立ち読み

2016年5月号


「文字渦」円城 塔(新連作)

 旧説では、阿語の「阿」は、「ふもと」の意であるとされていた。しかもただの「ふもと」ではなく、驪山(りざん)の阿を指すとする。紀元前二〇〇年代の終わり、秦の始皇帝がこの地に自分のための陵墓を築いた。人類の建築史においてピラミッド以来の規模を誇ったこの墓は、項羽の手であっけなく焼き払われてのち、急速な忘却に見舞われた。
 一九七四年になってようやく、近隣の農夫が地中から素焼きの像を掘り出して、陵墓が実在したこと、周囲に多くの陪葬坑が設けられていたことが思い出された。実に二千年の長きに渡り、土中に埋もれっぱなしだったということになる。
 陵墓を囲むように配置された陪葬坑には陶俑を収めた。「俑」は人型の像を意味する。坑の中には、等身大か、それよりもやや大きめの写実的な人形たちが整然と並べられていた。今にも呑んだ息を吐き出しそうな俑はゆうに一万体を超え、ちょっとした町ほどの規模を誇った。

 この陶俑づくりのために驪山の麓へ集められた陶工たちの中にその人物はある。
 名は伝わらない。
 あるいは単に「俑」といった。人の「俑」が人型をした「俑」をつくるということになり、若干ややこしい。もっとも前後は逆であり、俑をよくするために、俑と呼び名がついたのである。陶俑を専門とする職人だったが、本当のところ、趣味が嵩じたにすぎない。
 幼い頃から、庭の土を捏ねては磨きをかけた。近在の子供が夢中になって泥団子を磨く傍ら、小さな泥人形をひたすら磨いていたという。団子に点々式のものではなくて、ひどく写実的なものをつくるのである。竹串の先で衣紋の曲面を撫で、豚の毛を器用に使って眉を引く。放っておくといつまでも泥で遊んでいるが、人ばかりをつくり、食器などには興味を見せない。皿や壺もつくるのだが、どれも小さな泥人形たちに見合う尺でつくった。祭器なども小さく小さくつくり上げ、表面に精緻な模様を彫りこむ。人形をつくり、人形の持つ道具を揃え、人形たちを庭先へと、踏み段の傍らへ窓の桟へ草叢へと、次々並べた。沈黙して行きすぎる敗戦の将に続く軍隊が枕頭に現れることもあれば、市場の賑わいが井戸の傍らに出現することもあった。
 泥製だから、すぐに崩れた。乾いては崩れ、雨が降っては崩れてまた土に還っていったが、俑としては気にしなかった。その頃にはもう別の人形たちに取りかかっていて、過去の作にこだわらなかった。
 土の人形たちの滅びは、命ある物の滅びとはやはり様式が異なっており、土の山へと崩れ、土埃となって吹き去られていく俑の姿は、ふと目を止めた住人たちの背筋を寒くした。
 そんなことを続ける俑に粘土が与えられたのは、他にしようもなかったからだ。周囲が見かねたこともあったし、他の仕事ができるとも思えなかった。
 粘土は腰を入れて練る必要があり、湿度の管理も必要だから、泥よりもずっと手間がかかる素材だったが、幸い、粘土練りも俑の性に奇妙に合った。土の粒の大きさを揃え空気を抜くこの作業を、これまたずっとやっている。引き延ばしては折りたたみ、折りたたんでは引き延ばし、手指のつけ根の丘を使って押し込んでいく。俑の捏ねた粘土は、できたての餅のように艶光りした。これを小さな団子にわけて、上でなにやら手を動かすと、小さな人形たちが現れる。俑の家はたちまち、焼成された人形たちに取り囲まれ、地面には踏み砕かれた人形や小さな調度の破片が敷き詰められた。
 何千という人形たちが俑の指先から生み出されたが、全てに火が入れられたわけではない。誰かが俑の作業をじっと観察していたら、完成と同時に粘土の山に戻されて、また取り出されてはつくり出される一群の人形たちがいることに気づいただろう。失敗作なのかも知れなかったが、それにしては頻度が高く、作り直される人形たちの容姿はどれも似ていた。まるで血を引くようにして。
 俑自身にも上手く言うことはできなかったが、焼き物となった人形は、正真正銘の人形という気配を帯びた。焼く前の粘土人形はそれと比べて、人間に近い存在だった。その人間を、窯に入れて焼くと真の人形になる。ということは、と俑は思った。自分は粘土で人間をつくり、火葬して人形にしているということになる。何かが違う気がしたが、どこが変なのかは追求せずに、俑はひたすら粘土を捏ね続けていた。
 長じてからは、日用品や祭祀用の人形やら器やらも注文に応じてつくりだしたが、そちらはやはりあくまで生活のための仕事で、暇さえあれば粘土をつまみ、ひねって、気ままに造形しては練り潰している。好事家なども集まり出して、裏表のない輪であるとか、中空の真球だとか、ちょっと不思議な依頼をしていくようにもなった。そうした仕事を好んだものの、奇妙な仕事というものは、少ないからこそ妙なのだ。
 俑は自分の生まれた国が秦に降伏したことさえ気づかなかったが、秦から徴用を命じられた村人たちは、一斉に俑の顔を思い浮かべた。布告に陶工の求めが含まれていたのでそうなった。俑自身にはこれといって意見がない。
 はるか東の土地から陶俑づくりに駆りだされてきて、以来、命じられるままに働いている。仕事の中身が変わらぬ以上、俑としては感慨がない。こちらの粘土の方が扱いやすくて助かる、とは思った。従わなければ殺されるということだったが、反抗する方法自体が俑には思い浮かばない。周囲の者は食事が不味い、住まいが非道い、こう簡単に殺されてはたまらんとこぼしていたが、俑はそうも思わない。肉体的な負担ははるかに増えたし、体の痛みに眠られぬ夜も続いたが、ひたすら粘土を捏ねて延ばしていればよいという点で満足だった。俑に可能な反抗は粘土で形づくることができるものに限られており、粘土の形で反抗の意を表す方法はわからなかった。
 作業場には粘土が山をなしており、俑は最初、誰かが粘土で山自体を造作したのではないかと疑った。それから、もしかすると都もまた、粘土でつくりあげられたのかも知れないと思った。

 人々の姿を陶器に写す。兵馬や馬厩だけではなく、市井の人々の生活も俑に写せというのが命令である。帝国の栄華を永遠に残すためには、軍の精鋭だけではなく、都市全体が必要だということらしい。民の姿を土に写して、埋める。
 都市の様子を粘土に写すという点では、俑の独り遊びと規模が異なるだけである。俑はようやく同志を見出したような気分になって、発想の傾きに親しみを覚えもしたが、相手は皇帝ということだから、語りあえるわけでもなかった。なるほどこれが、市井の者と皇帝たるものの気宇の違いかと感心したにとどまる。
 嬴(えい)に呼ばれて、専属の陶工として働きだすまで、俑は陪葬坑に収めるための陶俑をつくり続けた。
 俑も実寸、等身大ということになると、一度各部を制作してから、つなぎあわせて焼成するという工程が要る。胴部、腕部、脚部、頭部等々と分けて作成していく。もっとも、俑のいちいちにも、人それぞれの姿にあわせた個性があって大きさがあり、表情があって服装があり格好があるわけだから、腕を腕だけ、胴を胴だけあらかじめ大量につくっておくというわけにもいかない。分業しなければ手に負えないことは明白だったが、まるで勝手に作業をすすめることはできなかった。
 俑はまずその腕を買われて、彡部へと編入された。それは何かと訊ねると、元は髪を担当した部であるということだったが、今は細かな装飾や紋様を扱う部署であると言われた。主に頭部をやってもらうことになるだろうということであり、やはり人間で細かなところは首から上であるからな、と役人はもっともらしいことを言ったが、俑の方では、秦人は奇妙なことを言うものだとしか思わなかった。物体としての細部を言うなら、人間の体のどこをとっても同じような細やかさがあるはずであり、人皮で包まれている以上、顔だけが特別に細工が入り組んでいるわけではない。その人皮にしてみたところで、馬皮や牛皮と比べてどれだけ繊細な皮かと言われると、首を傾げざるをえない。
 事実を写せという命令なのだが、短く期日を切られてもいた。モデルを使うにも一万体の陶俑をつくるためには一万人のモデルが必要となる道理であって、自然、職人同士で互いの姿を写しあっている。農夫や工人ならば構わなかったが、将軍や高官の像となると、顔つきや姿勢がどこか異なり、仲間同士ではしっくりせずにどうにも困った。
 もっともこれは、地方地方の顔の特徴というものだったかも知れない。秦人の顔は、俑にとっては西の果ての山地の造作である。ひょっとすると、西戎とさえ近しく映る。当然、要人には生まれついての秦人が多い。異国の生まれである自分たちの姿形を、貴人とされる人々の元とするわけにもいかず、これは仕方がないので直接モデルを頼んでみると、ほとんどの者は喜んで作業場までやってきた。直接に言葉を交わすことが許されないような相手であっても、表情から嬉しがっている様子は知れた。絵や鏡ではなく俑ともなると、自分自身を前にしているという印象が格段に強まる。




円城塔 エンジョウ・トウ

1972(昭和47)年北海道生れ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。2007(平成19)年「オブ・ザ・ベースボール」で文學界新人賞受賞。2010年『烏有此譚』で野間文芸新人賞、2011年早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞、2012年『道化師の蝶』で芥川賞、『屍者の帝国』(伊藤計劃との共著)で日本SF大賞特別賞、2017年『文字渦』で川端康成文学賞(表題作に)、2018年日本SF大賞を受賞。他の作品に『Self-Reference ENGINE』『プロローグ』『エピローグ』などがある。


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