おめでとう
1,430円(税込)
発売日:2000/11/22
- 書籍
忘れないでいよう。いまのことを。いままでのことを。これからのことを――。
きんめ鯛を手土産に愛しいタマヨさんを訪ねる“あたし”の旅。終電のすぎた真夜中の線路で、男を思って口ずさむでたらめな歌。家庭をもつ身の二人が、鴨鍋を挟んでさしむかう冬の一日。書下ろしを含む待望の最新短篇集。よるべない十二の恋の物語。
書誌情報
読み仮名 | オメデトウ |
---|---|
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判 |
頁数 | 196ページ |
ISBN | 978-4-10-441201-3 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品、文学賞受賞作家 |
定価 | 1,430円 |
書評
波 2000年11月号より 震エる声 川上弘美『おめでとう』
過日、あの車椅子の天才科学者ホーキング博士が、人類は西暦三千年をこの地球上では迎えられず、このままでは滅亡すると予測したという新聞記事を読んだ。
博士は人類滅亡の原因として地球温暖化や戦争などを挙げていたと思うが、その辺りの記憶は曖昧である。というのも、私からしてみれば、人類はあと一世紀延命することさえおぼつかない気がする。しかも私自身が生きるのもあと僅か。千年先などどうでも良いと、記事の大半は忘れてしまった。
それから数日間は雨が激しく降り続いた。雨が上り、久しぶりに散歩に出て、川岸まで歩いた。川は水嵩を増し、膨れ上り、太い流れに変っていたが、その川岸で一冊の本を私は拾った。川上から流れてきたのだろう。
『溺レる』と表題にあった。濁流に溺れた人の手記か。ページをめくると、私の予測は外れ、水ではなく溺れたのは愛欲であった。しかし、私の予測もまったく誤りとはいえなかった。
なにしろ作者は、愛だの恋だのに溺れる人間の姿を、川の向こう岸から少し首をかしげて見入っている風情なのだ。愛欲に溺れれば、男も女も苦悩することもある。が、作者はそんな悲鳴も、川辺に打ち寄せては儚く割れるさざ波の音のように聴き、男と女の姿をいつの世でも繰り返す波のように眺めている。
文体もさざ波。同じ言葉を繰り返すかに見せ、その実、意味をひょいっと反転させる。滑稽な話かと笑っていると、一人ぽっちの淋しさがどっと押し寄せるから、私も溺れかけた。
それからまた一年が経ち、再び川岸に出ると同じ作者の本を拾った。『おめでとう』とタイトルにあり、今度は溺れた人間が生還する話かと思い、安心して読み出した。が、この予測も外れた。けれど今回も私の予測がすべて間違いともいえなかった。
掌編が十二本。冒頭の「いまだ覚めず」は大晦日の前日に、昔恋人だった女に笹蒲鉾をみやげに会いに行く女の話。設定がヘンテコである。また溺れかかるなと思いつつも、結局は川の向こうから誘いかける声音に抗することはできなかった。
向こう岸といえば、第二話「どうにもこうにも」は、同じ男を愛した女の幽霊にとりつかれた女の話。恐怖譚かと思えば、これが一向に怖くない。幽霊も、とりつかれた女も、どこにでもいる人間に過ぎない。これでは彼岸も此岸もありはしない。どこか変だ。私は川に入りかけたのだろう。
男にだまされた女と男にふられた女、そんな二人が温泉旅行へ行く話。離婚したものの、また若い男にコロリとだまされる女の話。互いに妻と夫がいる中年の男女が、冬の一日、鍋を突っつき合う話。どの話もどこにでもころがっている風景だ。極悪人もいないし、さりとて無類の善人というわけでもない。
では、これら掌編は現代風俗のスケッチかといえば、そこが妙だ。向こう岸から作者は、いつの世でも男と女はこんな風にして、ずっと生きてきたのさとさざ波のような声で語りかける。どうも私は溺れはじめたらしい。
めんどりを連れて公園に来る男になんとなく惹かれる女の話「ぽたん」。樹齢百年の桜のウロに住む恋人を思い続ける女の話「運命の恋人」。いずれも千年以上前に説話で聴いた、そんな懐しさだ。いや、そうではない。一つひとつの掌編はバラバラのようでいて、いくつもの季節を巡っていたのだ。時間がずいぶんと経った気がする。千年前なのか。千年後なのか。もうよくわからない。
気づいてみれば、巻末の表題作「おめでとう」のページをめくっていた。「西暦三千年一月一日のわたしたちへ」と付記されている。さっきまで大晦日の前日かと思っていたら、いつの間にやら千年も経ち、元旦を迎えたらしい。
ここで私はようやくホーキング博士の予言を思い出した。人類はもはや滅亡しているはずだ。この向こう岸からの声の主も、千年後は文明が滅びたように囁いている。
誰もいないのか。ところが、わずかだが、人類は生きていた。しかもそれまでの話が「公式ではない恋愛」つまり三角関係だの不倫だのとややこしい人間関係に溺れた男女であったのに、この最後の話で作者は純愛の初々しい声を聴かせてくれる。
「寒いです。おめでとう。あなたがすきです。つぎに会えるのは、いつでしょうか」。この平凡な、しかし切なく震エる声は、向こう岸からではなく、間違いなくこちらの岸辺からだ。私の耳許でくっきりと響いた。
▼川上弘美『おめでとう』は、十一月刊
博士は人類滅亡の原因として地球温暖化や戦争などを挙げていたと思うが、その辺りの記憶は曖昧である。というのも、私からしてみれば、人類はあと一世紀延命することさえおぼつかない気がする。しかも私自身が生きるのもあと僅か。千年先などどうでも良いと、記事の大半は忘れてしまった。
それから数日間は雨が激しく降り続いた。雨が上り、久しぶりに散歩に出て、川岸まで歩いた。川は水嵩を増し、膨れ上り、太い流れに変っていたが、その川岸で一冊の本を私は拾った。川上から流れてきたのだろう。
『溺レる』と表題にあった。濁流に溺れた人の手記か。ページをめくると、私の予測は外れ、水ではなく溺れたのは愛欲であった。しかし、私の予測もまったく誤りとはいえなかった。
なにしろ作者は、愛だの恋だのに溺れる人間の姿を、川の向こう岸から少し首をかしげて見入っている風情なのだ。愛欲に溺れれば、男も女も苦悩することもある。が、作者はそんな悲鳴も、川辺に打ち寄せては儚く割れるさざ波の音のように聴き、男と女の姿をいつの世でも繰り返す波のように眺めている。
文体もさざ波。同じ言葉を繰り返すかに見せ、その実、意味をひょいっと反転させる。滑稽な話かと笑っていると、一人ぽっちの淋しさがどっと押し寄せるから、私も溺れかけた。
それからまた一年が経ち、再び川岸に出ると同じ作者の本を拾った。『おめでとう』とタイトルにあり、今度は溺れた人間が生還する話かと思い、安心して読み出した。が、この予測も外れた。けれど今回も私の予測がすべて間違いともいえなかった。
掌編が十二本。冒頭の「いまだ覚めず」は大晦日の前日に、昔恋人だった女に笹蒲鉾をみやげに会いに行く女の話。設定がヘンテコである。また溺れかかるなと思いつつも、結局は川の向こうから誘いかける声音に抗することはできなかった。
向こう岸といえば、第二話「どうにもこうにも」は、同じ男を愛した女の幽霊にとりつかれた女の話。恐怖譚かと思えば、これが一向に怖くない。幽霊も、とりつかれた女も、どこにでもいる人間に過ぎない。これでは彼岸も此岸もありはしない。どこか変だ。私は川に入りかけたのだろう。
男にだまされた女と男にふられた女、そんな二人が温泉旅行へ行く話。離婚したものの、また若い男にコロリとだまされる女の話。互いに妻と夫がいる中年の男女が、冬の一日、鍋を突っつき合う話。どの話もどこにでもころがっている風景だ。極悪人もいないし、さりとて無類の善人というわけでもない。
では、これら掌編は現代風俗のスケッチかといえば、そこが妙だ。向こう岸から作者は、いつの世でも男と女はこんな風にして、ずっと生きてきたのさとさざ波のような声で語りかける。どうも私は溺れはじめたらしい。
めんどりを連れて公園に来る男になんとなく惹かれる女の話「ぽたん」。樹齢百年の桜のウロに住む恋人を思い続ける女の話「運命の恋人」。いずれも千年以上前に説話で聴いた、そんな懐しさだ。いや、そうではない。一つひとつの掌編はバラバラのようでいて、いくつもの季節を巡っていたのだ。時間がずいぶんと経った気がする。千年前なのか。千年後なのか。もうよくわからない。
気づいてみれば、巻末の表題作「おめでとう」のページをめくっていた。「西暦三千年一月一日のわたしたちへ」と付記されている。さっきまで大晦日の前日かと思っていたら、いつの間にやら千年も経ち、元旦を迎えたらしい。
ここで私はようやくホーキング博士の予言を思い出した。人類はもはや滅亡しているはずだ。この向こう岸からの声の主も、千年後は文明が滅びたように囁いている。
誰もいないのか。ところが、わずかだが、人類は生きていた。しかもそれまでの話が「公式ではない恋愛」つまり三角関係だの不倫だのとややこしい人間関係に溺れた男女であったのに、この最後の話で作者は純愛の初々しい声を聴かせてくれる。
「寒いです。おめでとう。あなたがすきです。つぎに会えるのは、いつでしょうか」。この平凡な、しかし切なく震エる声は、向こう岸からではなく、間違いなくこちらの岸辺からだ。私の耳許でくっきりと響いた。
(まつやま・いわお 作家)
▼川上弘美『おめでとう』は、十一月刊
著者プロフィール
川上弘美
カワカミ・ヒロミ
1958(昭和33)年、東京都生れ。1994(平成6)年「神様」で第一回パスカル短篇文学新人賞を受賞。1996年「蛇を踏む」で芥川賞、1999年『神様』でドゥマゴ文学賞、紫式部文学賞、2000年『溺レる』で伊藤整文学賞、女流文学賞、2001年『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞、2007年『真鶴』で芸術選奨文部科学大臣賞、2015年『水声』で読売文学賞、2016年『大きな鳥にさらわれないよう』で泉鏡花文学賞を受賞。その他の作品に『椰子・椰子』『おめでとう』『ニシノユキヒコの恋と冒険』『古道具 中野商店』『夜の公園』『ざらざら』『パスタマシーンの幽霊』『機嫌のいい犬』『なめらかで熱くて甘苦しくて』『猫を拾いに』『ぼくの死体をよろしくたのむ』『某』『三度目の恋』などがある。
判型違い(文庫)
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