瀬戸内寂聴全集 〔第一巻〕〈短篇1〉
7,150円(税込)
発売日:2001/01/25
- 書籍
瀬戸内寂聴にとって生きることは、すなわち書くこと、愛することだった。
二十一世紀の読者に向けて、著者自らが精選した決定版全集。中短篇・長篇小説・随筆を編年体で編集し、全収録作品に著者自らによる加筆修正を行い、各巻に解説も書下ろした。第一巻は新潮社同人雑誌賞を受賞したデビュー作「女子大生・曲愛玲(チュイアイリン)」の他、「花芯」、「夏の終り」(女流文学賞受賞)など初期短篇十六編を収録。
花芯
いろ
夏の終り
雉子
みれん
あふれるもの
花冷え
霊柩車
けものの匂い
帰らぬ人
妬心
焚死
花野
地獄ばやし
歳月
解題
書誌情報
読み仮名 | セトウチジャクチョウゼンシュウ01タンペン1 |
---|---|
シリーズ名 | 全集・著作集 |
全集双書名 | 瀬戸内寂聴全集 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 602ページ |
ISBN | 978-4-10-646401-0 |
C-CODE | 0393 |
ジャンル | 全集・選書 |
定価 | 7,150円 |
インタビュー/対談/エッセイ
「生きることは、書くことだった」
初期短篇の素晴らしさ/「死と別れ」すなわち「孤独」を書く/はみ出した女たち/「不良」文学へ
二○○一年一月から「瀬戸内寂聴全集」(全二十巻)の刊行が始まる。中短篇・長篇小説・随筆を、それぞれ原則として編年体で編集し、全収録作品に著者による加筆修正が行われている。さらに各巻に、著者自身による書下ろしの解説を収録。二十一世紀の読者に向けて、著者自らが精選した決定版全集となる。
●初期短篇の素晴らしさ
瀬戸内 私はね、まだ全く世にも出ていない、同人誌にも載るか載らないかという時から、同人雑誌の友だちと全集の話ばっかりしていたんですよ。早く全集を出したいって。ろくに食べるものもなく、水飲んでいてもいつかは自分たちではひとかどの小説家になるって信じていたんでしょうね(笑)。だから、今度ようやく全集を出してもらえることになってうれしくて……。
久世 今回の全集ではまず一巻の短篇群がいいですよね。僕はデビュー作の「女子大生・曲愛玲(チユイアイリン)」という小説をリアルタイムで読んでいるんですよ。確か「新潮」だったと思うけど、これは昭和三十二年ですね。僕はまだ大学に入ったばかりだったんだけれど、色っぽい年上の女(ひと)が書いたんだ、ってとても印象的だった。
瀬戸内 新潮社同人雑誌賞を受賞した作品なんです。今回の全集には、全作品について自分で解説を書くことにしているんですけれど、そのために当時の選評を読んだら、意外に誰も褒めてくれてないのよ。三島由紀夫さんが「官能性の一語を以て推す」と言って、井伏鱒二さんが「色慾描写を買う」って書いてくださっているんだけれど、むしろ評判悪かったんですよ。他も低調だったんです。それなのにあの時何であんなにうれしかったんだろうと今、不思議で(笑)。
久世 僕は今回、瀬戸内さんの初期短篇を読み直して、あの頃を再発見した気がしたなあ。読んだときの自分をも思い出してしまったし……。「女子大生・曲愛玲」と「花芯」の間は何年くらい空いているんですか?
瀬戸内 ほとんどないです。「花芯」は昭和三十二年十月の「新潮」だから。
久世 無礼なことを言いますけれど、ほんの少しの間に、ずい分うまくなっているんですよね。
瀬戸内 ありがとう。「花芯」は褒めてくれる人が少ないの。新潮社同人雑誌賞受賞第一作と言うことで、こちらは張り切って百枚ぐらい書いたのに、削られて六十枚になってしまったし。
久世 僕はその時二十二歳だから、やっぱり色々あの作品には感じたけれど、それは今でいう「ポルノグラフィ」じゃなくて、ちょっと目線を上に上げた感じのエロティシズムというものだったような気がしますね。
瀬戸内 当時は「子宮作家」というレッテルを貼られて、その後五年間文芸誌から依頼がなかったぐらい酷評されたんですよ。
久世 でも、あれは「気持ち」の色っぽさですよね。夢中になってしながら、したくない、したくないって呟いているみたいな――僕らには永遠にわからない女の人の生理的なものが言葉になっているという感じで、そうした緋色の靄のようなものを描いた意味であの作品を越えるものはちょっとないんじゃないかな。
瀬戸内 結局、恋愛は肉体より精神だということを言いたかったんですよ。それを全く反対に取られちゃったんですよ。その後「現代のポルノグラフィ」というのは、最大の賛美の言葉として使われているけれど、私のときはそれが悪いこととしてひどい目にあったんですからね。そのときに一緒に、石原慎太郎さんの「完全な遊戯」という作品も叩かれたの。マスコミに追随しているとか、エロに媚びているとか書かれて。石原慎太郎さんはその時すでに「太陽の季節」を書いたスター作家だったから悪評されても干されなかったけれど、ずいぶん腹は立ったみたいで、会ったこともないのに電話を下さったのよ。「瀬戸内さん、僕たちの小説は決して悪いものじゃない。将来自分の文学全集が出るときには必ず僕はその中に入れてやる。瀬戸内さんもあれはいい作品だから、絶対に全集の中に入れなさい」って。それ以来、私は慎太郎さんと仲がいいんですよ。
●「死と別れ」すなわち「孤独」を書く
久世 その後に書かれた「夏の終り」がまたいいですよね。これも好きな小説です。この作品では、文章のつながりがまこと気持ちがいいんですよ。接続の仕方というか、転調の妙というか、そこにリズムがあるんですね。この女の声を聞きたい、と読者が思うときに、ちゃんと台詞があるんですよ。僕もドラマの演出ではそういうリズムを考えますけれど、この作品はそういう点でもうまいんだなあ。それに一つの文章の長さ短かさとか流れとか、文章読本にしてもいいと思う。
瀬戸内 死ぬ前に一番好きな作品を挙げろと言われたら、やっぱり「夏の終り」でしょうね。読み直すと未熟なところもいっぱいありますが、三十代の終わりごろ、作家として欲得なく張り切っているんです。
久世 この小説は絶賛しますよ、僕は。瀬戸内晴美時代の白眉です。
瀬戸内 いま「新潮」に連載している「場所」という作品で、「夏の終り」の舞台になったところも全部訪ねているんです。もう四十年経っていますから、家も何も残っていないけれど、そこへ行くと土地の記憶と言うものが足の裏から語りかけてくれるんですね。それを、じいっと考えていると、四十年前あの男がああ言ったのはこういう意味だったんじゃないか、とかわかってくるんですね。今になってはもう取り返しのつかないことですけれどね。
久世 そういうふうに悔いるのではなく、ふっと思い当たるというところが、さやかでいいですよね。
瀬戸内 結局ずっと私は死を書いてきているんですね。「死と別れ」ということは、すなわち孤独を書くことですけれども、私の歳になると、もう周りは全部死ぬのよ。長生きするということは、こういう目に遭うことだなあと思うのよ、最近(笑)。この全集にも入れたんですけれど、「霊柩車」っていう短篇があるんですよ。私の父親の話なんだけれど……。
久世 確か指物職人でいらしたんですよね。
瀬戸内 全部自分で手をかけて仕事をして、日本一豪華だと自慢していた霊柩車で、市からの依頼で作ったものなんだけれど、戦後まで焼けないで残っていたので、最後は自分で作った霊柩車に入って送られたという話です。これは吉行淳之介さんが編集長をしていたときの雑誌「風景」に書いたんですよ。吉行さんに依頼されて、光栄に思ってうれしくてね。吉行さんは本当に格好よかったんですよ。
久世 僕がちょうど学生の頃のスター作家ですよね。〈第三の新人〉には安岡章太郎さんや遠藤周作さんがいて、僕らの仲間の中ではやっぱり吉行さんが一番人気がありました。僕自身は小沼丹さんが好きでした。
瀬戸内 でもね、みんな死んじゃって……。これはやっぱりすごいことですよ。久世さんはまだ若いからお友だちはそんなに死んでいないだろうけど、あなたも「週刊新潮」の連載エッセイの「死のある風景」でずっと死について書いてきていますよね。
久世 今度また、連載をまとめた二冊目の『薔薇に溺れて 死のある風景』(十二月、新潮社刊)という本を出したんです。僕が死について書くのは、やはり十歳で戦災を体験して、死体をゴロゴロ見たことからですかね。十歳の子供に非常に強烈な体験でしたから。
瀬戸内 私はちょうどその頃は北京へお嫁に行っていたので、戦災というのを実は全く知らないんですよ。あの本の中で久世さんは、遺書について書いていらっしゃるでしょう。私、吉行淳之介さんの遺書を見たことがあるんですよ。いつも使っている原稿用紙にきれいな字できちんと書いてありました。あの人は遺書をいつ書いたのか知らないけれど、湯浅芳子さんは毎年お正月に遺書を書き直していました。
久世 加藤治子さんが全く同じですよ。瀬戸内さんと同じお歳ですけれど、毎年大晦日に遺書を書き直す。大晦日にその一年を振り返って、あの人は意地悪だったから、とか思い出して名前を消したりしているらしい。加藤さんと瀬戸内さんは、同じ大正十一年生まれの、色っぽい双璧ですねえ。
瀬戸内 私なんかは今、もういつ死んだっていいの。全集も出ることだし(笑)。
久世 そういう人が一番長生きなんですよ。森繁久彌さんなんて、二十年以上前から「もう俺は死ぬ」って言い続けてますからね。加藤治子さんもそうですよ。
瀬戸内 そうかしら(笑)。でも「死のある風景」は死を書いていてもきれいで、暗くなくて、全編詩のようで、ちょっと格調高くていい連載ですよ。これからも楽しみにしていますよ。
久世 僕は演出が仕事なのでつい考えちゃうんですが、「夏の終り」などの短篇は是非ドラマ化してみたいなあ。
瀬戸内 まあ、ありがとう。この間、香港映画のウォン・カーウァイ監督と会いましてね。そうしたら、中国で「夏の終り」を読んでいて、映画にしたいっていうんですよ。それで、登場人物の若い方の男をキムタクにやらせたいって言うんだけれど。
久世 僕がドラマにするときは、「あふれるもの」の女が若い男に会いに、銭湯に行くのを装って走っていくところなんて感動的なシーンだなあと思うんですよ。何かしに行くんじゃない、ほんの三十秒か一分、ただ男の顔を見に行くんですよね。
瀬戸内 それを結構誤解されているんですよ。洗面器に石鹸を入れて、走るとコトコト音がしちゃうから、タオルでしっかりくるんで走るんですよ。それで男の部屋へ行って、走っていったから汚くなった足を、ただ洗って拭いてすぐ帰るのよ。ちゃんとわかるわよね?
久世 わかりますよ、それは大丈夫です。
●はみ出した女たち
久世 瀬戸内作品の中で、僕はまず短篇に惹かれるんだけれども、その次は「美は乱調にあり」などの伝記ものが好きなんですよね。大杉栄や伊藤野枝の時代にとても興味があるということもあるんですが……。
瀬戸内 久世さんは私よりずっと若いのに、私が若い頃に読んだものと久世さんが読んだものが一緒なのね。例えばあなたも北原白秋が好きなのよね?
久世 白秋と三人の妻を描いた「ここ過ぎて」は非常に好きなんです。僕はこの作品とシンメトリーに、白秋の側からも書きたいという思いがあるんですよ。
瀬戸内 まだ白秋はいっぱい書くことがありますよ。久世さんだったら書けると思うわ。是非お書きなさいね。
久世 自信はないけれど、そのうちに書きたいと思っています。それで今回、是非直接お聞きしたかったのは、「遠い声」の幸徳秋水と管野須賀子であり、伊藤野枝であり、そういう女の人たちに、瀬戸内さんが心駆られるのは何故なんでしょう?
瀬戸内 私がもしもあの頃に生まれていたら、ああなっていただろうと思うんです。
久世 そういう革命憧憬みたいな素質がおありなんですか。
瀬戸内 今でもあります。正義感が強いでしょう。それで単純なのね。これは世のため人のためと思うと命なんか要らないんですね。そういう馬鹿なところがあるんですよ。管野須賀子も伊藤野枝にしたって非常に単純な女で、しかも情熱があり余っていたんですよ。私はその情熱に感じるものがあるの。
久世 「余白の春」の金子文子もそうですか?
瀬戸内 大変に頭のいい人です。でも規格に入らない。何かこう、はみ出す情熱があるんですね。だから私は、真っ直ぐおさまる人には余り魅力を感じない。はみ出して、世間からははじき出されて、という人たちが好きなんですよ。私があの時代に生きていたら、多分ああいうことをしていたと思うんです。
●「不良」文学へ
久世 「田村俊子」や「かの子撩乱」の岡本かの子もずいぶんはみ出していましたけれど、その中では誰が一番興味深いですか。
瀬戸内 最初から不良の人の方が好きなの。やっぱり管野須賀子かな。一番かわいそうだけれど、面白かった。荒畑寒村さんからもいろいろ聞くことができたから、やっぱり興味深いですよ。伊藤野枝も面白いですけれどね、次から次へと十二人ぐらい子供を産んで……。
久世 今たまたま瀬戸内さんの口から「不良」という言葉が出たけれども、ある言い方をすると、瀬戸内晴美の文学は「不良の文学」であると思う。僕らの頃の不良と言うのは、男も女もすごくチャーミングでロマンがあったんですよね。走る炎みたいで、はかなくて。
瀬戸内 私は女学校を卒業するまでずっと模範生だったんですよ、それが嫌でしてね。その頃から不良に憧れていたの。でも何もできなくって、結婚してもいい奥さんで、終戦で帰ってきてからやっと不良になったのよ。その時にもうせいせいした(笑)。軌道からはずれて、あの人は不良だと言うレッテルを貼られると、すごく自由になった。出家してからまたもっと自由になった。これ以上の自由はないから、あの世へ行っても大して面白くないんじゃないかと思う(笑)。
久世 僕はものすごく憧れたけれど、結局不良にはなれなかった。だから瀬戸内さんには是非、不良に戻っていただきたいなあ。戻るというか、今でもかなりの不良なんでしょうけれど、もっと不良ぶりを出していって欲しいんだなあ。
瀬戸内 そう言われると、やっぱりうれしいわね。
久世 「瀬戸内寂聴」って言うと、今の人たちはもう「不良」だなんて思っていないと思う。でも、僕の中ではいつまでも、瀬戸内さんは「寂聴」じゃなくて「瀬戸内晴美」なんだな。
瀬戸内 そうね、今は不良だと思われないかもしれないわね。
久世 カタログに「第十八巻 新作長篇」って書いてあるじゃないですか。この作品は、是非とも不良小説を書いて、不良の瀬戸内寂聴を世間にアピールしてください。不良の尼さんなんて、ドキドキします。
(せとうち・じゃくちょう 作家)
(くぜ・てるひこ 作家・演出家)
波 2001年1月号より
▼「瀬戸内寂聴全集」第一巻は、一月刊
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著者プロフィール
瀬戸内寂聴
セトウチ・ジャクチョウ
(1922-2021)1922年、徳島県生れ。東京女子大学卒。1957(昭和32)年「女子大生・曲愛玲」で新潮社同人雑誌賞、1961年『田村俊子』で田村俊子賞、1963年『夏の終り』で女流文学賞を受賞。1973年11月14日平泉中尊寺で得度。法名寂聴(旧名晴美)。1992(平成4)年『花に問え』で谷崎潤一郎賞、1996年『白道』で芸術選奨文部大臣賞、2001年『場所』で野間文芸賞、2011年に『風景』で泉鏡花文学賞、2018年『句集 ひとり』で星野立子賞を受賞。2006年、文化勲章を受章。著書に『比叡』『かの子撩乱』『美は乱調にあり』『青鞜』『現代語訳 源氏物語』『秘花』『爛』『わかれ』『いのち』『私解説 ペン一本で生きてきた』など多数。2001年より『瀬戸内寂聴全集』(第一期全20巻)が刊行され、2022(令和4)年に同全集第二期(全5巻)が完結。2021年11月9日99歳で逝去。