雪の練習生
1,870円(税込)
発売日:2011/01/31
- 書籍
- 電子書籍あり
この子を「クヌート」と名づけよう――。白い毛皮を纏った三代の物語。
極北の地に生まれ、サーカスの花形から作家に転身し、自伝を書きつづける「わたし」。その娘で、女曲芸師と歴史に残る「死の接吻」を演じた「トスカ」。そして、ベルリン動物園のスターとなった孫の「クヌート」。人と動物の境を自在に行き来しつつ語られる、美しくたくましいホッキョクグマ三代の物語。多和田葉子の最高傑作!
目次
祖母の退化論
死の接吻
北極を想う日
死の接吻
北極を想う日
書誌情報
読み仮名 | ユキノレンシュウセイ |
---|---|
雑誌から生まれた本 | 新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判 |
頁数 | 256ページ |
ISBN | 978-4-10-436104-5 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品、文学賞受賞作家 |
定価 | 1,870円 |
電子書籍 価格 | 1,496円 |
電子書籍 配信開始日 | 2011/07/22 |
書評
波 2011年2月号より シロクマ三代のクロニクル
全国のケモノバカの皆さん、トヨザキは今、〈耳の裏側や脇の下をくすぐられて、くすぐったくて、たまらなくなって、身体をまるめて床をころがりまわっ〉てるシロクマの仔のように上機嫌です。なんなら〈四つん這いになって肛門を天に向かって無防備に突き出して〉もいいくらいスコーンと開放的な気分といってもようございましょう。なぜならば、出来たてほやほやの『雪の練習生』を読んだからです。多和田葉子さんのこの最新作の主人公が、ベルリン動物園で生まれ人工哺育で育った、あの人気者クヌートだからなんです。
しかも、ケモノバカの皆さん、クヌートばかりじゃないんですよ、この小説に登場するのは。第一部「祖母の退化論」はクヌートのお祖母ちゃんにあたる〈わたし〉が、会議の合間をぬって書き進めている自伝になっていて、第二部「死の接吻」はサーカスで猛獣使いをしている小柄な女性ウルズラと、クヌートの母トスカの物語。そして、クヌートが主役を務める第三部「北極を想う日」にはマイケル・ジャクソンを彷彿させる人物まで顔を出すんです。真のケモノバカにして読書家の皆さんには、このくらいの紹介で十分でしょう。すでに「読みたい気」が身の内に充満し、足はすでに最寄りの書店に向かっているに違いありません。というわけで、ここから先は動物にはさほど関心がない小説好きの方に向けての口上となります。
「シロクマが会議に出る? 自伝を書く?」
まず、想像がつくのが第一部についての違和感です。正直わたしも、冒頭に引用したような仔熊の上機嫌を綴っているのが当のシロクマ本人であり、しかも、その〈わたし〉が人の手で育てられ、サーカスでショーに出ていたものの、引退後は人間が主催する会議にひっぱりだこの状態にあることを知った時は、どういう姿勢でこの小説と向かい合ったらいいのか、数秒とまどいました。でも、大丈夫。とにかく、北極の大地のように真っ白な気持ちで読み進めてください。すると、モスクワのアパートの一室で大きな体を丸くして自伝を書いているシロクマの姿がごく自然に脳裡に浮かぶようになる、そんな自然な語り口になっていますから。また、〈わたし〉の回想を追ううちに、旧ソ連時代の、何をするにも選択の余地なんてなくて、それをやらなければ死んでしまうからやるだけだったという市民生活の現実や、言論の抑圧とシベリア抑留という恐怖を追体験することになるんです。
一転、第二部の語り手は人間の女性。猛獣使いのウルズラが舌にのせた角砂糖を、トスカが器用な舌で奪い取る魅惑的な曲芸の描写で始まるこの物語の舞台は東ドイツです。第一部の主人公〈わたし〉が西ベルリンに亡命し、やがてカナダに渡って生んで、東ドイツで育てたのがトスカ。ここで物語られるのは、母子家庭に育ち、サーカスに入るのが夢だったウルズラの生涯と、トスカとの間に培う友情、ウルズラが書こうとするトスカの伝記です。そして、第一部が旧ソ連の情勢だったように、第二部の背景にあるのは、壁によって分断されていた時代のベルリンです。
そして、第三部の語り手はクヌート。人に育てられたクマの内面の声を、作者の多和田さんは「シロクマ語がわかるんじゃないか」というくらい“リアル”かつ慎重に代弁しています。雪のように真っ白な状態で生まれてきた、クヌートの目を通して検証される人間のふるまいの不思議。ただ生まれてきただけの小さな命を、勝手に地球の温暖化ストップの象徴に祭り上げ、金のなる木だと思えば群がって、成長して可愛さが失われれば関心をなくす。そんな人間の勝手をクヌートは、でも、糾弾したりはしません。ただ、その先入観を持たない真っ白で真っ黒な瞳に映すだけ。だからこそ、胸にこたえるんです。
一部、二部、三部と、語り手が交替すると調子を変える文体の妙。レフ・トルストイ、カフカ、ハイネといった作家による動物が主人公になった先行作品への目配せ。俯瞰ではなく、クマや女性の目を通して語られる身体感覚と生活レベルの歴史。ケモノバカも小説好きも共に満足できる多様な面白さを備えた、これはシロクマ三代の傑作クロニクルなのです。
しかも、ケモノバカの皆さん、クヌートばかりじゃないんですよ、この小説に登場するのは。第一部「祖母の退化論」はクヌートのお祖母ちゃんにあたる〈わたし〉が、会議の合間をぬって書き進めている自伝になっていて、第二部「死の接吻」はサーカスで猛獣使いをしている小柄な女性ウルズラと、クヌートの母トスカの物語。そして、クヌートが主役を務める第三部「北極を想う日」にはマイケル・ジャクソンを彷彿させる人物まで顔を出すんです。真のケモノバカにして読書家の皆さんには、このくらいの紹介で十分でしょう。すでに「読みたい気」が身の内に充満し、足はすでに最寄りの書店に向かっているに違いありません。というわけで、ここから先は動物にはさほど関心がない小説好きの方に向けての口上となります。
「シロクマが会議に出る? 自伝を書く?」
まず、想像がつくのが第一部についての違和感です。正直わたしも、冒頭に引用したような仔熊の上機嫌を綴っているのが当のシロクマ本人であり、しかも、その〈わたし〉が人の手で育てられ、サーカスでショーに出ていたものの、引退後は人間が主催する会議にひっぱりだこの状態にあることを知った時は、どういう姿勢でこの小説と向かい合ったらいいのか、数秒とまどいました。でも、大丈夫。とにかく、北極の大地のように真っ白な気持ちで読み進めてください。すると、モスクワのアパートの一室で大きな体を丸くして自伝を書いているシロクマの姿がごく自然に脳裡に浮かぶようになる、そんな自然な語り口になっていますから。また、〈わたし〉の回想を追ううちに、旧ソ連時代の、何をするにも選択の余地なんてなくて、それをやらなければ死んでしまうからやるだけだったという市民生活の現実や、言論の抑圧とシベリア抑留という恐怖を追体験することになるんです。
一転、第二部の語り手は人間の女性。猛獣使いのウルズラが舌にのせた角砂糖を、トスカが器用な舌で奪い取る魅惑的な曲芸の描写で始まるこの物語の舞台は東ドイツです。第一部の主人公〈わたし〉が西ベルリンに亡命し、やがてカナダに渡って生んで、東ドイツで育てたのがトスカ。ここで物語られるのは、母子家庭に育ち、サーカスに入るのが夢だったウルズラの生涯と、トスカとの間に培う友情、ウルズラが書こうとするトスカの伝記です。そして、第一部が旧ソ連の情勢だったように、第二部の背景にあるのは、壁によって分断されていた時代のベルリンです。
そして、第三部の語り手はクヌート。人に育てられたクマの内面の声を、作者の多和田さんは「シロクマ語がわかるんじゃないか」というくらい“リアル”かつ慎重に代弁しています。雪のように真っ白な状態で生まれてきた、クヌートの目を通して検証される人間のふるまいの不思議。ただ生まれてきただけの小さな命を、勝手に地球の温暖化ストップの象徴に祭り上げ、金のなる木だと思えば群がって、成長して可愛さが失われれば関心をなくす。そんな人間の勝手をクヌートは、でも、糾弾したりはしません。ただ、その先入観を持たない真っ白で真っ黒な瞳に映すだけ。だからこそ、胸にこたえるんです。
一部、二部、三部と、語り手が交替すると調子を変える文体の妙。レフ・トルストイ、カフカ、ハイネといった作家による動物が主人公になった先行作品への目配せ。俯瞰ではなく、クマや女性の目を通して語られる身体感覚と生活レベルの歴史。ケモノバカも小説好きも共に満足できる多様な面白さを備えた、これはシロクマ三代の傑作クロニクルなのです。
(とよざき・ゆみ 書評家)
著者プロフィール
多和田葉子
タワダ・ヨウコ
1960(昭和35)年、東京生まれ。早稲田大学文学部卒。1982年、ドイツ・ハンブルクヘ。ハンブルク大学大学院修士課程修了。1991(平成3)年『かかとを失くして』で群像新人賞、1993年『犬婿入り』で芥川賞、2000年『ヒナギクのお茶の場合』で泉鏡花賞、2002年『球形時間』でドゥマゴ文学賞、『容疑者の夜行列車』で谷崎潤一郎賞、伊藤整文学賞を受賞。その他の作品に、『海に落とした名前』『尼僧とキューピッドの弓』『雲をつかむ話』などがある。日独二ヶ国語で作品を発表しており、1996年にはドイツ語での作家活動によりシャミッソー文学賞受賞。2018年『献灯使』で全米図書賞(翻訳文学部門)受賞。2006年よりベルリン在住。
判型違い(文庫)
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