『中央公論』7月号に「JR鶴見線ベニス化計画」という座談が掲載されています。副題に「鉄道を偏愛する3人がゆく 工場群と運河を巡るワンダーランド」とあります。偏愛する3人とは、水戸岡鋭治さん、梯久美子さん、原武史さんの3人です。
私が鉄道の写真を撮り始めたのは、昭和45年秋頃からです。最初はオリンパスのハーフサイズカメラでした。そのあとキャノンの一眼レフカメラを父親から譲り受けたのですが、ハーフサイズとキャノンの間に別のカメラを使用していた記憶もあります。
11月は紅葉の季節ですね。関東地方ではそろそろでしょうか。編集部では社員の鉄道教育の一環として、この時期に遠足を企画します。過去2回は、碓氷峠廃線跡ハイキングと益子SLの旅および宇都宮餃子めぐりでした。今年はちょっと足を伸ばして袋田の滝に行こうと考えましたが、行って帰って来るだけになりそうなので断念しました。そこで紅葉狩りはお休みして、瀕死の状態になっているという銚子電鉄支援遠足に行くことにしました。地方私鉄の現状を肌で感じてもらおうという企画です。
最近読み始めた小野田滋さんの著書『東京鉄道遺産』(講談社ブルーバックス)の冒頭に次のような文章があって、なるほどと思いました。ちょっと長くなりますが、引用させていただきます。
----しばしば「そんな古い構造物を使っていて大丈夫なのか?」と質問されるが、すでに幾多の災厄をくぐり抜けてきた構造物なので筋金入りである。構造物の寿命は、「何年経ったから」ではなく、「現在も使用に耐えられるかどうか」で判断されるので、的確な検査や修繕が行われていれば、半永久的に使用し続けることができる。
素人は古い高架橋や駅舎などが古いとつい「大丈夫か」と思いがちですが、なるほど「現在でも使用に耐えられるかどうか」が判断基準というのは、しごく常識的な話ですね。
とうきょうスカイツリー駅には、今年3度訪れました。ただしスカイツリーには登っていません。高いところは苦手です。何を好きこのんで634mの高みに登らなければならないのかと思います。ここに駅がなければ、訪れる理由がありません。
今日、東海道本線(1)沿線をオープンします。東海道本線といえば、日本の鉄道が産声を上げた線でもあり、東海道新幹線とともに日本の大動脈です。これまで編集部が蒐集した歴史的な写真なども順次アップしていきます。
10月14日は鉄道の日です。明治5年、新橋~横浜間が開業したのが、旧暦の10月14日、新暦に直すと9月12日。ただし実際には旧暦の5月7日に試運転を始めていたようです。明治天皇は関西・九州方面から帰路、横浜港で降りて、横浜から品川まで臨時列車に乗車しました。7月12日のことでした。
40代の頃、つまり10年以上まえのことですが、廃線跡歩きのマイブームがありました。毎月1回はどこかへ出かけていました。廃線跡歩きは、原則全区間を歩くことを旨としていましたが、15kmを越えるコースはその日の体調によって、途中で断念することもしばしばでした。
首都圏のJRは、東京駅を中心に幹線が放射状に伸びています。西側から東海道本線、中央本線、東北本線、常磐線、総武本線です。その昔、輸送力増強で「5方面作戦」などという言葉があったことを思い出します。大宮からの高崎線も含まれていたはずです。