Roji
中上健次、没後8年目の夏
中上健次の命日は1992年8月12日。46歳の、夭折とも呼ばれた死であったが、遺された作品群の再評価はますます進んでいる。小誌でも前号、福田和也氏の力作評論「天は仰がず――小説家中上健次」を掲載し、その他にも意欲的な試みが相次いだ。
まずは、奈良県御所市の水平社博物館で開催されている特別展「中上健次の世界」(8月31日まで)。全国水平社の発祥の地で、「私は部落が文字と出会って生れ出た初めての子である」と語った作家の資料が展示される。神武天皇社の隣にある博物館を訪れ、部落解放運動の立役者たちの肖像の奥にある展示室に入ると、あの圧倒的な存在感が懐かしく蘇ってきた。まず目に入るのは、集計用紙に改行なしで、丸文字がぎっしりつまっている生原稿だ。今回は文壇デビュー作の「一番はじめの出来事」の生原稿も展示されており、こちらは原稿用紙に清書されていて、執筆スタイルの変遷が窺える。生前に撮影されたヴィデオ2本や未公開の少年時代の写真など、自宅の火事による焼失を免れた原資料が集結したといっても過言ではない。新宿を呑み歩く時、いつも大事そうに持ち歩いていたシステム手帳が懐しかった。
青山真治監督の映画「路地へ 中上健次の残したフィルム」も完成した。青山監督のカンヌでの快挙は記憶に新しいところだが、自身が「プライヴェート・フィルム」と語るこの作品の試写も大入り満員だった。
中上健次は、1978年から始まった新宮市の地区改良事業によって消失した「路地」を撮影しており(「熊野集」執筆の頃)、行方知れずだったフィルムが発見され、98年に中上かすみ氏の許に返却される。その18分ほどの映像に、田村正毅の撮影した現在の“路地”が重ね合わされてこの作品が成立した。若い映画作家・井上紀州が自らの故郷である紀州を彷徨し、中上のテキストを土地のイントネーションで朗読する。突如挿入される“路地”の映像。
奇蹟の如く遺されたこのフィルムに描かれた街並みや人々の姿は、正に日本の原風景だ。中上文学を愛する者は必見の快作である。2001年春、ユーロスペース・扇町ミュージアムスクエアで公開予定。
また、生前力を注いだ熊野大学での講義や、遺存ノートを編集した「中上健次と熊野」(柄谷行人・渡部直己編、太田出版刊)も出版された。「故郷喪失こそ、熊野の意味ではなかったか? 根拠地がないのである。」(1987年)という痛切な一行を含むノートは、いまだに生々しい。「中上健次が死んだとき、本屋に行って見ると、彼の主要な作品がほとんど見当らなかった」と序文に記した柄谷氏などの尽力で、全集と文庫版の選集が刊行され、中上文学の全貌が気軽に読める形になったことは、最も大きな出来事である。小誌が刊行される頃にはもう終わっているが、今年も熊野大学では「2000年の中上健次 秋幸三部作を読み直す」というセミナーが行われている(講師・浅田彰、青山真治、高澤秀次、星野智幸など)。
幻の夏芙蓉が咲く季節、中上健次の存在はより熱く甦る。
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