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【冒頭部分掲載】

現代批評の核(コア)

柄谷行人×福田和也


テクノロジーと「思想の終り」
柄谷 今日は、福田さんが最近出版された『イデオロギーズ』の話からはじめたいと思います。『イデオロギーズ』は、福田さんが教えている大学で講師として現代思想を教える高澤秀次さんが学生から「思想なんか勉強して、何になるのですか」と質問されたという逸話から始まっています。福田さんは、もちろんそのようなことを言う学生に怒りを覚えつつも、思想が意味をなくしてしまっている状況は認めざるをえない。そこから、福田さんは、「高度なテクノロジーの下で哲学には何が残されているか」というハイデガーが問うた問題に向かう。『イデオロギーズ』には「暴力」「自由」「信仰」「愛」と、いくつかのテーマがありますが、基本的には最初から最後まで「テクノロジー」の問題、そして、そこで何が可能なのか、が問われていると思う。
 ぼくは『隠喩としての建築』を九○年代初めに書き直して英語版として出版し、それを今回あらためて日本語版(『定本 柄谷行人集2』)にしたのですが、最初の日本語版(一九八三年)でも、福田さんのとは場所が違うけれど、ハイデガーの著作から同じようなところを引用しています。「哲学の終りと思考(思想)の課題」という講演です。たぶん、これがわれわれの接点になるのではないかと思うので、ここから始めたい。

続きは本誌にてお楽しみ下さい。