西田幾多郎―無私の思想と日本人―
924円(税込)
発売日:2014/10/17
- 新書
- 電子書籍あり
日本的精神の核心を衝く。知的興奮あふれる警世の書。
考えに考え抜き、自分の底を突き破った先にあるものは――。世の不条理、生きる悲しみ、人生のさだめなどを、歩きながら沈思黙考し、「日本人の哲学」を誕生させた西田幾多郎。自分であって自分でなくする「無私」とはどんな思想なのか。その根源にある「無」とは何か。純粋経験、理性と精神、死と生、論理と生命、根本実在……難解な言葉をかみくだき、「西田哲学」の沃野を、稀代の思想家が柔らかな筆致で読み解く至高の論考。
書誌情報
読み仮名 | ニシダキタロウムシノシソウトニホンジン |
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シリーズ名 | 新潮新書 |
雑誌から生まれた本 | 新潮45から生まれた本 |
発行形態 | 新書、電子書籍 |
判型 | 新潮新書 |
頁数 | 256ページ |
ISBN | 978-4-10-610589-0 |
C-CODE | 0210 |
整理番号 | 589 |
ジャンル | 哲学・思想 |
定価 | 924円 |
電子書籍 価格 | 660円 |
電子書籍 配信開始日 | 2015/04/17 |
蘊蓄倉庫
西田哲学の重要な言葉に、「純粋経験」があります。
たとえば、ある朝、公園に行ってみると、桜の花が一気に満開になっていたとします。美しさにアッと息をのみます。少しして「何と美しい花だ」といいます。これは「私はきれいな花を見た」という経験です。
しかし、よく考えてみると、これは「何と美しい花だ」という時には、「この花は美しい」という事実が対象化されています。
「私」が「美しい花」を「見た」ので、これは「認識」であって、「経験」ではありません。
しかし、最初に桜を見た時、「私」はある経験をしています。この時には、「私は桜を見ている」ということさえもできず、「きれいな桜だ」と考えたりもしません。明瞭な認識はありません。この一瞬には、ただ「経験」があるのみです。
ここでは、「私」もなければ、「桜」も対象化していません。いわば両者が融合したような経験があるのです。
西田は、こうした経験を「純粋経験」と呼んでいます。
「ややこしくてよくわからない……」と思われる方は、本書でさらに詳しく知っていただければ幸いです。
担当編集者のひとこと
「日本人」を考え尽くす
『西田幾多郎―無私の思想と日本人―』は、日本を代表する哲学者の、日本一“難解”とも評される西田哲学に、社会思想家の佐伯啓思氏が挑んだ一冊です。
西田哲学に「その悪名高い文体に気後れし、敬して遠ざけていた」という佐伯氏が、実際に読んでみると、どんどんと惹きつきられ、連夜、西田の著作を読み耽ることになってしまった。その産物が本書です。
難解で読みにくい西田哲学に惹かれ続けるのは、そこに「日本的なもの」へ向かう明らかな志向があるからで、その面白さや重要さは、西洋哲学の影響を受けながらも、「日本的な」答えを与えようとしていた点にあると佐伯氏は述べています。
この「日本的なもの」への志向が、実は、人間の真理(存在)へ肉薄していく、と西田は考えており、「日本的なもの」を「世界的なもの」にしようと、「日本」および「日本人」を考え尽くしています。
日本人に根ざす「無私」とはどのような思想なのか。
その根源にあるという「無」とは何なのか。
純粋経験、理性と精神、死と生、論理と生命、根本実在、日本文化と神、宗教意識、情の特性、行為的直観、根本実在、論理と生命……難しい言葉や概念を、佐伯氏が柔らかく読み解いています。
その思想に秘められた精髄は、今を生きる日本人への箴言や警句に満ちています。
ぜひご一読ください。
2014/10/24
著者プロフィール
佐伯啓思
サエキ・ケイシ
1949(昭和24)年、奈良県生まれ。社会思想家。京都大学名誉教授。京都大学こころの未来研究センター特任教授。東京大学経済学部卒。東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。2007年正論大賞。『隠された思考』(サントリー学芸賞)『反・幸福論』『さらば、資本主義』『反・民主主義論』『経済成長主義への訣別』『死と生』『近代の虚妄』など著作多数。雑誌「ひらく」を監修。