マザーズ
2,090円(税込)
発売日:2011/07/29
- 書籍
母親であることの幸福と、凄まじい孤独。金原ひとみがすべてを注いだ最高傑作!
インタビュー/対談/エッセイ
波 2011年8月号より 【金原ひとみ『マザーズ』刊行記念インタビュー】 母であることの幸福と、凄まじい孤独。
傷つき、傷つけながら、懸命に子どもを抱きしめる、三人の若い母親たち――。自身も二児の母である金原ひとみさんが、その経験のすべてを注いで書き上げた長篇小説『マザーズ』がいよいよ刊行になります。 |
なぜいま「母」を描くか
――長篇小説『マザーズ』がいよいよ刊行になります。金原さんにとって初の連載小説でしたね。回を追うごとにドライブ感を増し、最終的に八百五十枚の大作となりました。
金原 連載を始めたころは、五百枚くらいのものになるかなと思っていました。最初は舐めるようにゆっくりと書き進めていったのですが、だんだんエンジンがかかって、一回あたりの枚数もどんどん増えていきました。それでも毎回数十枚は削っていたんですが。
――『マザーズ』には、同じ保育園に子供を通わせている三人の若い母親たち、作家のユカ、主婦の涼子、モデルの五月が登場します。デビュー以来、若い女性の抱える狂気にも似た闇の深さを描いてこられた金原さんが、「母親」や「家族」を正面から描こうと考えられたのはなぜでしょう。
金原 やはり自分自身が「母になったこと」をどう捉えたらいいのかわからなかった、ということが、この小説を書いた一番大きな理由だと思います。子どもを出産して以来、自分が母であるということに、違和感も、恐怖も、苛立ちも感じていました。その理由を考えていく過程で、この小説の核が生まれました。
――三人の母親たちはいずれも、夫とのあいだに深い溝を感じています。一般的には「子はかすがい」などといいますが、子どもはむしろ夫婦の溝を広げる存在として描かれていますね。
金原 子どもが生まれると、夫婦二人の時間というのは少なくとも一定数減るわけですよね。二人だけのときに比べて自由もきかなくなる。赤ちゃんのうちは、夫婦喧嘩をする時間すらないという状況にもなりがちです。夫との関係に限らず、子どもを持つことのデメリットはたしかにあると思います。仕事と育児の両立なんていまでは普通のことですが、それでも、子どもを産むということは、子ども以外の何かを多少なりとも諦めるということです。自分の望む仕事をして、趣味もあって、恋愛もしていて、友だちと飲み歩くのも楽しい、みたいなときにわざわざ修行するために山に籠もろうとは思わないですよね(笑)。「出産」や「育児」は、いまそういうものとして捉えられている。でも女性が子どもを産むことで失うものを最小限に留めないと、「子どもを持つ」ことの価値を正当に見極めることもできません。たとえばベビーシッターを雇いやすくするとか、保育園不足の解消、企業内でのサポートを充実させていくなど、できることはまだまだあると思います。
母という存在の孤独
――マザーズで繰り返し描かれているのは、母親の孤独です。「孤独な育児ほど人を追い詰めるものはない」とユカはいいますし、密室育児に追い詰められ、小さな息子を虐待するようになってしまう涼子は「地獄だ。ここは地獄だ」と叫ぶようにいいます。五月は「本当は昔から、母なるものが誕生したその時から、母とは最も孤独な存在であったのかもしれない」という。母という存在の孤独は、金原さんの実感でもありますか。
金原 もちろん実感です。幼い我が子と対峙するとき、母はつねに孤独な存在だと思います。通常、人と人とは群れることによって孤独感を癒そうとするものですが、母親は子どもと世界を共有するのではなく、子どもの世界を守る存在です。この子のために死ねるんだろうなと、我が子を見て思った瞬間、私は楽園から追放されたような孤独感を抱きました。子どもが危険に晒されたとき、可能な限り私は身を挺して子どもを守るだろう。つまり自分が子どもを守る、すすけた防波堤になったような、そういう虚しさでした。
――夫との行き違いや無理解だけが原因ではないでしょうが、作家のユカはドラッグに、涼子はまだ乳飲み子である息子への虐待に、いちばん理想的な母親に見える五月は年上の男との不倫に、それぞれ逃げ込んでゆきます。非常にリアルに、彼女たちの孤独が描かれ、そのどうしようもなく荒れた姿も描かれるわけですが、読んでいて不思議に断罪する気になれない。「デートをしたかった」といって二人ででかけているあいだに子どもを死なせてしまった若い夫婦のエピソードも出てきますね。そこでも、週刊誌やワイドショー的な断罪ではなく、ある種の共感と痛ましさを感じました。
金原 娘が二歳になるころまで、私自身いつ虐待に走ってもおかしくないくらい追いつめられていました。虐待のニュースが流れると、自分と同じように子どもに苛立っている親がいるんだと安心したくらいです。虐待のニュースのあと、コメンテーターが、「理解できませんね」とよく言いますよね。えっ、それでいいの? 少なくとも理解しようとすべきなんじゃないのって思うんです。虐待自体はまったく特殊な事象ではなく、それこそ人と人との関係性の根源的な問題がもっともよく現われる普遍的なテーマです。さらに社会的な状況や、国柄、あらゆるバックグラウンドで、その問題は複雑に変化していく。昔は虐待は家庭内の問題として内々に処理されてきましたが、社会問題となり、明るみに出るようになったいま、もっとも考えるべき問題ではないかと思います。
子どもとともに生きる
――小説の後半に、親であれば誰もが恐れるようなシーンが出てきますね。生半可には書けないシーンだと思います。小説を書くことが現実の生活を浸食してくることはありませんでしたか。
金原 あのシーンは、喫茶店で書いていたんですが、パソコンを打ちながら涙が止まらなくなって、帰り道でも涙が止まらなくて、家に帰って号泣して、起きてきた旦那に泣きつきました。一週間くらい、ふとした瞬間に涙がでることがありました。実生活の延長線上に小説はありますし、小説の延長線上に実生活があります。地続きだとしたら、実生活と小説は相互的に全て反映されていると言ってもいいのかもしれません。
――『マザーズ』という小説を書くことは、金原さんにとってどんな体験でしたか。
金原 非常に、何というか粛々と書き上げたという印象があります。ずっと、子どもを持って以来、越えなければならない壁のようなものを感じていたんです。その壁を、毎日毎日せっせとドライバーで崩していったような体験でした。連載を終えて、やっぱり余裕ができました。とくに今回は連載終了と同時に産休にも入ったので、ゆったりと育児ができるようになり、ショッピングや映画にもがんがん行けるようになって遊びほうけました(笑)。
――四月にふたりめのお子さんがお生まれになりましたね。おめでとうございます。『マザーズ』執筆中に妊娠がわかったとき、どんなお気持ちでしたか。
金原 とても嬉しかったです。じつは心待ちにしていました。でもわかったのが丁度、主人公の一人の五月が妊娠しているときで、そのシンクロは逆にとても辛かったです。あと、つわりの時期は本当に調子が悪くて、一度休載にさせてもらいました。
――『マザーズ』には、現代の日本の母親たちが抱える凄まじいといっていいほどの孤独が描かれていますが、同時に、母親であることの幸福も同じくらい書かれていると思います。この母親たちは、じぶんも傷つき、ときに子どもたちを傷つけながらも、必死で子どもたちを抱きしめようとしている。その姿に胸をうたれました。
金原 ありがとうございます。子どもに対する思いは、恋人や、親や友だちなどに対するそれとは比べものにならないくらい複雑です。好きで嫌いで一緒にいたくて一緒にいたくなくて愛おしくてうざくて本当に恐ろしいほど複雑で、その複雑さだけでもう泣けてくる。私自身、子どもを育てながら、ずっと胸をうたれ続けているのだと思います。
著者プロフィール
金原ひとみ
カネハラ・ヒトミ
1983(昭和58)年、東京生れ。2003(平成15)年、『蛇にピアス』ですばる文学賞。翌年、同作で芥川賞を受賞。2010年、『TRIP TRAP』で織田作之助賞、2012年、『マザーズ』でドゥマゴ文学賞、2020(令和2)年『アタラクシア』で渡辺淳一文学賞、2021年『アンソーシャル ディスタンス』で谷崎潤一郎賞、2022年『ミーツ・ザ・ワールド』で柴田錬三郎賞を受賞。著書に『アッシュベイビー』『AMEBIC』『ハイドラ』『持たざる者』『マリアージュ・マリアージュ』『軽薄』『fishy』『デクリネゾン』『腹を空かせた勇者ども』、エッセイに『パリの砂漠、東京の蜃気楼』などがある。
判型違い(文庫)
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