これを語りて日本人を戦慄せしめよ―柳田国男が言いたかったこと―
1,430円(税込)
発売日:2014/03/28
- 書籍
- 電子書籍あり
日本民俗学の母胎となる『遠野物語』の序文に記された激烈な言葉の意味は?
明治末刊行の代表作『遠野物語』に続き、『山の人生』では、さらに山間部の壮絶な人間苦が描かれた。近代を謳歌する当時にあって、柳田は文明から隔てられた過酷な人生に目を向け、そして晩年の『海上の道』では日本文化の根源を大胆に語った。その半生を俯瞰し、新しい学問・民俗学を通した日本人へのメッセージを探る。
目次
まえがき
第一章 普遍化志向
落日の中の民俗学/サイノカワラ/屍とは何か/柳田の普遍化、折口の始原化/あの世とこの世
第二章 平地人を戦慄せしめよ
二つの異常な話/物深い民俗学/歴史学に対する戦い
第三章 偉大なる人間苦
マルクス、そしてガンディー/「巫女」と「毛坊主」/「考」から「史」へ/「人間苦」を救済するのは誰か
第四章 折口信夫
承認と拒絶/折口の「乞食者」論/雑誌の掲載拒否/モノモラヒの話/菅江真澄の歩き方/折口の乞食願望
第五章 二宮尊徳の思想
「維新」三つの選択/中国と二宮尊徳/賢治、柳田、尊徳/報徳仕法
第六章 ジャーナリストの眼
民俗学は現在学/羽仁五郎、三木清、戸坂潤/西洋の真似でないモンペ、モモヒキ/国民服前史/「零落」史観/ガンディーとの共通点
第七章 「翁さび」の世界
フィレンツェのひらめき/折口の翁、柳田の童子/若草は老いたる死の上に/老いの絶望と叡智
終 章 日本文化の源流
君、その話を僕に呉れ給へよ/大和人の源流/南から北へ
書誌情報
読み仮名 | コレヲカタリテニホンジンヲセンリツセシメヨヤナギタクニオガイイタカッタコト |
---|---|
シリーズ名 | 新潮選書 |
雑誌から生まれた本 | 考える人から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 240ページ |
ISBN | 978-4-10-603743-6 |
C-CODE | 0339 |
ジャンル | 文化人類学・民俗学 |
定価 | 1,430円 |
電子書籍 価格 | 1,144円 |
電子書籍 配信開始日 | 2014/09/26 |
インタビュー/対談/エッセイ
波 2014年4月号より ハイカラな本にはロクなものがない
私は定年を迎えて最後の職場を離れるとき、これからあとは柳田国男と長谷川伸を読んで暮そうと思うようになっていた。二人の全集を手元において、読み直したり、ひろい読みしたりして過そうと、ひそかな楽しみにしていたのである。
幸いにも、その思いを文章にする機会がめぐってきて、先年、新潮選書から『義理と人情―長谷川伸と日本人のこころ―』を出してもらうことができた。それで永年の渇きのようなものが癒されたのであるが、一呼吸おいて、こんどは柳田国男についての文章も書かせてもらい、それがふたたび同じ選書の姿で刊行されることになった。
ハイカラな本にはロクなものがない。
柳田国男を読むといい!
生前の小林秀雄が、ある講演でそういったそうだ。
そのような言葉をきけば、いまさらのように胸を衝かれる。あらためて、それはそうだなと心から思う。小林秀雄がいおうとしていることに共感しないわけにはいかない。自分なども、ずい分とハイカラな本ばかりを有難がって読んできたからだった。ハイカラ、ハイカラと、その尻ばかりを追いかけてきた自分の姿が思い返される。
柳田国男というとひまさえあればこの国の村や里や山地を旅して歩いていた。全国どこへでも足をのばし、くまなく歩き回っていたように思う。もちろん海をへだてた島々にも、船にゆられて渡っていった。
その旅から旅への生活のなかで、疲れたような顔をすこしもみせていないのが、やはり凄い。足腰がよほどしっかりしていたのだろう。部屋にこもってハイカラな本ばかりを読んでいては、とてもああはならなかったにちがいない。その土地土地の、いろんな人びとと出会って話をききだすのが好きだった。無類のきき上手だったのだろう。
やがて柳田の旅は、スイスのジュネーブまでのびていった。その遠い国への旅のなかで、かれの視線はしだいに高度を上げ、日本列島のぜんたいを眼下に収める展望がひらけていった。さしずめ宇宙衛星から見下ろされる日本列島のイメージが、地球儀をくるくる回すように浮かび上ってきたのではないだろうか。
中国大陸の南端から、黒潮にのって大海原に漕ぎだしていく人びとの流れがあらわれ、それが沖縄諸島をぬって島伝いに北上し、ついに細長い日本列島へとつづいていく。
「海上の道」の流れ、である。柳田国男がハイカラな世界への道を脱ぎ捨て、終生かけて旅のなかで考えつづけた仮説である。太古の昔、われわれの先祖は、中国大陸を脱出して海をわたり、北上をつづけてついに日本列島を発見したのである、と。
今日の時点で日本列島を世界にどう位置づけるか、柳田の考え方が新鮮な輝きを放って蘇ってくるのではないだろうか。
幸いにも、その思いを文章にする機会がめぐってきて、先年、新潮選書から『義理と人情―長谷川伸と日本人のこころ―』を出してもらうことができた。それで永年の渇きのようなものが癒されたのであるが、一呼吸おいて、こんどは柳田国男についての文章も書かせてもらい、それがふたたび同じ選書の姿で刊行されることになった。
ハイカラな本にはロクなものがない。
柳田国男を読むといい!
生前の小林秀雄が、ある講演でそういったそうだ。
そのような言葉をきけば、いまさらのように胸を衝かれる。あらためて、それはそうだなと心から思う。小林秀雄がいおうとしていることに共感しないわけにはいかない。自分なども、ずい分とハイカラな本ばかりを有難がって読んできたからだった。ハイカラ、ハイカラと、その尻ばかりを追いかけてきた自分の姿が思い返される。
柳田国男というとひまさえあればこの国の村や里や山地を旅して歩いていた。全国どこへでも足をのばし、くまなく歩き回っていたように思う。もちろん海をへだてた島々にも、船にゆられて渡っていった。
その旅から旅への生活のなかで、疲れたような顔をすこしもみせていないのが、やはり凄い。足腰がよほどしっかりしていたのだろう。部屋にこもってハイカラな本ばかりを読んでいては、とてもああはならなかったにちがいない。その土地土地の、いろんな人びとと出会って話をききだすのが好きだった。無類のきき上手だったのだろう。
やがて柳田の旅は、スイスのジュネーブまでのびていった。その遠い国への旅のなかで、かれの視線はしだいに高度を上げ、日本列島のぜんたいを眼下に収める展望がひらけていった。さしずめ宇宙衛星から見下ろされる日本列島のイメージが、地球儀をくるくる回すように浮かび上ってきたのではないだろうか。
中国大陸の南端から、黒潮にのって大海原に漕ぎだしていく人びとの流れがあらわれ、それが沖縄諸島をぬって島伝いに北上し、ついに細長い日本列島へとつづいていく。
「海上の道」の流れ、である。柳田国男がハイカラな世界への道を脱ぎ捨て、終生かけて旅のなかで考えつづけた仮説である。太古の昔、われわれの先祖は、中国大陸を脱出して海をわたり、北上をつづけてついに日本列島を発見したのである、と。
今日の時点で日本列島を世界にどう位置づけるか、柳田の考え方が新鮮な輝きを放って蘇ってくるのではないだろうか。
(やまおり・てつお 評論家)
著者プロフィール
山折哲雄
ヤマオリ・テツオ
宗教学者、評論家。1931(昭和6)年、サンフランシスコ生まれ。1954年、東北大学インド哲学科卒業。国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)、国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。著書に『義理と人情 長谷川伸と日本人のこころ』『これを語りて日本人を戦慄せしめよ 柳田国男が言いたかったこと』『「ひとり」の哲学』など多数。
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