新潮新書
赤シャツ少年団
あれは確か小学校の2年か3年の時だったと思います。図書室を「探検」する楽しみをおぼえ、何か面白そうな読み物はないかと物色していたある日のこと。古びた本の一群の中で、気になる1冊を見つけました。背表紙はすでにボロボロになったらしく、ガムテープで補修が施され、そこにマジックで『赤シャツ少年団』というタイトルが書いてある。私はその魅力的なタイトルに惹かれて、夢中になって読み始めました……。
『赤シャツ少年団』は、街の原っぱをめぐる二つの少年グループの戦いを描いたものでした。主人公は一方の少年団のミソっかす。少年たちは投票で大統領を選び、将軍やら大隊長やらも決めて、軍隊のような指揮系統があるのですが、主人公の少年だけがいつも「歩兵」の役回り。でもクライマックスの戦いの時に、この少年の勇敢な活躍で勝利を得る。およそそんなストーリーです。
翻訳モノの少年文学だったのですが、もちろん小学校低学年に正確な地理の知識があるわけがありません。当時はなんとなく「ヨーロッパのどこかの国の話」という程度で読んでいました。ただ、そのとき憶えていたのは、主人公がネメチェクという変わった名前だったということ、敵方の少年団の名前が「赤シャツ少年団」だったということです。「赤シャツ少年団」の少年たちは、何かを真似て、みんな赤いシャツを着ているという設定でした。そして、物語のラストで主人公は死んでしまう。「彼は勇敢だった」と双方の少年たちから讃えられますが、彼が必死に守ろうとした当の原っぱでは、やがてアパート建設のための工事が始まる……。ドキドキするようなドラマの展開と最後の喪失感が、子供ながらにも強く印象に残った作品でした。
中学、高校と進んでからも、できればもう一度読み返してみたいと思っていたのですが、作者名もわからず、そのまま忘れかけていました。ところが、高校で世界史を習った時に、「赤シャツ少年団」の謎が一つ解けたのです。イタリア統一戦争で活躍したガリバルディが、1860年の南イタリア攻撃の際に率いたのが「1000人の赤シャツ隊」だった――そんな記述を教科書で読んだ時に、「そうか、あの少年団はこれを真似ていたのか!」と、思わず膝を打ちました。
そして、東京の大学に進み、いつものように古本屋をぶらぶらしていたある日のこと。何気なく手にした本をパラパラめくってみると、「あの物語」がそこにあったのです。タイトルは『パール街の少年たち』。偕成社文庫の一冊でしたが、まちがいなく私が子供のときに読んだ「赤シャツ少年団」の話でした。その場ですぐに買って、改めて読み直してみると、いろんなことがわかりました。なんとなくイタリア近辺の話だと思っていたのが、ハンガリーのブダペストが舞台だったということ。作者のモルナール=フェレンツはハンガリーを代表する作家で、この本も少年文学の傑作として知られていること。書かれたのは1907年だったこと……。
大学生になっていた私が特に興味をおぼえたのは、なぜ一方の少年団がイタリアの「赤シャツ隊」を模していたのかということでした。その答えはどこにも書いてなかったけれども、私は勝手に合点がいきました。当時のハンガリーはハプスブルク朝の治下、オーストリア = ハンガリー二重帝国を構成する複雑な立場にありました。イタリアとオーストリアは「未回収のイタリア」をめぐって対立している。ハンガリーは帝国の構成員としてイタリアとは対峙しつつも、民族意識の高揚は無視できない。民族国家として統一を成し遂げたイタリアは、ハンガリー人にとってはある種の憧れの対象だったのではないか。だからこそ、「敵ながらあっぱれ」という感じで描かれている少年団の名は「赤シャツ少年団」だったのではないか。オーストリア人やドイツ人が一人も出てこないこと、少年たちのトップが皇帝ではなくて大統領であることなども、当時のハンガリー人の意識の代弁だったのではないか――。一つの物語を手がかりに、次々と想像が膨らんでいく。それは至福のひとときでした。
私たちは子供の時に、何の知識もないまま、いろいろな物語を読んで育ちます。それを大人の視点で読み直すと、実に様々な発見がある。『十五少年漂流記』『宝島』『フランダースの犬』『家なき子』『ドリトル先生物語』……こうした名作物語をもう一度読み解き、その謎に迫ったのが、長山靖生さんの『謎解き 少年少女世界の名作』(6月刊)です。「新潮45」で15回にわたって連載していただいたものをまとめた本ですが、「少年少女世界の名作」を読んで育ったすべての大人に是非読んで欲しいと思います。これらの物語が書かれた時代背景だけでなく、なぜそれが日本で翻訳され、人気を博したのかもよくわかります。まさに目からウロコの連続。一粒で二度おいしい、ではないですけれども、子供の頃に親しんだ物語を違う視点から堪能できますし、世界が違って見えてくること請け合いです。
「少年少女世界の名作」シリーズといえば、いろんな出版社から出ていますが、かつてはかなり思い切った作品の選び方もしていました。河出書房から出されていた「少年少女 世界の文学」には、ロシア文学史の中で異彩を放つアレクサンドル・グリーンの『深紅の帆』という作品も収められています。私は大学生の頃、ハヤカワ文庫の『黄金の鎖』という作品でこの作家の存在を知ったのですが、1920年代のロシアで活躍した作家とは思えない、ロマンチシズム溢れる幻想文学の書き手です。残念ながら今ではほとんどが絶版になっているようですが、どこかで復刊ができないものでしょうか。あの時代になぜあのような作品を書いたのか、1920年代のモダニズムとの関連でどなたか研究されると面白いと思うのですが……。
さて、「赤シャツ少年団」の影響というわけではないのですが、私はその後、大学では史学科に進み、19世紀のユーゴスラビアの民族運動を研究テーマに選びました。私にとっては「民族とは何か」という問いは、大きな関心事だったのです。
そのころ読んだ新書で、いろいろな示唆を受けたのが、岩波新書の『ことばと国家』(田中克彦著)でした。これは言語学の観点から、民族とは何か、国家とは何かというテーマに迫ったもので、実に刺激に満ちた新書です。岩波新書の黄版を代表する名著の一つだと思います。1981年に書かれたものですが、この視点はいまでも充分に有効です。今日の民族問題や国際問題を理解する上でも、多くのヒントを与えてくれるはずです。