新潮社は9月新刊として、ポール・ベンジャミンの『スクイズ・プレー』という作品を刊行しました。
「ポール・ベンジャミン」という聞きなれない名前。これは実はかのポール・オースターが、デビュー前に使っていたペンネームのひとつ。〈ニューヨーク三部作〉で小説家として成功する前のオースターが、生活のためにさまざまな別名で雑文や記事を書いていたことはつとに知られていますが、小説を世に出せるということで喜び勇んで引き受けた作品が、本作『スクイズ・プレー』の執筆でした。アメリカ私立探偵作家クラブの賞であるシェイマス賞の最終候補作に入るほどの、本格的な私立探偵小説になりました。
この知る人ぞ知る筆名は「ベンジャミン」という自身のミドルネームを使ったものですが、のちに自身が脚本を手掛けた傑作映画「スモーク」(1995年)では、物語の舞台となる煙草店の常連客として、俳優ウィリアム・ハート扮するポール・ベンジャミンという作家を登場させています。
また、オースターの代表作〈ニューヨーク三部作〉の第一作『ガラスの街』(1985年)では、主人公であり、ウィリアム・ウィルソン名義でミステリーを書いている作家クインのもとに、「ポール・オースター探偵事務所ですか?」という奇妙な電話がかかってきます。しかも、ウィルソンの書くミステリー・シリーズの第一作として、『スクイズ・プレー』という小説の題名まで登場します。
そんな細かな作家の遊び心も含めて、オースターファンにとっても海外ミステリーファンにとっても意義深い作品の本邦初紹介ということになるでしょう。
また、『スクイズ・プレー』と同時に、オースターの中編『写字室の旅』と『闇の中の男』を合本したお得な文庫版も刊行されます。今年はオースター名義の『孤独の発明』でデビューしてから40年の節目の年。成熟の極みを示す文庫最新刊もあわせてお楽しみいただければと思います。
本作は既に阿部寛さん主演でドラマ化も決まっており、ディズニープラス「スター」オリジナルシリーズとして、2022年9月14日(水)から独占配信されます。
燃え殻さんは本書の中で「良いことも悪いことも、そのうち僕たちはすべて忘れてしまう」と語ります。実際に私たちは、どんなに嬉しいことや悲しいことがあっても、日々の生活に追われ、新しい思い出が生まれていくことによって、古い記憶をだんだんと忘れてしまうのです。かつて付き合っていた彼女と訪れた箱根の安旅館の朝の出来事、お見舞いに行った病院で祖父にかけられた言葉、知らない人たちとフィッシュマンズの「ナイトクルージング」を聴いた夜――。
日々、私たちの手からこぼれ落ちていく思い出のかけらたち。そんな愛おしい存在を優しく掬い上げてくれる一冊です。
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1992年8月4日、松本清張は肝臓がんにより82歳の生涯を閉じました。「週刊新潮」に連載していた時代長編「江戸綺談 甲州霊嶽党」が絶筆となりました。
今年は松本清張没後30年。この節目の年を記念して、2冊の新刊を発売しました。
1冊目は『文豪ナビ 松本清張』。新潮文庫には「文豪ナビ」という作家ガイド本のシリーズがあるのをご存知でしょうか? 2004年開始の第1期は漱石、芥川、三島、太宰、川端、谷崎、周五郎の7名、2020年からの第2期は池波、藤沢、司馬と刊行を続けてきました。膨大な作品群を、どれから、どの順番で読んでいったらよいかを指南する「作品ナビ」や、その作家の本質を突く「5つのキーワード」、作家の人生と素顔がわかる「評伝」まで、この1冊で文豪の「通」になれる最強のガイドブックです。
清張作品の大きな特徴のひとつとして、映像化の多さが挙げられます。そこで『文豪ナビ 松本清張』では、清張映画・清張ドラマについてもじっくりとご紹介しています。すぐれた映画評論を多数お書きになった長部日出雄さんによる「松本清張映画ベストテン」を再録。ドラマフリークの作家・柚木麻子さんは「家政婦は見た!」(一作目は清張の原作!)と、あのアカデミー賞映画の意外な共通項を発見。そして平成の清張ドラマを牽引した米倉涼子さんのスペシャル・インタビューも! 小説、映画、ドラマ、どれをとっても魅力的な清張作品の案内役として、本書をお役立ていただけたら幸いです。
2冊目はミステリ・SF評論家の日下三蔵さんが編んだ短編アンソロジー『なぜ「星図」が開いていたか―初期ミステリ傑作集―』です。清張といえば社会派推理小説のイメージが強いですが、歴史や実在の人物を題材にした歴史時代小説で出発し、ミステリに進出したのは1955年発表の「張込み」からでした。本書は清張ミステリ最初期の傑作8編を収録。どこにでもいそうな平凡な人物が犯す犯罪とその隠匿は、読む側に他人事ではないリアリティを感じさせます。これらの作品が、ミステリを一部の愛好家向けの「探偵小説」から多くの人に受けいれられる「推理小説」へと変化させる契機となりました。「社会派」と「本格」は矛盾する概念ではないと論じる日下さんの編者解説も必読です。
『日本の黒い霧』や『昭和史発掘』などのノンフィクションで昭和という時代を追究した清張はしばしば「昭和と共生した作家」などと評されますが、平成、そして令和になっても清張作品の面白さはまったく減じることがありません。人間の闇、時代の暗部を活写した作品世界をご堪能ください。
小林快次さん。人気ラジオ番組「子ども科学電話相談」出演者として老若男女に"ダイナソー小林"として親しまれる、恐竜研究者です。ゴビ砂漠やアラスカ、カナダなどのフィールドに毎年のように赴き、発掘調査を行いつつ、恐竜の分類や生理・生態の研究をされています。近年は、カムイサウルス、ヤマトサウルス、パラリテリジノサウルスなど日本で発掘された恐竜を次々と命名。世界の恐竜研究をリードする存在に。
そんな小林さんが、探検家のようなタフな日々を振り返り、研究者としての喜びを熱く語るエッセイ『恐竜まみれ―発掘現場は今日も命がけ―』がこのたび、文庫化されました。アラスカのアニアクチャック国定天然記念物・自然保護区で至近距離まで巨大なグリズリーに迫られた話。日本人のアマチュア愛好家と訪れたゴビ砂漠ツアーで小学校教諭のK子さんと共に発見した恐竜の営巣地。ある時は怒涛の濁流から間一髪で逃れ、またある時は"死に憑かれた"ヘリパイロットに身の毛もよだつ講談をえんえんと聞かされる。そんなエキサイティングな毎日の中で、世紀の大発見が生まれるのです。
版を重ねた単行本版の中でもひときわ注目を集めた「第8章 ついに出た、日本初の全身骨格」で語られる、北海道での「むかわ竜」発見のてんまつ。文庫では「カムイサウルス・ジャポニクス」命名についても加筆して頂きました。その上で、若き研究者の集まり「コバヤシ・ファミリー」と2021年のアラスカ最新調査について語る、長めの「文庫版あとがき」を書き下ろし。解説は『キリン解剖記』で知られる解剖学者の郡司芽久さんが執筆してくださいました。恐竜ファンのみならず、科学好き・探険エッセイ好きの方にもぜひオススメしたい完全版の誕生です。
不世出の天才シンガーソングライター、ユーミン(荒井由実、のちに松任谷由実)がシングル「返事はいらない」でデビューしたのが、1972年の7月5日のこと。2022年の今年でデビュー50周年を迎え、全国ツアーをはじめとするさまざまな記念イベントが催され、さらにこの先にも魅力的な企画が多数予定されているようです。
長きにわたってつねに日本のポップ音楽界を牽引してきたユーミンの作品の魅力は、何といってもそのメロディーの新しさ・美しさにありますが、一方で、ストーリー性のある歌詞が醸しだす独特の世界観も大きな魅力のひとつではないでしょうか。
小説家の皆さんのなかにも、そんなユーミンの歌の世界を愛する方が大勢いらっしゃいます。
小池真理子、桐野夏生、江國香織、綿矢りさ、柚木麻子、川上弘美――名実ともに第一線で活躍する女性作家の皆さん。この6人に、数あるユーミンの人気曲・名曲のなかから、お気に入りのタイトルをひとつ選んでいただき、そこから発想を得て新たにオリジナルの小説を書き下ろしてもらう――そんな贅沢な企画を結実させたのが、この新潮文庫オリジナル・アンソロジー『Yuming Tribute Stories』です。
とはいえ、6人の作家の方々それぞれに着目点もアプローチも違います。出来上がってきた小説たちは、まったく異なるメロディーを奏でて、ユーミンのタイトルから新たなストーリーを紡ぎだしました。
いまも胸にのこる後悔、運命と信じたはかない恋心、忘れえぬ異国の光景、取り戻したかったあの瞬間の空気、そして心からの願いごと......。
巻末には画期的なユーミン論『ユーミンの罪』の著者としても知られる酒井順子さんの解説を付記。カバーデザインを森本千絵さんが担当。
メロディーを耳にしただけで、あの頃の幸福な気持ちや切ない想いを鮮やかに甦らせてくれる永遠の名曲たちを6人がどうアレンジしたかは、読者の皆さんが実際にこの小説アルバムから聴きとってみてください。みごとなハーモニーを醸しだす贅沢な小説の"アルバム"。もちろんBGMにはユーミンの歌声を。