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【冒頭部分掲載】

《特別寄稿》福田君と私

島田雅彦


 福田君、といつものように呼ばせてもらうが、君は『無限カノン』三部作に向けて様々に疑義を投げかけているので、自作の擁護と私自身の精神衛生のためにも反論させてもらうことにした。消費者のクレームに回答するのはメーカーの義務だから、やや自作の解説めいた内容になるとも思うが、三部作と私を格闘技のリングに乗せてくれた君の誠実さに報いたいと思う。
 過去に自作への攻撃に立腹し、反論を試みようと思ったこともないわけではない。君も高く買ってくれた『彼岸先生』に対して、当時朝日新聞で文芸時評を書いていた大江健三郎氏から、思わず首を傾げたくなるような嫌味を書かれたことがあった。私は『彼岸先生』を通じ、日本人の西洋人に対する性的コンプレックスと日米間の感情的軋轢を、それこそ君がいう「ファルス」に仕立てたつもりだったが、大江氏はそうは読まず、漱石の『こころ』は誠実で、私の『彼岸先生』は傲慢だと書いた。これに類する大江氏の主張はなぜか、ノーベル賞受賞演説『あいまいな日本の私』を収めた岩波新書の中でも展開されている。私は今でも大江氏に反論しなかったことを後悔している。私をさんざんいじめ抜いた中上健次氏は当時、病床にあったが、病院から「島田を守れ」というメッセージを編集者に送っていたという。中上氏はいくら衰弱しても、またそれが他人事であっても、怒り狂うことができた。だが、私には怒り狂ったり、逆上したりする力が欠けていた。
 反論しなかった私は今でも大江氏の批評に対する恨みを抱えたままだ。もし、あの時、大江氏に反論していたら、きっと余計なメランコリーを溜め込まずに済んだかもしれない。

続きは本誌にてお楽しみ下さい。