御跡慕いて――嵐の海へ 島尾ミホ
寒い! 寒い! おおさむーい! 痛い! 痛い! 嗚呼いたーい! 萬本の銀の針で全身を突かれるが如くに肌を刺す寒気。上下の歯がガチガチガチと音をたてて噛み合い、頭の頂点から足先迄震えが止まらず、呼吸が苦しい。 激しき雨と風に天も海も暗く、山なす荒い浪は哮り狂う。「然れど吾行かむ御跡慕いて」と私は己を叱咤する。 暴風に吹き上がる波浪は、高く高く上り、低く降りた雲の中に入るかと錯覚する程に、私が運転する震洋艇(註 第二次世界大戦の折に、日本海軍が特攻戦に使用した兵器。長さ五メートル幅約一メートルのベニヤ板製のボートの舳に二五○キロの爆薬を装填して、突入と同時に爆発する特攻艇)を持ち上げ、次の瞬間は奈落の海底へ急転直下に落ちてゆき、海底に突き当たるかと思え、私は目を閉じて体を竦める。しかし艇は海底に衝突することなく、直ちに波頭に持ち上げられる。振り落とされぬよう艇の舷をしっかり握り、その上浪が艇の中になだれ込むので、その淦が艇に満溢にならぬようたえず海水を汲み出さなければならない。全身凍て付くのではないかと思える程に、強風にあおられた寒気は激しく、手と足は痺れて自由がきかなくなってきた。「進退維れ谷れり」と諦めが胸の奥でちらりと動く。私は島尾隊長様の在します方角の空に向って、「島尾特攻隊長さま――」と大きな声で御名を呼んだ。忽然と希望と力が湧き、再び海水を汲み出す手に力が籠った。 続きは本誌にてお楽しみ下さい。
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