新人賞の選び方おしえます


第5回新潮エンターテインメント大賞授賞式での選考委員挨拶

●公平な審査のためのルール――応募した後って、不安ですよね
 それでは、選考経過を報告させていただきます。
 実は選考委員をお引き受けするのは初めてでして、そんな人間がいきなり「一人選考委員」を仰せつかったものですから、選考前はドキドキしてました。この「毎回、選考委員は一人だけ」というのは新潮エンターテインメント大賞の大きな特徴ですから、応募される方々も納得済みでしょうけど、それでもやっぱり心配だと思うんです。僕も公募の賞からスタート(1997年、第10回「小説すばる」新人賞を受賞)したのでわかりますが、だいたい疑心暗鬼になってしまう。
 まず原稿がちゃんと届いているかから始まって、きちんと扱ってもらえているかどうか、公平に審査しているのか、それから今度の場合でいえば、たぶん間違いなく「荻原浩が選考する回でよかったのか」「ほかの人の回にまわした方がよかったんじゃないか」ということも、少なからぬ人が考えたでしょう。新人賞、特に長編の作品というのは、働きながらもしくは学校に行きながら、何カ月もかけて、人によっては何年もかけて書き上げるものですから、そうした不安に駆られるのはある意味で当然です。
 ですから、こちらとしても一人だからといって「こういうの嫌い」とか「ちょっと雰囲気が違う」とか、そういうあいまいな姿勢で選考をしてはいけないと考えていました。まあ、一人選考委員ということだけでもこの賞の独自性は保証されているだろうから、自分はニュートラルに、ぶれないように選考をしようと。「選考会をオレ色に染めてやるぜ」みたいなことは狙わずに、ですね。(場内笑) 応募作品の取り扱いルールを決めて、それから評価基準も自分の中であらかじめはっきりさせてから、選考会に臨んだつもりです。

●作品そのものだけを、徹底して吟味する――プロフィール・年齢性別は見ませんでした
 取り扱いルールというのは、本当に細かいことで他の方々もやられているのかもしれませんけれども、まずひとつ「作者のプロフィール・年齢性別」みたいなものは一切伏せて原稿を送ってもらいました。
 それから原稿を読む順番は、最初に読んだ原稿と最後に読んだ原稿では印象の強さが変わってしまうんじゃないかと考えまして、二回順番を変えて読むことにしました。一回目の順番というのは、最終候補作四作が束で送られてきて、その束をあまり見ないようにして机の上に置き、目を閉じてシャッフルして手にとった順番で読みました。
 読む時間帯ということでは、日頃、自分が仕事をする時間の平均的なところ――午前11時から午後6時ごろまでと決めて、そこで読み切れなかったら次の日の11時に回す。夜読むとウェットな作風が有利になってしまうような気がしたのと、夜はほぼ確実に酒を飲んでいますので、飲酒しながら読むのはやめようと。「飲んだら読むな」というスローガンのもとに。(場内笑)

●買って読むに値するか、将来性はどうか――「プロの仕事」として評価したい
 評価の基準の方なんですけれど、こちらは一つは単純で、受賞作は一冊の本になります。だから「他人様にお金を出して読んでもらえるものかどうか」。これがとにかく第一の条件になりました。僕としても自分が選んだ本は世間に祝福されたいですし、やっぱり「いいよ!」と言ってもらいたい。ゆめゆめ金返せとは言われて欲しくない。お前が選考したんだから半分返せとか、そういうことを言われても困る。(場内笑)
 もう一つはプロのスカウトの目で見ること。僕のアタマの中では、有望選手を現地に見に行くプロ野球のスカウトみたいなイメージがありました。その選手がホームランを打つかどうかということだけでなくて、そのスイングの鋭さを見る。投げた球がストライクかボールかということだけではなくて、そのキレや威力を見る。野球に興味のない方は何のことかわからないかもしれませんけれども、小説で言えば、たとえばとんでもないところから比喩の言葉を持ってきて、それをぴたりと文章の中に当てはめる才能。あるいは、自分のアタマの中だけで文章を構築するのでなくて、読む人のアタマの中に物語や光景を植え付けるセンス。小説の完成度という“結果”だけではなくて、それを書いた人の個々の能力・力量を、判断材料の半分にしようと考えていました。
 すごく面白い話を偶然に思いつくことは、ラッキーでできるかもしれません。でも、一編の小説を書くためにいい文章を連ねていくということは、絶対にラッキーではできないんです。ですので、新しい小説家を発掘するうえでは、意外とこれは間違った方法ではないのではないかと、自分では思っておりました。

●まずは文章の力――読み始めてすぐに“いい球”が来てると……
 さて今回、四つの候補作それぞれ力作揃いだったんですけれども、正直、一回目に三つまで読んで、この中から選ぶのは大変だなあという気持ちがありました。どれも一長一短で、これが心の底から自分のお薦めだといえるかどうか、ちょっと自信が持てなかったからです。でも四作目で「ベンハムの独楽」を手にとって、読み始めてすぐに、いい球がビシビシと来ていると感じました。文章の力という点では、他の三作から一歩抜けているという印象があったのです。
 冒頭のエピソードがけっこう暗い話で、あともずっとこういう話を読むのかと、若干、重たい気分になったことは事実です。でも、ここからがすごかった。暗い話でありながらもなかなか上手いじゃないかという一話目が終わって、二話目を開いたら印象も文章のタッチもガラッと変わっている。おやおや? というのがあったんですね。
 一話目がいわゆる超常現象を題材にしていまして、第二話の題材もそれに近いものがあったので、あ、この小説はこういうマニアックな題材を扱って展開していく話だなと推測していたら、二話目の最後でどんでん返しがあって、ここでまたびっくりした。この小説はなんなんだろうと不思議な気持ちになりました。
 そして第三話を開いたら、こんどは女子大生の視点で書かれている物語で、なんだかハートウォーミングではあるんですけど、第一話と第二話の“手口”から見て、何か仕掛けがあるに違いない、何かとんでもない事件が起きて、この女子大生が犯人だったりするに違いないと自信満々で読んでみたら、実はこの話は最後までジーンとするいい話。(会場笑)

●読み手を引き込む“ドキドキ感”――気付いたらラストまで連れていかれてました
 そこでようやく、あ、この作品は、いろんな短い物語をアラカルトにして、変幻自在に提示しているんだというのが分かった。一見バラバラなんですけれども、一回出てきた登場人物が、また別の話でお久しぶりっていう感じで姿をみせたり、ある話の主人公が、別の話では脇役として近況報告をしたりして、そのへんの工夫も実に楽しい。たぶんこれは作者の術中にはまったということなんだと思いますが、ドキドキしたりゾクゾクしたり、心洗われたり、笑わせられたりしながら、気付いたら全9話のラストまで連れていかれている。ふわっと着地させられたという感じがします。二回目の通読はこの作品を軸にして、他の三作それぞれとの間で比較しながら読みましたが、やはり「ベンハムの独楽」が受賞作だという確信は変わりませんでした。
 ですから最初のスカウティングの喩えをとりますと、直球投手だと思っていたらとんでもない変化球も投げてくるやつだなと。もしかすると、自分の思いついた話を全部ぶちまけただけという意地悪な言い方もできるかもしれません。でも、男性、女性、一人称、三人称と使い分け、中年のおっさんから若い女の子、子供まで、こんなにいろいろタッチの違う話をぶちまけられるだけでも凄い才能だと思います。そういうことで、僕の中では満場一致で「ベンハムの独楽」を受賞作に決めました。

●小説の“種”を集めておこう――“人生経験”で書くものじゃないけれど……
 選考が終わって、初めて小島達矢さんという人の作品だとわかって、小島さんが22歳(1987年生まれ)だということを知りました。一冊の本を手に取る読者にとっては、それがいい本か、そうでないかしか問題ではないので、選考の時に年齢は一切選考の要素にしなかったことは先ほど申し上げた通りです。
 ただ、一人の小説家の創作人生を考えると、やっぱり22歳でスタートラインに立つというのは凄いことだなと思います。だから、小島さんは焦りすぎる必要はどこにもないと思います。ストリートダンスをやられているそうですが、ガンガン小説を書くのは当然として、ダンスも頑張ったらいいと思う。
 さっき控え室で、仕事は辞めてしまったと仰っていましたが、できれば“ものすごい忙しい作家”になる前に――いや、もちろんすぐに忙しくなるかもしれないですが――ちょっとでいいから仕事をして、世間から小説の種を拾い、人間観察を積まれたら、僕はいいなと思います。小説を書くということは、経験していないことを、あたかも体験したかのように書く作業とも言えるはずです。ですから、人生経験がたくさんあればいい小説が書けるというものではないのですけれども、一方でゼロから10のフィクションを書くというのは意外と大変です。でも、何か小島さんの懐の中に、こんな面白い奴がいたとか、こんな情景に出会ったことがあるとか、そういうことが1でも2でも入っていると、それを10にする道は見えるはずなんです。だからいまは若さを活用して、いっぱい書きつつ、放電しつつ、どんどん充電もしてください。この会場にいらっしゃる方たちは編集者が多いと思うんですけれども、みなさん小島さんに何を書かせようかと手ぐすねひいているかもしれませんが、尻を叩きつつ長い目で育ててあげて欲しいなと、僕は思います。
 小島さんはもちろん、最終選考に残った四人の方みんなが――あるいは応募者全員が――考えてみれば今時楽しいことが他にたくさんあるだろうに、こんな分厚い長編を書いて送ってくれたわけですね。本が売れない、先行き不透明な現在の小説の世界で、そういう方たちって宝物だと思うんです。だから、僕らそれに関わるおじちゃんおばちゃんは、そういう方たちを温かく見守っていくべきなのかなと、殊勝なことを思いつつ選考経過の報告に代えさせて頂きます。

2010.1.20 於:京王プラザホテル



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