【冒頭部分掲載】 [対談]最初で最後の<本格小説> 水村美苗×高橋源一郎
高橋 水村さんの今度の『本格小説』、とても面白かった。 水村 ありがとう。 高橋 今日はインタビュアーのつもりでレジメを書いてきました。過去にもジュリアン・バーンズら何人かの作家にインタビューしたことがあるんだけど、小説家である自分が小説家にインタビューをするのって、やりにくいんですね。どうしてかというと、一つは、設問を考えるんだけど、考えた段階で、全部自分で答えまで考えちゃうし。 水村 いいじゃないの(笑)。 高橋 もう一つには、これを自分が訊かれたらやだなあということをどうしても質問したくなってしまう。というわけで、一応、設問を作ってきたんですが、いやだなという気持ちがあるということは知っておいてもらうと嬉しい(笑)。 この小説は、八百八十ぺージほどありますが、本篇の部分が始まるまでに百七十六ページもかかってしまう。「序」から始まって、次に「本格小説の始まる前の長い長い話」。本篇の「迎え火」は百七十七ページ目から始まるんです。「前置き」が全体の五分の一もあるんですね。そこで訊きたいのは、百七十六ページ目までを書かないとしたら、水村美苗に『本格小説』を書くことは出来たであろうかということです。 水村 実は最初の一年ぐらいは百七十七ページから――ほんとうに本格小説が始まる部分から書いていたんです。 高橋 ああ、そうなんですか。どうでした、書いている時の感じは。 水村 現代小説の果てしない退屈の中に埋没してしまいそうだった。絶望的な感じでした。百七十七ページからだと単に今のふつうの男の子を主人公にした小説だというだけでしょう。文体の古さは少しはあるけれども、それ自体で面白いというほどのこともない。このまま書いていくと、自分でも読む気が起こらない小説をこの世の中にさらに一つ増やすだけだと。それで前置きに、あの長い私小説的な部分をもってくることにしました。今の時代に、人が読む気になる小説を書くのは難しいとつくづく思った。本格小説だけで本格小説を書くのは難しい(笑)。 高橋 その時のタイトルも『本格小説』だったんですか。 水村 そう。それは最初から『本格小説』だったの。でも新潮社に気兼ねして、編集者には『恋愛小説』なんて言ってたんですけどもね(笑)。 高橋 いまこうして僕たちは対談に出ているのだけれど、「対談」というフォーマットみたいなものがあって、それは小説とパラレルじゃないかという気がするんです。文芸誌の対談で普通何を話すかというと、作品のパブリシティーの部分があって、それからお互いの作品を褒め合う。最後は、これからも頑張ろう、めでたしめでたしと、ハッピーエンドで終わる。それはそれでかまわないんだけれども、いつも、なんかもっとほかに言いたいことがあったような気がするんです。ある程度情報を提供して、儀礼的な挨拶をして、そして、おしまいと言うために来てるんじゃない、それは別に書けば済むことで、わざわざ顔を突き合わせて言うことでもないだろう、と。 その感覚は実は小説を書いている時も同じで、僕も、この「本格小説の始まる前の長い長い話」の部分がないと、この小説は小説の形をしたものでしかなくて、なんとなく居心地が悪いという感じがしました。自分が書くとしたら、やっぱり一から書くととても書きにくいだろうなと思います。 ところで、タイトルについてなんですが、水村さんは、最初の作品が『続明暗』で、二作目が『私小説from left to right』、三作目が『本格小説』。『続明暗』も、漱石の書いた作品の続きですから、言い換えるとすれば「明治文学」でもかまわないわけですね。全部、ジャンルの名前になっている。そういう作家って他にいるだろうかって考えてみたんです。 水村 食べ物屋さんなんかはありますよね。「めしや」とか「くいものや」とか(笑)。 高橋 リチャード・ブローティガンの小説は、一時期、タイトルに、ゴシックロマン、ウエスタン小説、ロマンとジャンルの名前が副題でついてたんですね。もっとも彼はそれについて特に説明していないんですが。水村さんが小説ジャンルをタイトルにつける理由は何ですか。 続きは本誌にてお楽しみ下さい。
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