東京島
1,540円(税込)
発売日:2008/05/23
- 書籍
あたしは必ず、脱出してみせる――。ノンストップ最新長篇!
32人が流れ着いた太平洋の涯の島に、女は清子ひとりだけ。いつまで待っても、無人島に助けの船は来ず、いつしか皆は島をトウキョウ島と呼ぶようになる。果たして、ここは地獄か、楽園か? いつか脱出できるのか――。欲を剥き出しに生に縋りつく人間たちの極限状態を容赦なく描き、読む者の手を止めさせない傑作長篇誕生!
2 男神誕生
3 納豆風の吹く日
2 夜露死苦
3 糞の魂
2 イスロマニア
3 ホルモン姫
2 日没サスペンディッド
3 隠蔽リアルタワー
4 チキとチータ
5 毛流族の乱
書誌情報
読み仮名 | トウキョウジマ |
---|---|
雑誌から生まれた本 | 新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 288ページ |
ISBN | 978-4-10-466702-4 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品、ミステリー・サスペンス・ハードボイルド、文学賞受賞作家 |
定価 | 1,540円 |
インタビュー/対談/エッセイ
人間が生きるために必要とする物語を
無人島に漂着した31人の男と1人の女が島内で曝け出す人間の根源。ご自身が「これから生まれる物語の母親みたい」だと評するノンストップ長編『東京島』について桐野夏生さんにお話を伺いました。
――潰れた腎臓のような形をした謎の無人島。そこに漂着した夫婦、若いフリーターたち、中国人グループ、あわせて三十一人の男と一人の女の物語。人間とは、社会とは、生きるとは、と『東京島』を読んでいろいろなことを考えさせられました。どういうきっかけで構想された小説なのでしょうか?
桐野 人間が外部との関係が遮断された場に集団で閉じ込められた場合、一体何が起こるんだろうか。元々そういう問題に興味を持っていたんです。原稿の依頼をいただいたとき、無人島のなかに、男がたくさんいて女が一人だけいる状況が浮かびました。でも、その女が男たちに追いかけられるような若くて美しい女ではおもしろくないと思った。島の中で最年長、下手すれば男たちの母親くらいの年齢だったら、男も女もどういう動き方をするだろうかと想像が膨らんでいったんです。非常にグロテスクな状況下で、小説として実験をしてみたいなと。それで、たった一人の女として、脱サラした元銀行マンの夫と一緒に漂着した四十六歳の清子が生まれました。子どもの頃に、『十五少年漂流記』や『ロビンソン・クルーソー』、『蠅の王』などの島に流された人間を題材にした小説も楽しく読んだし、好きでした。ただ『東京島』では、『十五少年漂流記』のブリアンやドノバンのような、誰もが認めるリーダーを絶対に書くまいと思っていました。リーダーがいて漂流者たちが協力しあい、何かを、おそらくこの場合は脱出、を成し遂げるのではなく、みんなが我を主張し、立ちゆかなくなってばらける集団。そういうイメージが最初から核としてあったんです。当初は短編としての依頼だったので、自分のことしか考えず、無人島で作られようとする社会に決して組み入れられない、わがままな女を中心に、第一章の1に当たる「東京島」をひとつの物語のつもりで書き始めました。籤引きで決められた四番目の夫を好きになり、やっと見つけたこの愛とともに島で生きると言いながら、脱出できるチャンスが巡ってくるとあっさりと捨てる。そういう身勝手な女の話。長編として連載することになっても、サバイバルな状況下で自分のことしか考えない女という存在はテーマとしてずっと残っていました。連載中は、この小説のなかにどんな可能性があるだろうかということを毎回考えながら書いて、少し進んでの繰り返し。「新潮」という媒体の自由度は高かったと思います。割と自由に好きなことを書いていた意識が強かったのですが、連載を纏めて単行本にするため章立てをした際に、この小説には強い流れがあったんだなと感じました。書いているときは意識していなかった小説としてのまとまりが、自分のなかにあったと気づいたわけです。
――島にたった一人だけの女、清子。平凡な妻、普通のおばさんだった彼女が、漂着後、島内で特別な存在となります。男たちに求められる。夫の隆に、暴力の権化であるカスカベとのセックスを見せつける。蛇は振り回す。漂着したことによって、清子の心には何が起こったんでしょうか?
桐野 着いた当初は、男たちに欲望の対象として扱われ、「魔性の女」だと自画自賛する清子ですが、無人島に漂着して初めて、女としての自分をさらけ出したんだと思います。自分のなかにあった野性が無人島で生活を続けることで爆発したんでしょう。だから、男たちが諦め半分でコミュニティを作る一方で、自分だけは生きたい、脱出したい、という強い気持ちを持ち続けます。危険な状況に追い込まれれば平気で嘘をつくし、生き抜くためには権力を持っている人間に媚を売る。島の中での清子には、女という種族を私が代表しているんだ、という傲岸な満足感があるんです。私は島における絶滅危惧種のトキであると。自分が島内に存在していることによって無人島の生態系が保たれているという自負です。男たちにとってはどうでもいいことなのに、清子一人が拘っている。だから、男たちが女としての清子に飽きたあとも、その思いは変わらない。これは清子という人間が持っていた内面の特殊性だけではなく、誰もが極限状況に追い込まれたら足を踏み入れる可能性がある精神状態ではないかと思います。
――作中で重要な役割を果たす航海日誌を書き残した後、サイナラ岬で死ぬ元の夫、隆。ヤンキー中のヤンキーで、暴力によって島民を支配する二番目の夫、カスカベ。男たちの清子に対する欲望が失われたあとに行われた籤引きで四番目の夫となる記憶喪失のGM。左のレンズが壊れたメガネを掛け続ける小説家志望だったオラガ。全裸に海亀の甲羅だけを纏い、超自然的な力で中国語が理解できるワタナベ。死んだ姉の声が聞こえ、終始ぶつぶつと独り芝居をするマンタ。ホモセクシュアルのカップル。個性の強い男たちも数多く登場します。印象に残るキャラクターはいらっしゃいますか?
桐野 誰か一人ということになれば、集団から排除され、ドラム缶が転がる浜トーカイムラに一人で住むワタナベでしょうか。清子とワタナベは、二人で一対なんだ、というイメージがありました。お互い心底嫌いあっているんだけれども、気になるところもある。ワタナベがもし女として生まれてきていたら、清子みたいな女だったかもしれません。そういえば、これまで小説を書いてきて一番下品な描写もワタナベが出てくる場面でした。他の男性キャラクターたちについても、書き進めていて自分が驚くことも多かった。この男はこういう人間だったんだ、と書くことによって発見するわけです。団地育ちのマンタさんもそうだし、GMもそうでした。
――「ホンコン」と呼ばれる中国人たちの驚異的なサバイバル力も印象に残りました。実際に取材はされたのですか?
桐野 これまで中国に何度か旅行に行ったときに、少なくとも食べるということに関して、この人たちは絶対に手を抜かないだろうなと感じていました。無人島に行くようなことがあったら、間違いなくサバイバル能力を発揮するに違いないと以前から思っていたんです。私がもし無人島に漂着したとしたら、ホンコンたちのような生活力のある人間についていくことを考えるかもしれません。あるいは、椰子酒を飲みながら、助けが来るのをぼんやりと待つか。『東京島』の人間たちも、トーカイムラに転がった放射性廃棄物と目される謎のドラム缶、それがあるから、希望を持ち、生きていけるのではないかと思うんです。また、誰かが捨てに来るかもしれないからそのときに助けてもらおうという希望です。実際に、その計画がうまくいくかどうかは関係なく、助かる可能性がわずかながらあるからこそ、自殺せずに生活ができたのではないかと思います。
――無人島に男が一人でほかは女性ばかりという『東京島』とは逆の状況下では、どういう社会になると思われますか?
桐野 『東京島』のようにリーダーに成りたがる人間が出てきたり、島の社会で序列ができたりすることなく、それぞれ自分の持ち場をきちんとこなして仲良く生活していくんじゃないでしょうか。猿山のボス猿を愛でるがごとき、一人の男を褒め殺ししながら、王様として持ち上げて大事にするだろうし、もし子どもができれば共有して教育する。誰かが男を独り占めしようとすると、殺されてしまうかもしれません。そういう突き抜けた怖さが女にはあるかもしれない。ただし、それは男が優秀な場合。ボスたる能力がなければ、仕方なしに適当に構ってあげるんでしょうね。
――無人島内でひとつの社会、共同体を作ろうと奮闘する人間とそれに抗う人間の争いが描かれているとも『東京島』を読んで感じました。これから読まれる読者の皆さんのために詳細を明かすことは控えておきますが、後半部、無人島内の新しい動きをきっかけにして始まる怒濤の展開から物語の終りまでを読むと、『東京島』という小説から神話的な何かを感じるのですが。
桐野 コミュニティ作り、共同体が形成される過程という意味では「週刊文春」で連載している『ポリティコン』と共通のテーマを扱っているところもあります。『ポリティコン』では、主人公の東一が、愛のない共同体を形成しようとしていきます。愛が不在であるという意味でも、『ポリティコン』と『東京島』は相似形を描いているかもしれません。また、詳細は明かせませんが、いま書き下ろしている神話も、『東京島』と少し似ているところがあります。『東京島』は、長期に亘る連載でしたから、他のものを書いているときに浮かんだいろいろなことが、知らず知らずのうちに投影されているのかもしれません。その点では、『東京島』がこれから生まれる物語の母親みたいなもの。神話に関しては、人間というより、社会にとって必要なものなのでしょう。権力を維持していくために必要とする恣意的な物語もありますが、人間が生きていくために機能する物語も必要、という意味です。悲しいときに読む物語、強く生きたいと願うときに欲する物語。状況によって違うのでしょうが、人間は生きるために物語を必要としているのではないか。だから、小説家の自分も、誰かが欲する物語を書きたい、と強く思うのです。
(きりの・なつお 作家)
波 2008年6月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
桐野夏生
キリノ・ナツオ
1951年金沢市生まれ。1993年『顔に降りかかる雨』で江戸川乱歩賞を受賞。1997年に発表した『OUT』は社会現象を巻き起こし、日本推理作家協会賞を受賞。1999年『柔らかな頬』で直木賞、2003年『グロテスク』で泉鏡花文学賞を受賞。以後、柴田錬三郎賞、婦人公論文芸賞、谷崎潤一郎賞、紫式部文学賞、島清恋愛文学賞、読売文学賞を受賞と、主要文学賞を総なめにする。現・日本ペンクラブ会長。