小湊鐵道には何度か乗車しています。そのたびに「いずれ駅舎をじっくり見てみたい」と思っていました。「いずれ」とか「いつか」はだいたい実現しないものですが、この夏に実現しました。残念ながら車での訪問でしたが、それでも十分木造駅舎を堪能しました。そのことは8月6日のブログで触れました。
悠悠自鉄は今日が101回目です。平日毎日更新しています。今日は、千葉とはまぐりの関係を、さも昔から知っているように書いてみようかとあれこれ調べて見ましたが、さすがに無理でした。やきはま丼の画像と駅スタンプがはまぐりの形をしているのに刺激を受けたのですが、これはいずれ挑戦したいと思います。
小学生から高校生まで、夏休み最後の日をのんびりと過ごした記憶がありません。たいてい半泣きで宿題を片付けていました。読書感想文は、何年か続けて有島武郎『一房の葡萄』を書いた覚えがあります。夏休みの宿題ではありませんが、40年前の夏休みの思い出をひとつご紹介したいと思います。一連の写真を見ているうちに、これが「わが国鉄時代」ということかと思いました。
昨日に続き、内田宗治氏の駿河小山取材レポートです。谷口梨花が『汽車の車窓から』で「煌々たる電燈は夢の如く竜宮城を現出して、目を見張らずには居られぬ光景」と描写した筋紡績小山工場は、一瞬にして瓦礫となりました。
関東大震災の起こった大正12年は、まだラジオ放送も始まっていませんでした。そんな日本のメディア状況だったのですが、未曾有の大震災を映した動画が残されていました。そこには静岡県小山町の様子が2分余り映されています。今日から3回、『関東大震災と鉄道』(小社刊)の筆者内田宗治氏にこの動画をもとにあらためて取材していただきました。
有隣堂チェーンでは、『大正12年、日本を襲った「関東大震災」に学ぶ』というフェアを各店で開催中だそうです。思い違いをされている方も多いかと思いますが、関東大震災の地震の震源域は神奈川県沖の相模湾です。特に神奈川県西部は地震による被害が甚大でした。地元の有隣堂がフェアを開催するのは、時宜を得た催しだと思います。
来週の日曜日は9月1日、関東大震災が起こった日です。大正12年9月1日から今年は90年目になります。2年前の東日本大震災は、巨大地震にもかかわらず、地震によって発生した津波による死傷者の方が圧倒的に多数でした。関東大震災では、やはり地震によって発生した火災によって多くの人命が失われました。では鉄道はどうだったのでしょうか。