イスラム教の論理
858円(税込)
発売日:2018/02/16
- 新書
- 電子書籍あり
「必読! 逃げも隠れもしないイスラム法の真実」。「西側の論理」とは相容れない本質を気鋭の研究者が描き尽くす。
神の啓示の言葉を集めたコーランによれば、異教徒は抹殺すべき対象である。彼らを奴隷化することも間違っていない。ジハードは最高の倫理的振る舞いである。その意味で、カリフ制を宣言し、イスラム法によって統治し、ジハードに邁進する「イスラム国」は、イスラム教の論理で見れば「正しい」のだ──。気鋭のイスラム思想研究者が、コーランを典拠に西側の倫理とはかけ離れた「イスラム教の本当の姿」を描き出す。
穏健派法学者と国家権力の癒着
「イスラム国」の人気は「過激派組織」だからではない
SNS戦略の徹底と洗練された動画編集術
「イスラム国」の支配地域こそ「理想郷」である
自国でジハードできる「よい時代」がやってきた
人口増加でイスラム教徒を増やす「ベイビー・ジハード」
女も子どもも後顧の憂いなくジハードせよ
放蕩者の悪行も、ジハードすれば清算される
レイプの被害者は「姦通」で鞭打ちされる
「働く女性は同僚男性に五口の母乳を飲ませよ」
手首切断も石打ち刑も世論の大半が支持
主権在民ではなく主権在神、人間は神の奴隷
「人生を楽しむ」という発想はありえない
急成長するイスラム・ファッション
書誌情報
読み仮名 | イスラムキョウノロンリ |
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シリーズ名 | 新潮新書 |
装幀 | 新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 新書、電子書籍 |
判型 | 新潮新書 |
頁数 | 240ページ |
ISBN | 978-4-10-610752-8 |
C-CODE | 0214 |
整理番号 | 752 |
ジャンル | 政治・社会 |
定価 | 858円 |
電子書籍 価格 | 858円 |
電子書籍 配信開始日 | 2018/02/23 |
薀蓄倉庫
ハラール認証は誤解されている
イスラム教は、食べ物について厳しいルールを定めているというイメージをもたれがちですが、実はそれほど厳しいわけではありません。「禁じられているもの(ハラーム)以外は許されている(ハラール)」というのが基本的ルール。禁じられているものとは、血、豚、酒です。また、所定の方法で処理されていない動物の肉は、豚以外でも食べてはいけないことになっています。しかし、それ以外は食べてもよいわけですから、「イスラム教徒が食べてもよいものにハラール認証を与える」というやり方は、論理が逆転していると言えます。
イスラム法はそもそも、用もないのに異教の地に出向くことを禁じていますから、本当にイスラム法に従って生きている人は日本などの異教の地には来ませんし、来てもどこの誰が認証したのかも分からない「ハラール認証」など信用しないでしょう。イスラム教のことなど知らない相手に「認証機関」がうやうやしくハラール認証を与えてカネを要求するのはイスラム教を濫用したぼったくり商売である、という批判には一定の妥当性があるのです。
掲載:2018年2月23日
担当編集者のひとこと
「本当は平和な宗教」って本当?
2015年、パリ郊外のサッカースタジアムと市内のカフェや劇場で同時多発テロが発生した後、テレビのニュース報道を見ていたら、あるイスラム専門家が事件の解説をしているのを目にしました。その方は、「イスラム国」(IS)が発表したアラビア語の犯行声明を分析しつつ、「パリ」「サッカースタジアム」「男女が同じ空間で飲食を楽しむカフェ」「劇場」などが、イスラム教の思想的文脈でどのような意味を持つのかを解説されていました。
その解説ぶりが見事だったので、直後にすぐメールで連絡を入れたのですが、そのメールはなぜかネットの闇の中でさまよい、相手に届いたのは一年近く経ってからのことでした。それでも、直接お目にかかることになり、何度かのやりとりを経て、一冊の本として結実するところまでこぎつけました。それが2月刊の『イスラム教の論理』です。当時テレビで解説されていたイスラム専門家とは、この本の著者の飯山陽(あかり)さんのことです。
日本でイスラム教を論じる際、イスラムと日本社会の倫理を架橋するためか、「イスラム教は本当は平和な宗教」とか「IS(イスラム国)のイスラム教は本当のイスラム教ではない」などといった言説が展開されます。しかし、これは本当なのでしょうか。神の啓示の言葉を集めたコーランによれば、異教徒は抹殺すべき対象です。彼らを奴隷化することも間違っていません。また、異教徒との戦い(ジハード)は、イスラム教徒にとって最高の倫理的振る舞いです。その意味で、カリフ制を宣言し、シャリア(イスラム法)によって統治し、ジハードに邁進する「イスラム国」は「正しい」(少なくとも「間違っていない」)のです。
飯山さんは、西側の論理との共通点を探るのではなく、イスラム教を「イスラム教の論理に則して」論じています。その論理のかなりの部分は、我々の論理とはかけ離れていますが、彼らの論理を理解しなければ、我々が「よかれ」と思っての提案や働きかけが、「余計なお世話」や「侮辱」に転じてしまいかねません。
本書は7章構成になっていて、編集の過程では2週間に1章のペースで原稿を頂いていたのですが、原稿を受け取る度に、毎回ひっくり返りそうなほど驚いてばかりでした。
例えば第5章(娼婦はいないが女奴隷はいる世界)。イスラム法は、「結婚できる関係性にある男女」が閉ざされた空間に2人きりでいることを禁じていますが、これを字義通りに実践したら、現代の多くの職場が機能不全に陥ってしまいます。そこで、エジプトでは、
「女性が同僚男性に自分自身の母乳を5口飲ませればよい」
との論を述べる学者が登場し、大騒動になった、とあります。これを言ったのは、エジプトにあるスンニ派の最高学府アズハル大学のイッザトゥ・アティーヤという教授。この説の根拠は、「男はその乳母と結婚することはできない」というコーラン(第4章23節)の文言だそうです。
日本人の感覚で言うと、一瞬、「へぇ~、エジプトにもみうらじゅんみたいな人がいるのか」と誤解しそうですが、これは大まじめな言説です。
あるいは第4章(自殺はダメだが自爆テロは推奨する不思議な死生観)。イスラム過激派によるテロを伝える報道ではしばしば、「テロ実行者は地元のゴロツキで、とても正しいイスラム教徒ではなかった」「ジハードなどと言っても所詮はならず者が洗脳されて無謀なことをやっただけ」などと言われますが、飯山さんによると、これは話が逆で、放蕩者にとっては「だからこそのジハード」なのだそうです。
イスラム教徒は全員、この世が「かりそめ」であり、現世の後に来世がやってくること、終末の日にすべての人間が最後の審判を受けることを信じています。審判の日は、この世の「清算」の日でもあります。「いつか清算するから大丈夫だ」と悪行を重ねているイスラム教徒も少なくありませんが、最も確実明白に「清算」できるのがジハードという最大善。つまり、「放蕩者こそジハードに邁進したくなる論理」が、イスラム教の論理に内包されているわけです。
これを「洗脳」と言ってしまうのは、それこそイスラム教の論理に対する差別になりかねない。
西側世界とは反転した死生観を持つイスラム教徒に、「この世での快楽」や「自己実現」の観点から何を述べたところで、心に響かないどころか、逆に侮辱と受け取られる可能性すら生じることがよく分かります。
本書を読めば、イスラムの台頭が突きつけているものが、「異文化共生」とか「多様性のあるグローバル社会」といった言葉で乗り越えられるような生易しいものではないことが「これでもか!」というほど理解されるはずです。
ちなみに飯山さんは、東大の博士課程で池内恵さんの後輩にあたる方で、オビには池内さんが推薦文を寄せて下さいました。池内さん曰く、飯山さんは「イスラム法と素手で殴り合って負けない逸材」だそうです。
この本を編集したことで、私は蒙が啓かれまくりました。ご興味あれば、ぜひご一読ください。
2018/02/23
著者プロフィール
飯山陽
イイヤマ・アカリ
1976(昭和51)年東京生まれ。イスラム思想研究者。アラビア語通訳。上智大学アジア文化研究所客員所員。上智大学文学部史学科卒。東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻イスラム学専門分野単位取得退学。博士(東京大学)。