新潮新書
必死の1年
おかげさまで新潮新書はこの4月刊で創刊1周年を迎えます。いま私の机の前には1周年記念フェア用のパネルが掲げてあるのですが、そこには4月の新刊と一緒に、1年間に出した全60点の表紙がずらりと並んでいます。それを眺めるにつけ、「もう60冊も世に送り出したのか……」と感慨ひとしおです。
今だから明かしますが、創刊ラインナップが店頭に並んだ1年前の4月10日、家を出てまず立ち寄ったのは明治神宮でした。整理番号001番、ドナルド・キーンさんの『明治天皇を語る』にあやかってのことです。私はふだんはそう信心深いわけではないのですが、このときばかりは祈らずにはいられませんでした。まさに、苦しいときだけの神頼みですね。プロ野球選手たちがキャンプインの朝、お参りに行く心境がわかったような気がしました。
あの日、鞄に入れていた朝刊の一面は「フセイン体制崩壊」「バクダッド陥落」。まさか1年たって、イラクがこんなことになっていようとは。まさか、阪神が優勝して常勝軍団となっていようとは。まさか、いかりや長介さんが亡くなっていようとは。そして、まさか『バカの壁』がブームになり、新潮新書もこんなに読まれていようとは……。
新潮新書の創刊が伝えられたとき、出版界の大方の反応は「また新書創刊か」と冷ややかなものだったと思います。むろん期待してくださる方もありましたが、通用するかどうかは半信半疑だったでしょう。そりゃそうです。私たち自身も半信半疑でしたから。こんな飽和状態の新書の中に、あえて最後発で乗り込む意味はあるのか。編集部内でもずいぶん議論し、何度も自問自答しました。ただ、編集部内には「新書はまだまだ、やりようによっては可能性はあるはずだ」というぼんやりとした確信だけはありました。その「やりよう」を必死で模索し、工夫し、努力してきたのがこの1年だったように思います。
私自身は、「新書戦争」という言われ方にずっと疑問を感じていました。出版ジャーナリズムの世界では、1998年の文春新書創刊以降の状況を新書戦争とよく呼びます。しかし、私に言わせれば、新書戦争なんて今に始まった話ではないのです。1938年に岩波新書が登場し、1954年創刊のカッパブックスの大ブレークを経て、戦後の出版界は「新書」という器にさまざまな形で挑んできました。50年代から70年代にかけて、ありとあらゆる出版社が新書を出しています。それは古本屋をちょっと回ってみればすぐにわかることです。
例えば、ちょっと恥ずかしいですが、私が学生時代に雑多な関心のおもむくままに古本屋で買った新書を本棚から引っぱり出してみると――。『エリザベスとその時代』(創元新書、創元社)、『神話と教育』(新日本新書、新日本出版社)、『毛沢東の時代』(潮新書、潮出版社)、『美空ひばり』(フロンティア・ブックス、弘文堂、これは竹中労の名著!)『カイザーの世界政策と第一次世界大戦』(清水新書、清水書院)、『アフリカの自立化と経済』(国際問題新書、日本国際問題研究所)と何でもありです。『非武装中立論』(社会新書、日本社会党)などという化石のような本も出てきました。かつては新聞社だって新書を出していましたし、まさに百花繚乱だったのです(情けないことに、新潮社も60年代に「ポケット・ライブラリ」という新書を出していたと知ったのは、今の編集部に移ってからでしたが……)。
思えば、学生時代に山田風太郎の魅力にとりつかれて、「何か読んでないものはないか」と古本屋を探し回ったときに見つけたのも、ロマン・ブックス(講談社)やホリデー新書(実業之日本社)といった新書版でした。まだノベルズなどという言い方が出てくる前に出されていたシリーズです。
新書戦争というなら、戦後の出版界はずっと新書戦争なのです。たまたま、ここ20年~30年、岩波新書、中公新書、講談社現代新書が教養新書御三家などと呼ばれる時代が続いていたに過ぎません。新書イコール社会科学系のものを扱う教養新書である、などというのもかりそめの姿でしかありません。なにしろ岩波新書の創刊時には川端康成、横光利一、山本有三なども書いているのですから。
新書は時代のパラダイムの中で変わり続けてきたし、これからもおそらくそうでしょう。私たちにできることは、自分が生きている時代の読者に読んでもらえるような、あるいは読んで欲しいと思うに足るような魅力的な作品を、送り続けることだけです。
廉価で手に取りやすく、一つのテーマをコンパクトに知ることができる――そうした新書の特性を最大限に活かすべく、新潮新書は今後もさまざまな可能性にチャレンジしていきたいと思っています。
というわけで、2年目のスタートとなる今月刊(4月20日発売)にも、他社の新書とはひと味違うラインナップが揃いました。
『バカの壁』に続く養老孟司さんの第二弾『死の壁』、これまでの歴史観を覆す『聖徳太子はいなかった』(谷沢永一著)、日本独自の資本主義の源流に迫った『仏教と資本主義』(長部日出雄著)、NHKラジオの人気番組の舞台裏を明かす『眠れぬ夜のラジオ深夜便』(宇田川清江著)、川柳による世相クロニクルともいうべき『川柳うきよ鏡』(小沢昭一著)、そして禅僧芥川賞作家、玄侑宗久氏による『釈迦に説法』の6点です。
今回はタイトルの紹介のみにとどめますが、いずれも面白さには自信ありです。決して損はさせません! どうぞご期待ください。