日本外交史とインテリジェンス・システム論。特に杉原千畝研究は25年にわたって追い続けてきたテーマである。ほかの著書に『プチャーチン――日本人が一番好きなロシア人』『六千人の命を救え! 外交官・杉原千畝』がある。