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歴史を考えるヒント

網野善彦/著

1,210円(税込)

発売日:2001/01/31

  • 書籍

「日本」という国名は誰が決めたのか。その意味は? 言葉から見えてくる私たちの歴史。

「日本」という国名はいつ誰が決めたのか? その意味は? 「自然」は十四世紀にもネイチャーの意味だったのでしょうか。いいえ、「おのずから」「万一」の意味だったのです。言葉を通して、日本列島の西と東の違い、金融の発達と神仏との関係、女性の活動など、多様な「日本社会」の歴史と文化を平明に語ります。

書誌情報

読み仮名 レキシヲカンガエルヒント
シリーズ名 新潮選書
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 192ページ
ISBN 978-4-10-600597-8
C-CODE 0321
ジャンル 日本史
定価 1,210円

書評

“異端の歴史家”の真実

清水克行

 1980年代からゼロ年代にかけて日本中世史ブームを巻き起こし、「日本」論や「日本人」論の脱構築を試みた歴史学者、網野善彦さんが亡くなって、今年で二十年が経つという。このタイミングで、代表作『無縁・公界・楽』、『異形の王権』などを刊行している平凡社ライブラリーは没後二十年のフェアを展開し、岩波文庫には研究書『中世荘園の様相』、『日本中世の非農業民と天皇』が“新たな古典”として収められた。亡くなって二十年も経つ学者の著作が、これほど売れ続けるのは稀有なことだろう。
 ただ、晩年のご活躍を学界の内側から見ていた者からすると、ここのところの網野さんの一般読書界での語られ方に、やや危ういものを感じるところがある。私自身、これまで何人もの一般の網野ファンの方から「網野さんって、学界では評価が低かったんですよね?」とか、「網野さんは研究者のなかでは“異端”な存在だったんですよね?」と尋ねられたことがある。そのつど私は「そんなことはありませんよ」と否定するのだが、そうした答えに多くの方々はなぜか夢が破られたような、少しガッカリした反応をなさる。たぶん彼らは“旧弊で排他的な学界”と、それに抗う“異端の歴史家”というイメージを勝手に網野さんに投影させて応援していたようなのだ(そこには、生前、ことあるごとに自分が学界の「落ちこぼれ」であると過度に卑下した網野さん自身にも少なからぬ責任があると思う)。
 しかし、網野さんの場合、彼が提唱した「荘園公領制」という用語はしっかり歴史用語として定着して、今や教科書にも載っているし、東寺領荘園研究や様々な生業史など、網野さんが築いた基礎のうえに現在の研究があるものも少なくない。もちろん、その研究のすべてが肯定される研究者などいるはずもなく、いくら網野さんの見解でも、その後の研究の進展により評価が修正されているものはいくつもある。それらを考えると、網野さんは一般のイメージとは異なり、“異端”どころか、むしろ、きわめてオーソドックスな歴史学者なのだ。
 網野さんの一般向け著作は無数にあるが、なかでも『歴史を考えるヒント』は、そんな網野さんの伝統的で正統派の一面を、もっとも良くうかがい知ることのできる著作だろう。本書は歴史のなかの“ことば”を主題にした一般向け連続講座の内容をもとに編まれたものだが、一読すれば、読者は「日本」や「百姓」という“ことば”の不用意な使用が、いかに私たちの思考を縛っているかという、いつもの網野節に心惹かれるに違いない。ただ、そうした主題の陰で、網野さんは「切符」の「切」は何を意味するか、「株式会社」の「式」とは何か、「九州」という地域名が出てくる文書に偽文書が多い、ということに意外なほど立ち入って解説している。私などは、こうした些細なくだりに「網野史学」の真骨頂を感じとってしまうのだ。
 網野さんは民俗学や考古学の成果や手法を歴史研究に積極的に取り入れて、日本史像を豊かにした学者として知られるが、実はその本領は古文書研究にある。彼が、東大古文書学の泰斗、佐藤進一の学風を受け継ぐ研究者であることは意外に一般には知られていない。古文書のなかの一字一句の解釈を疎かにしない、その厳格な学風は網野さんにも正しく継承されており、本書のなかでも“ことば”の大事さは次のように強調されている。「それが使われていたときの言葉の意味を正確にとらえながら中世の文書を読み解いていくと、予期しない世界が開けてくることがあるわけで、そこに『歴史』という学問の面白味があるとも言えると思います」(一七七~一七八頁)。
「関東」「関西」「中国」「四国」など現在当たり前に使われている地域呼称も、その発生を辿ってゆくと、それぞれの地域が歩んだ列島内部の多様な個性が明らかとなる。「日本」という国号はいつ生まれたのか? 「百姓」は農民なのか? という網野さんのお決まりの主張も、そうした“ことば”に対する鋭敏な感性や幾多の古文書を熟覧した経験から生み出されたものなのである。そのことは同時代を生きた歴史学者なら誰もが知るところで、だからこそ、多くの歴史学者は今も網野さんに敬意を表し、生前からその言動に一目も二目も置いていたのだ。
 没後二十年、この機会に網野さんの著作に初めて触れてみたいと思っている人も、これまでいくつかの本を読んで、網野さんを“異端の歴史家”だと思い込んでいた人も、本書を読めば、その独創性を支えた頑強で筋の通った屋台骨の一端を知ることができるに違いない。

(しみず・かつゆき 歴史学者、明治大学教授)

波 2024年6月号より

インタビュー/対談/エッセイ

素朴な疑問を大切に

網野善彦

「刷り込み」を排して

――思いがけないご病気で手術をなさったと聞き、心配している読者も多いと思います。順調にご快復でしょうか。

 2000年3月の定期健康診断で肺ガンがみつかり、4月末に右肺中下葉切除の手術を受けました。全く何の自覚症状もなかったので、本当にびっくりしました。もっとも、十六歳の時からたばこは吸っていたんですよ。戦争中でしたから、他に楽しみもなかったので、たばこを吸わない人の配給の分をもらって、つい吸いはじめました。それからずっとで、多いときは一日二箱以上は吸っていたでしょうね。六十六歳になった時に、喫煙五十周年を記念して(笑)禁煙したのですが、お医者さんからは「それでは遅い」と言われてしまいました。不幸中の幸いで、どこにも転移していなかったのでまだ生きのびており、大分元気になりましたが、体力はやはり衰えましたね。

――たばこは日本にはいつ入ってきたのでしょうか。

 北海道の上ノ国町で発掘中の丘陵上の勝山館遺跡で、十六世紀半ば以前のものと考えられるキセルがたくさん見つかっています。梅毒にかかった人の骨、紅をといた皿などもありました。たばこが遊女、遊廓と深く関わっていることは、江戸時代の浮世絵や歌舞伎などからもおわかりでしょうが、勝山館遺跡にもその形跡があります。館(城館)といっても都市のような実態だったといえますね。十七世紀初めの秋田の院内銀山町には、たばこ屋があり、税金を負担していますから、そのころまでにはたばこは栽培され、産業としても発展していたのでしょう。それはともかく、たばこはほどほどにしたほうがいいようですね。私自身は、“一病息災”という言葉があるように、これからは無理はせずに、と思っています。

――今度の『歴史を考えるヒント』(「波」連載の「歴史のなかの言葉」を改題)は、まさしくその「言葉」を扱っておられますね。我々が日常なにげなく使っている「手」とか「自然」「自由」などの言葉にも歴史があって、時代によって意味が異なっていること、誤って認識している言葉もあることをまず指摘されています。

 あちこちで申しあげているので繰り返しになりますが、その代表的な事例が「百姓」ですね。いまでもほとんどの日本人は「百姓は農民」と思っているのではないでしょうか。しかしこれは主として明治以降の「刷り込み」で、本来「百姓」は、さまざまな生業に携わっている普通の人々のことを指す言葉でした。また、日本は「孤立した島国」であり、四方の海は国境であるという考え方も近代以降のものです。実際には海の道を使って、東西南北から、活発な人や物の出入りがありました。
 アイヌと本州人の関係についても同じような「刷り込み」がありますね。たとえば先ほどお話した勝山館遺跡やその近くの港町から、アイヌ民族と本州人が一緒に住んでいたことの証拠になる遺物が発掘されているんですよ。これまで、アイヌは本州人によって早くから一方的に搾取・抑圧されてきたと考えられてきました。しかし江戸時代までは相互に活発な交易を行い、混住していたと考えられるのです。両者の間に対立、戦争もあったことはもちろん事実ですが、本州でも戦国期には戦争が日常だったわけですから、アイヌと本州人が常に敵対していたという見方は考え直す必要があると思います。

――では、なぜアイヌ民族は激減していったのでしょう?

 江戸時代の後期以降、木綿の栽培などが盛んになって、その肥料としてニシンが大量に使われるようになりました。そのため商人が大きな資本を投下して北海道で大がかりなニシン漁を始めたのです。アイヌはその労働力として低賃金で使われ、本州人が持ちこんだ病気にかかって亡くなる人が多かったのです。それでも最近の研究によって江戸時代のアイヌはまだ独自の漁業の権利を持っていたことがわかっていますが、明治以降、政府に農業を強制され、本来の生活形態を破壊されてしまいます。アイヌにとって土地や川には「縄ばり」はあっても特定の個人のものとは考えられていませんでしたから、近代的な土地所有権の強要によってその権利を失っていったのです。こうした問題については、テッサ・モーリス=鈴木さんが『辺境から眺める アイヌが経験する近代』(みすず書房)で詳しく言及されていますよ。

「日本はいつ始まったの?」

――「我々は、『日本』をあたかも天から授かった国名のように、今もぼんやりと使い続けている」とおっしゃっていますが、その通りですね。中国大陸の国名は次々に変わるので周・秦・漢・隋・唐などと覚えたにもかかわらず……。

 お子さんに「日本はいつから始まったの?」と訊かれてうろたえてしまったという人がいましたよ。この国名がいつ決まったのか、やはりほとんどの日本人が知りませんね。それにしても、子どもの素朴な疑問は大切ですね。私も、高校の教師をしていたころ、生徒たちの質問にたじろぐことが度々ありました。たとえば、「古代から大陸とは盛んに交流していたと先生は言うけれど、遣唐使は命懸けで、難破した船がたくさんあったんでしょう? 造船技術が退化したのですか」とか「鎌倉時代に優れた宗教家がたくさん出現したのはなぜですか。変革期だと先生は言われますが、変革期は他にもあったでしょう?」というような質問です。とても答えられなくて、「わかりません」と頭を下げました(笑)。でも、そうした質問、特に後者はその後もずっと気になっていました。三年ほど前に刊行した『日本中世に何が起きたか』(日本エディタースクール出版部)あたりでやっと少しは答えることができたかなと思っているところです。

――今度の本で、先生は研究のエッセンスをわかりやすく語っておられます。でも、ここに至る過程、実際の調査は、大変な時間と労力がかかるものなのでしょうね。

 しかし、それが歴史を勉強する基本ですからね。調査して発掘した文書を一点一点読んでいくと、感銘を受けることもあるんですよ。たとえば霞ヶ浦の古文書を整理している時など、昔の湖の民の心が伝わってきたような気がしました。彼らはあの広い湖を、今で言う環境保護までも考えながら自治的に管理していたのです。その自治が権力者の圧力で侵されそうになった時の、「協定に違反する者は見つけ次第、打ち殺してもよい」ということを決めた文書がでてきたのです。どんな事件があったのか心配したりしましたが、自治を守ろうとする激しい気持はよく伝わってきました。ただ、時代が違いますから、現代人の感覚で読むと間違ってしまうことがあります。だからこそ言葉を十分に理解する必要がありますし、自分の感情を移入すると間違いますね。しかし、人間同士なのですから、古文書を通して昔の人たちとの感情の交流は確実にあります。それがないと、歴史は死んでしまいます。
 たとえば東寺領の荘園の百姓が鎌倉末期、連年、洪水や日照、虫害などを訴えている訴状があるのですが、よく調べてみると、それがはじまったのは、地頭が最強の権力者・得宗にかわったときなのです。百姓たちのしたたかな計算がよくわかってくるのですが、逆に、率直に怒りや苦しみを訴えている書状などからは、当時の人の生の感情が伝わってきます。そうした人々の心の動き、真実の姿を正確に読み解いた上で描かれるものが歴史だと思います。歴史は決して作りものの物語ではありませんからね。

――歴史を物語にする風潮もあるようですが。

「日本」という国号、「天皇」という称号は七世紀末に定まったので、それ以前には存在しません。この動かし難い事実を無視して、天皇が神武以来あったり、「ヤマト朝廷」が古くから存在したかのような「物語」をつくりあげるのは、たとえば「日本の伝統」を大事にしたいなどという思い入れによって事実を歪曲することになり、真実の歴史とは無縁のものになりますね。単純に「日本の伝統」などということ自体が誤りのもとです。実際、日本列島には各地域にさまざまな文化や伝統を持つ人々が生きており、それぞれに豊かな個性を持つ多様な社会だったということを認識しておく必要があると思います。同じようなことは、周辺のアジア諸国に対しても言えることで、たとえば、「韓民族五千年の歴史」などという発言を時々耳にしますが、これは「神武以来の日本民族の歴史」と同じになる危険があります。日本人は「日本」を神話によって絶対化して大失敗しましたからね、その失敗の経験をアジア全体でも生かさなくてはいけないと思います。

――歴史の勉強は暗記ばかりでつまらないという若い人たちへ一言お願いします。

「日本」はいつから始まったのか、日本社会の内部にある差別はなぜ生まれたのか――こうした最も根本的な問題を、正確に理解しておかなければ、自分がなんであるのかも正確にはわかりません。ですから、正確に自己を知るために歴史を学んでいただきたいと思います。でも、これは公式的な言い方で、単純素朴な疑問を大切にして考えていけば、歴史の勉強は間違いなく面白くなるはずですよ。

(あみの・よしひこ 歴史家)

波 2001年1月号より

著者プロフィール

網野善彦

アミノ・ヨシヒコ

(1928-2004)山梨県生れ。東京大学文学部卒業。日本常民文化研究所研究員、名古屋大学文学部助教授、神奈川大学短期大学部教授、同大学経済学部特任教授を務めた。専門は日本中世史、日本海民史。著書に『日本中世の非農業民と天皇』『無縁・公界・楽』『異形の王権』『蒙古襲来』『日本の歴史をよみなおす 正・続』『日本社会の歴史 上・中・下』『「日本」とは何か』『歴史と出会う』他多数。

判型違い(文庫)

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