流跡
1,430円(税込)
発売日:2010/10/29
- 書籍
堀江敏幸氏選考、本年度ドゥマゴ文学賞受賞!
書評
波 2010年11月号より 悠然と水路を行く
『流跡』は中編とも言える一〇〇枚ほどの作で、〈……結局一頁として読みすすめられないまま、もう何日も何日も、同じ本を目が追う。〉というのが書き出しである。そして、やがて最初の行アキがくる。作品の最後の行アキのあとに始まる部分の途中に、〈……結局一頁として読みすすめられないまま、と消すようにして書かれはじめた何百列が糸水となってながながとつたい、ようやく、いよいよ、最終段落の最終行の最終文字列に近づいてゆく。〉とある。最初の場はプロローグ、最後の場はエピローグである。その双方の場に存在する、この作品の(作中の)創り手も、双方の場の間で様ざまの〈ひとやひとでないもの〉に変化(へんげ)する主人公も、終始主語なしの三人称で表現されている。
プロローグが終わると、〈もののけになるか、おにになるか、不定形の渦から目をはやし、足をはやし、はじめはくにゃくにゃしていた身体がしっかりとした顔をつくって歩きはじめる。角ははやさなかった。ひとになった。〉で、〈ひとやひとでないもの〉への変化の話が始まる。といっても、この作品は変身譚ではない。もとより、妖怪話ではない。極言すれば、人間の意識と感覚を問いつめた場合の超人間の幾つかのかたちを創ってみせた作品の観がある。
最初の話では、主人公は〈春の門〉をくぐって行く。祭の日らしく賑っている神社に達する。海上に迫りだす大きな神社である。いつの間にか連れてこられて、舞台の脇で右舞を見ている。すっかり重い装束までつけているが、どう舞えばよいのか分らない。自分の番になる。一艘の小舟が見え、大舞台まで走り出て、それにとびのる。舟は波をめくった裏側にいるらしい。どんどん進むらしい。
主人公は妻と幼児のあるサラリーマンに変化することもあれば、もと製煉所や火力発電所があって、そこで働いていたらしい人物にも変化して、その荒れ果てた島を訪れる。島の最北端に、竜宮という海底の地殻変動で生じた大きな孔がある。
それらの主人公の幾つかの変化のひとつに、舟頭への変化がある。舟頭といっても、仕事は専ら夜である。〈客はなにもヒトには限らない。ときによって様様かわる。めづらかな爬虫類、剥製、USBメモリ、密書の入った文箱、スーツケース、厳重に梱包された板きれのようなもの、あるいは生あたたかな風呂敷包み、段ボール箱、夜更けに運ばねばならないものである以上、たいていよからぬものに違いはないのだ。〉/〈――、手をひいてのせたはずの客が今し方いなくなった。いなくなったというよりは消えたというほうが正しいのかもしれない。消える瞬間というのをみたことはないが、棹にかかる負荷ですぐにわかる。音もないから、おちたのでも何かに喰われたわけでもない。〉
この舟頭の仕事も、そして更に仕事を離れている時の意識と感覚のつきつめた表現も、主人公の変化のうちで、取り分け見事なものである。
気がつけば、作中には川・海・雨がよく出てくる。標題の『流跡』はそこから生まれたのだろう。が、作品の感触は終始さらりとしている。
オッフェンバック(一八一九―一八八〇)のオペラ「ホフマン物語」第二幕目の幕切れに、ジュリエッタが新しい恋人とゴンドラに乗って灯影の映る水路を悠然と進んで行く場面がある。私はこの作品が終わった時、ふとその場面を思い出し、ジュリエッタのように悠然と水路を去って行く作者を感じた。『流跡』は始めて発表された作品らしいが、作者は随分しっかりした、頼もしいひとのようである。
プロローグが終わると、〈もののけになるか、おにになるか、不定形の渦から目をはやし、足をはやし、はじめはくにゃくにゃしていた身体がしっかりとした顔をつくって歩きはじめる。角ははやさなかった。ひとになった。〉で、〈ひとやひとでないもの〉への変化の話が始まる。といっても、この作品は変身譚ではない。もとより、妖怪話ではない。極言すれば、人間の意識と感覚を問いつめた場合の超人間の幾つかのかたちを創ってみせた作品の観がある。
最初の話では、主人公は〈春の門〉をくぐって行く。祭の日らしく賑っている神社に達する。海上に迫りだす大きな神社である。いつの間にか連れてこられて、舞台の脇で右舞を見ている。すっかり重い装束までつけているが、どう舞えばよいのか分らない。自分の番になる。一艘の小舟が見え、大舞台まで走り出て、それにとびのる。舟は波をめくった裏側にいるらしい。どんどん進むらしい。
主人公は妻と幼児のあるサラリーマンに変化することもあれば、もと製煉所や火力発電所があって、そこで働いていたらしい人物にも変化して、その荒れ果てた島を訪れる。島の最北端に、竜宮という海底の地殻変動で生じた大きな孔がある。
それらの主人公の幾つかの変化のひとつに、舟頭への変化がある。舟頭といっても、仕事は専ら夜である。〈客はなにもヒトには限らない。ときによって様様かわる。めづらかな爬虫類、剥製、USBメモリ、密書の入った文箱、スーツケース、厳重に梱包された板きれのようなもの、あるいは生あたたかな風呂敷包み、段ボール箱、夜更けに運ばねばならないものである以上、たいていよからぬものに違いはないのだ。〉/〈――、手をひいてのせたはずの客が今し方いなくなった。いなくなったというよりは消えたというほうが正しいのかもしれない。消える瞬間というのをみたことはないが、棹にかかる負荷ですぐにわかる。音もないから、おちたのでも何かに喰われたわけでもない。〉
この舟頭の仕事も、そして更に仕事を離れている時の意識と感覚のつきつめた表現も、主人公の変化のうちで、取り分け見事なものである。
気がつけば、作中には川・海・雨がよく出てくる。標題の『流跡』はそこから生まれたのだろう。が、作品の感触は終始さらりとしている。
オッフェンバック(一八一九―一八八〇)のオペラ「ホフマン物語」第二幕目の幕切れに、ジュリエッタが新しい恋人とゴンドラに乗って灯影の映る水路を悠然と進んで行く場面がある。私はこの作品が終わった時、ふとその場面を思い出し、ジュリエッタのように悠然と水路を去って行く作者を感じた。『流跡』は始めて発表された作品らしいが、作者は随分しっかりした、頼もしいひとのようである。
(こうの・たえこ 作家)
著者プロフィール
朝吹真理子
アサブキ・マリコ
1984(昭和59)年、東京生れ。2009(平成21)年、「流跡」でデビュー。
2010年、同作でドゥマゴ文学賞を最年少受賞。2011年、「きことわ」で芥川賞を受賞した。他の著書に『TIMELESS』、エッセイ集『抽斗のなかの海』、『だいちょうことばめぐり』(写真・花代)などがある。
判型違い(文庫)
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