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報道の脳死

烏賀陽弘道/著

814円(税込)

発売日:2012/04/17

  • 新書
  • 電子書籍あり

パクリ、横並び、問題意識ゼロ……なぜかくも陳腐なのか? 新聞・TVの病巣をえぐる!

なぜ「彼ら」はここまで無能で無力な存在になったのか。大震災と原発事故報道においても横並びの陳腐なネタを流し続けた新聞とテレビ。緊急時に明らかになったのは彼らの「脳死」状態だった。パクリ記事、問題意識の欠如、専門記者の不在……役立たずな報道の背景にあるのは、長年放置されてきた構造的で致命的な欠陥である。新聞記者、雑誌記者、フリーをすべて経験した著者だから下せる「報道の脳死」宣言。

目次
はじめに
第1章 新聞の記事はなぜ陳腐なのか
パクリ記事の連発/粗悪記事のタイプ別分類/悪気がないゆえの罪/セレモニー記事とは何か/悲劇よりも「イベント」を報道/不自然さが漂う放射線量測定の様子/事態の深刻さが伝わらない/松本龍暴言事件/パチカメ取材とは何か/カレンダー記事の安易さ/「えくぼ記事」の罠/記者は賤業である/観光客記事の空虚/多様性の欠如/平時の発想から変われない/記者の配置問題/膨大な記者による通り一遍の報道
第2章 「断片化」が脳死状態を生んだ
疑問を持つ能力/「ニュースピーク」を広めるばかり/「計画停電」というごまかし/計画的避難区域のごまかし/死の灰が消えた?/分析の欠如/組織の断片化=記事の断片化/専門記者はどこに消えた/封じられた専門性/断片化は防止できるか/セクショナリズムの構造/夕刊は廃止せよ
第3章 記者会見は誰のためのものか
記者クラブは問題の根源ではない/記者会見開放の意味/開放は当たり前/議論のすれ違い/希少性の利得/三つのCという特権/記者クラブの本当の問題/世間とのずれ/記者の定義が変わった
第4章 これからの報道の話をしよう
アメリカのメディアはどうなっているか/「ポスト記者クラブ」の報道を考える/メディアはどこに立っているか
第5章 蘇生の可能性とは
ベテラン記者は疑う/新聞の黄金時代とは/ポスト3.11の報道を考える/ジャーナリズムは常に必要である/初等ジョブスキルの必要性/社員教育の限界/マネタイズ機能の問題/理想は外部教育/「投げ銭」の可能性
あとがき

書誌情報

読み仮名 ホウドウノノウシ
シリーズ名 新潮新書
発行形態 新書、電子書籍
判型 新潮新書
頁数 256ページ
ISBN 978-4-10-610467-1
C-CODE 0236
整理番号 467
ジャンル マスメディア
定価 814円
電子書籍 価格 660円
電子書籍 配信開始日 2012/10/19

インタビュー/対談/エッセイ

もういい加減にしてくれ

烏賀陽弘道

 東日本大震災から1年を迎える直前、3月4日付の新聞に、岩手県宮古市の女の子「さくらちゃん」の記事が出ていました。震災の日に生まれ、祖母がその日に津波で亡くなった。「いのち 受け継ぐ」という見出し。たくましい生命の物語です。感動的でした。しかし私は「もういい加減にしてくれ」と叫びたくなりました。朝日、読売、毎日の各紙が、まったく同じ日にまったく同じ話を掲載していたからです。それは「3.11報道」で新聞テレビが一年間繰り広げてきた「えくぼ記事」(美談報道)そのものでした。
 2011年3月11日に始まったあのクライシスの数週間、新聞やテレビ報道を見れば見るほどイライラしなかったでしょうか。津波の被災地がどうなっているのか、原発事故がどうなっているのか、さっぱりわからなかったのではないでしょうか。その代わりに並ぶ、うすっぺらな美談記事。「ここまでダメとは思わなかった」とあきれ果てなかったでしょうか。
 私もその一人です。「3.11報道」をひとつのケーススタディとして「日本の新聞やテレビ報道はどうしてここまでダメになったのか」を検証してみよう。そう思い立って書いたのがこの本です。方法は簡単です。毎日の紙面をチェックして「えくぼ記事」「カレンダー記事」「セレモニー記事」などのパターンに分類していったのです。そうすることで、新聞やテレビがいかに凡庸な視点で現実を伝えているか、わかります。
 それは、かつて私が17年勤めた朝日新聞社で体験した新聞社の世界そのままでした。新聞記者としてそうしたえくぼ記事を書いていた側でもある私には、痛いほどわかりました。新聞社は、私が新米だった26年前から抱えていた病気を何も治療していないのだ、と。現在の報道は「3.11」がきて急に「悪化」したのでも「突然死」したのでもありません。これまでずっと悪化を続けていた慢性病が、最過酷条件で露呈したにすぎません。
 巨大地震、津波、原子力発電所事故というクライシスが三つ束になって襲ってきた「3.11」は、最烈度の危機でしょう。これより上は「全面戦争」くらいしかない。今回見せた実力が、日本の新聞やテレビの「自己ベスト記録」なのです。これ以上の実力は、逆さにして振っても出てきません。彼らは揃いも揃って実力試験に落第したのです。
 3.11のように、市民が生死をかけた判断をしなくてはならない時に役立たない「報道」に何の価値があるのだろう。どんな存在意義があるのだろう。「報道の脳死」を宣言すべき日がやってきた。私はそう思うのです。

(うがや・ひろみち ジャーナリスト)
波 2012年5月号より

蘊蓄倉庫

「えくぼ記事」とは何か

『報道の脳死』の著者、烏賀陽弘道さんは元朝日新聞の記者。彼がある時、地方の心温まるイベントに取材に行ったときに、その関係者からこう言われたそうです。「あんたら、殺伐とした記事ばかり書いているから、わしらみたいな『えくぼ記事』が必要なんやろ?」
「えくぼ記事」とは、簡単に言えば、美談、感動話の類のこと。震災後の報道では、「えくぼ記事」がいつも以上に幅をきかせていた観があります。「それのどこが悪いってんだよ」と思う方は是非本書をご一読ください。美談の罠が見えてくるはずです。

掲載:2012年4月25日

担当編集者のひとこと

そうだ烏賀陽さんに聞いてみよう

『報道の脳死』は、主に3.11以降の報道を取り上げて分析、批判を行った本です。しかしもともと企画そのものは震災以前からスタートしていました。
 著者の烏賀陽さんは、元朝日新聞記者で現在はフリーで活動していらっしゃいます。雑誌記者をやっていた時期もありました。そんな経験からか、ジャーナリズム方面のことで疑問に思ったことを聞くと、何でも明快に答えてくださいます。
 たとえばジャーナリズムに関する議論で、よく主題となる「記者会見の開放」という問題。私自身、記者をやっていた時期がありますが、正直言って、記者会見なんてあまり意味がないと思っていたので、「開放すれば何かが変わる」といった論調には違和感がありました。そういう時に烏賀陽さんに疑問をぶつけるのです。
「烏賀陽さん、記者会見ってそんなに大事ですかね。少なくとも官公庁ならば、会見に出られなくても担当者に直接取材すればいいと思うんですが」
「そりゃそうですよ。私だって、ほとんど記者会見なんて取材してきませんでした。だからあれを開放しろっていうことの意味は別にあると思いますよ。たとえば(以下解説)」「なるほど、それでよくわかりました」
 といった按配です。新聞やテレビの報道を見て、ハテナと思うことをぶつけると、常に明快かつ批評的な答が返ってきて、納得させられました。
 だからぜひその批評精神を発揮して欲しいという気持ちからお願いして、書いていただいた本です。
 結果的には、ジャーナリズム論、メディア論として画期的な内容になったと思っています。
 ニュースの見方が変わること、新聞の見え方が一変すること請け合いです。

2012/04/25

著者プロフィール

烏賀陽弘道

ウガヤ・ヒロミチ

1963(昭和38)年生まれ。京都大学経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。名古屋本社社会部、「AERA」編集部勤務などを経て2003年退社。以降、フリージャーナリストとして活動。著書に『報道の脳死』『「朝日」ともあろうものが。』『報道災害【原発編】』(共著)など。

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