全身落語家読本
1,430円(税込)
発売日:2000/09/18
- 書籍
炎の全身落語家・立川志らくが落語の本質を熱弁講義。落語は本書で完全に蘇る。
全身落語家・立川志らくが落語に大胆にして革命的な論理のメスを入れた。リズム・メロディ・リアリティ・ディフォルメ・フレーズ・現代性等の本質解析、古今の名人論、詳細なネタ紹介。初心者、落語通、素人演者、玄人演者すべてが驚愕瞠目納得必至。聴いちゃいけない落語と聴かなきゃいけない落語があるのだ!
書誌情報
読み仮名 | ゼンシンラクゴカトクホン |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 288ページ |
ISBN | 978-4-10-600593-0 |
C-CODE | 0376 |
ジャンル | 演劇・舞台、落語・寄席・演芸 |
定価 | 1,430円 |
インタビュー/対談/エッセイ
落語に吹く「江戸の風」
まだかなりとんがっていた30代の頃に勢いで書いた落語論が『全身落語家読本』。タイトルは「全身小説家」という映画の影響。原一男監督の「ゆきゆきて、神軍」に続くドキュメンタリー映画。この2作品にカルチャーショックを受けて、タイトルの候補は自分としては「ゆきゆきて、落語家」か「全身落語家」であったが、当時真打になって5年、世間に志らくこそが全身落語家だとアピールするのにはこのタイトルの方が効果的と判断し、更に読本を付け加える事で、これは落語の教科書だという意味を込めたのだ。勿論、内容は師匠談志の若き日に書いた、今なお落語家並びに落語ファンのバイブル的存在の『現代落語論』を意識している。発売当初、一番反響があったのは笑点批判であった。以前から多くの古典落語ファンが心に思っていた事。それを30代の若造が書いたから衝撃的であった。要約すると、落語=笑点と世間に思われている事が許せない。若手落語家の目標は笑点に出演する事ではなく、きちんとした落語を語る事だ、それなのに世間は笑点こそが落語家の到達点だと誤解している。だから一日も早く笑点という番組が消えてほしい云々。これは多くの古典落語ファンの声であった。また古典落語の名人を目指していた若手落語家の総意でもある、と私は思っていた。これを公に発言したのは志らくが初めて。だから多くの古典落語ファンからは賛同の言葉を頂戴したが、笑点に出演している先輩落語家からの怒りは相当なものだった。談志は当然、私を支持してくれると思いきや、「志らくはそう言うが、あの番組の存在意義はちゃんとある」と完全否定。そりゃ談志が作った番組だからそう言うだろうが、普段は笑点の事をボロクソに貶していたから私には師匠の本意がわからなかった。しかし後年、笑点の存在意義がわかった。自分がテレビに沢山出るようになり落語界を俯瞰で見ることが出来たからだ。つまり笑点が、1980年代から2005年あたり(ドラマ「タイガー&ドラゴン」のヒットにより落語ブームがくる)までの落語冬の時代を繋いでくれていたのだ。落語冬の時代とは談志、志ん朝、小三治師匠といった全国区のスターの後に続く落語家は春風亭小朝師匠だけしかいなかった時代。それでも世間が落語を忘れなかったのは笑点があったから。私の笑点に対する暴論は、談志から言わせれば世間の落語のイメージが笑点ならば、笑点を無くすのではなく、己が笑点を上回ればいいだけ。現に談志がそうであった。強い者に消えてくれというのは敗者の理論。私は自分がテレビに沢山出演するようになって知名度が全国的になった時、毒舌コメンテーターのイメージがまとわりついても落語になんら支障はなかったし、笑点の存在が邪魔だとは思わなくなっていた。令和の時代になり、この『全身落語家読本』を読むとその部分は本当に駄目なんだが、でも若手落語家がこれだけの御託を並べられるというのは凄いと思うし、若き日の過ちも含めて落語への愛は十分に感じ取ってもらえるはずだ。
『落語進化論』は『全身落語家読本』から約10年後に出版した落語論である。立川志らく47歳の時の本。落語家になってまる26年。20人近くの弟子を取り、談志が亡くなる半年前である。実は『全身落語家読本』を出版した前後から映画監督に手を出し、続いて劇団を旗揚げしたのだが、自分の興味が落語より映画や演劇に行ってしまい、「タイガー&ドラゴン」の際に巻き起こった落語ブームに乗り損なってしまったのだ。落語そのものに飽きてしまっていたのだろう。それを目覚めさせてくれたのが私をこの世界に誘ってくれた高田文夫先生の「お前は落語家になりたい、談志の弟子になりたいと俺に言ったんじゃなかったのか!」の一言であった。映画や演劇にどっぷりはまるのではなく、あくまでも軸足は落語に置くべきであった。その事に気が付き、映画や演劇で経験した全てを落語に還元して落語を進化させようという思いで書き上げたのが『落語進化論』である。この中で一番言いたかったのが談志がぼそっと呟いた「江戸の風」である。「江戸の風が吹くものを落語と言う」。この言葉を落語の世界に広めたのは私だという自負はあるが、その真意は殆ど伝わっていない。落語ファンの多くは「江戸の風」=「江戸っぽい」である。全く違う。江戸の昔を描くのが落語の本質ではない。落語にしかない、言葉では説明しづらいが落語を愛するものならわかる、あの空気感。あのナンセンスな匂い。思い返せば私が落語に惚れたのは「江戸の風」を感じたから。子供の頃、星新一のショートショートに夢中になっていたが、そこに落語が現れた。落語全集を読み漁った。星新一は勿論面白い。でも「江戸の風」は吹いていない。だから私は落語の方により惹かれていったのだった。その「江戸の風」がなんであるのか知っていただく為にも是非『落語進化論』、そして『全身落語家読本』を読んでみてください。
(たてかわ・しらく 落語家)
全身落語家ができるまで
ご幼少のみぎり
――本日は全身落語家と呼ばれながらも、自ら映画を監督し、映画批評でも評価の高い立川志らく師匠の過去を暴いてみたいと思います。落語との出会いというようなところから。
世田谷で生まれ育ったんですが、親父がギタリストでお袋が三味線弾きで、隣の叔母はお琴のお師匠さんという家庭環境で、弟はバイオリン、私はピアノを習わされましたが、嫌で嫌で……。
――それが落語とどのような関係が……。
まだ、その頃、昭和四十年代半ばの世田谷は、畑が残っていて、肥溜めがあったんです。冬場には肥溜めが凍って、ひ弱な犬を上に乗せて遊びましたね。東京の薄い氷ですからすぐ割れちゃって、糞まみれの犬が助けを求めて飛びついてきたときは、怖かったですね。人生の最大の難所でした。
――あの、落語との出会いは……。
親父の趣味がビリヤードとダーツとけん玉で、家に競技用のそれらの道具が揃っていて、家で一人でそんなことばっかりやってました。地味でね、性格が。友達と大勢で遊ぶというのが苦手で。けん玉は八段で世界記録(「もしもし亀よ」という技を一分間で220回以上やってテレビにも出た)も持ってました。縁日の夜店でダーツなんかあると、全部商品もってっちゃうので、香具師の兄さんに顔覚えられちゃって、次から私と目があうと、やる前から「これあげるから、近寄らないで」って、ただでおもちゃをもらったりしました。ビリヤードは超絶なアートビリヤードやってました。マッセなんか自由自在で。
――ヤなガギだったんですね(怒)。
小学校時代は演劇クラブでしたね。性格は暗かったんですが、人前でなんかやるのは嫌いじゃなかったんですね。成績は最悪でした。中学生になった時に、三角形の面積の出し方どころか、わり算も出来なかったですね。今もできませんが。親なんかは本気で馬鹿な子だと思っていた節がありますね。中学では一、二年生の時は読書クラブで、みんなで集まって本をそれぞれが読んでました。めいめいが別々の本を黙って読んでるんですから……。
――みんなで集まる理由がありませんね。で、落語とは……。
三年生になってみんなクラブ引退しますよね。そしたら、私、テニスクラブに入って、夏には三年生は私一人なのに合宿にいったりしてね、何考えてたんだかまったく、思い出せません。
――女の子のスコート姿に吸い寄せられたんじゃないんですか?
母親が神田正輝のファンでね。その神田さんが日大芸術学部出てるってんで、「お前もいけ」ってことになって、じゃ、高校は系列がよかろうってんで、町田の日大三高で。補欠合格でしたが。
映画と落語の日々
――よく合格できましたね。わり算もできないのに。
小学校の六年の頃でしたね。映画も落語も出会いは。映画はチャップリンを渋谷の名画座で短編を観てから。落語は金馬の「藪入り」を家にあったレコードで聴いてからです。どちらも衝撃的でした。休みの度に名画座に出入りして、夜は夜で、むさぼるように興津要の落語全集を読みふけってました。私の親父は、テレビなんかでギャグ系統の落語や創作系の落語を観てると、「こんなの、落語じゃねえ!」ってテレビを消したり、日本人の歌手がブルースを歌っていても「こんなのブルースじゃねえ」って、毒づいたり。本格、本寸法しか認めない人でしたね。見た様はインチキ畑正憲みたいな感じなんですけどね。
――その日本人の歌手っていうのは淡谷のり子さんですか?
中学・高校時代に、名画座でやっていたチャップリンやゴッドファーザーシリーズなどは可能な限り何度も何度も観ましたね。読書の方は、落語の全集以外には映画の原作本や漱石や芥川や太宰や三島なんかを手当たり次第に読むようになって行きました。落語会も気に入った噺家さんを休みの日を利用して追いかけました。おもに金原亭馬生を追いかけました。もうこの頃は、時間があれば自分の部屋に籠もって、金馬のレコードを、言い澱みすら真似てコピーして遊んでました。
落語が私を呼んでいる
大学一年の夏、東横名人会で金原亭馬生のある高座を観たんです。癌の末期で、痰が酷くて、もう声なんか出てないんです。ぼろぼろの「船徳」だったんです。まわりの客はみんな寝ていて。私は、一列目の正面の席に座っていたのですが、だんだん、馬生は、私の目を見てやっているように思えてきたんです。その目が「俺はもう死ぬ。お兄さん、後を頼むよ」って言ってるように見えたんです。本当にそう見えた。その高座からまもなく、馬生は亡くなった。一ファンながら、お葬式に出て、その帰りに寄った池袋演芸場のトリが立川談志で(そんな時代もあったんですね)、一向にネタに入らない。沈鬱な表情で馬生の思い出ばかり語っている。ある客が、「おい、落語をやれ!」って野次った。いつもの談志なら怒って高座を下りちゃうんだろうけど、その夜は、「お客さん、今夜ばかりは、勘弁しておくんねえ」って、一席まるまる、馬生の追悼にあてたんです。このときから、私は、落語家になることに決めたんです。勿論、談志の弟子として。
――本書『全身落語家読本』はそんな志らく師匠の渾身の落語論ですね。
それで、秋から日芸の落研に入るんですが、落語をやってない。「ここはソフトボールするサークルなのだ」って先輩が。
――いいかげんに、本の紹介に移って下さいっ!
しょうがない、やりましたよ。ソフトボール。二年の時、会長になって大改革しました。本当に落語を実演する落研に。学園祭だけじゃなくて、近所の居酒屋の二階や近所の風呂屋の二階で頻繁に落語会を開き、軽井沢の老人ホームなんかの慰問を年に何度か入れたり。学生時代に持ちネタが三十本できました。
――で、四年の秋に談志師匠の元へ弟子入りして、やがて大学は中退。どんな師匠だったんですか。
落語は世界でも最高のエンタテインメントの一つだと私は信じています。しかし、世間は決して、そのようには思っていない。「つまらない」「古い」「小難しい」「歴史的な知識が必要」「ダサイ」「笑えない」というようなイメージを持っている人が大勢いる。しかもその人たちは、全盛期の志ん生の「火焔太鼓」や円生の「妾馬」や金馬の「藪入り」を、テープですら聴いたことはない。まったく別の変なものを見て落語に先入観を持ってしまっている。
――本物でないものを聴いて、「これが落語だ」と思うなということですね。いい感じになってきました(喜)。
落語ならなんでも同じというわけじゃない。面白い落語と、面白くない落語があるんです。変な現象ですが、簡単に手に入る、あるいは、自然に出会ってしまうものほど、つまらないんです、落語の場合は。うまく、主体的に、面白い落語を選んで聴いていかなければ、私の信じている「最高のエンタテインメントとしての落語」という世界と出会うことはできない。
いい落語の見分け方
同じネタなのに、爆笑をとれる落語家と聴いていられない落語家がいる。その差は何なんでしょう。基本的な技術の差の問題だとすれば、面白くない方は、話に一定のリズムができていない筈です。聴く者を真っ直ぐ、噺の世界へ誘う心地よいリズム・テンポ。リズムまでは修得していても、大きなクレッシェンド、デクレッシェンド、フォルテ、ピアノといった強弱・抑揚、言い換えればメロディが流れていないのかもしれない。そうでないとすれば工夫の問題かもしれません。師匠から聴いたとおり、生真面目に再現しようとしても、絶対師匠は超えられない。基本的な技術が違う。聴いている人が違う、時代が違う。何を軽く流して、何をディフォルメするか。写真のような絵が流行った時代があった。そういう写実主義はやがて廃れて、印象派を経て、キュビズムの時代になる。落語だってそう。今の時代に合わせた工夫があるかどうか。それでもぱっとしない場合? それは落語家の意識の問題かもしれない。「『時そば』は『蕎麦を食うパントマイムを見せる噺』である」という認識では噺は死んでいる。志ん生がいみじくも言った「一文かすめたい男の噺」という認識でないと噺は永遠に立ち上がってこない(ドン!)。
――師匠、机を叩かないで下さい(汗)。
他にも、名人と呼ばれている人なのに今一出来がよくないネタがある(ドン!)。どうしてなんでしょう。初心者はまず何から聴けばいいんでしょう。中級者は? 上級者は? 落語はどう演ずればいいんでしょう? かつてどんな名人がいたんでしょう? その名人はどこがどう凄くて名人と呼ばれたの? 「鰍沢」は誰の「鰍沢」を聴けばいいの? 「富久」は? 「酢豆腐」は? 「文七元結」は? 全部、答えています、本書の中で(ドンドン!!)。
――師匠、人の話も少しは聞くようにしましょうね(泣)。
(たてかわ・しらく 落語家)
波 2000年9月号より
著者プロフィール
立川志らく
タテカワ・シラク
1963(昭和38)年、東京生れ。1985年に立川談志に入門。1995(平成7)年、真打昇進。創意溢れる古典落語に加え、映画に材をとった「シネマ落語」でも注目を集める。落語界きっての論客としても知られている。著書に『全身落語家読本』『雨ン中の、らくだ』『立川流鎖国論』『落語進化論』『談志のことば』などがある。DVD「志らく 立川志らく二十五周年傑作古典落語集」全十巻も好評を博している。