ん―日本語最後の謎に挑む―
792円(税込)
発売日:2010/02/17
- 新書
- 電子書籍あり
日本橋は、なぜNihombashiと書かれているのか? 日本語最大のミステリーを解く!
日本語には大きな謎がある。母音でも子音でもなく、清音でも濁音でもない、単語としての意味を持たず、決して語頭には現れず、かつては存在しなかったという日本語「ん」。「ん」とは一体何なのか? 「ん」はいつ誕生し、どんな影響を日本語に与えてきたのか? 空海、明覚、本居宣長、幸田露伴など碩学の研究と日本語の歴史から「ん」誕生のミステリーを解き明かす。
参考文献一覧
書誌情報
読み仮名 | ンニホンゴサイゴノナゾニイドム |
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シリーズ名 | 新潮新書 |
発行形態 | 新書、電子書籍 |
判型 | 新潮新書 |
頁数 | 192ページ |
ISBN | 978-4-10-610349-0 |
C-CODE | 0281 |
整理番号 | 349 |
ジャンル | 言語学 |
定価 | 792円 |
電子書籍 価格 | 660円 |
電子書籍 配信開始日 | 2011/11/25 |
インタビュー/対談/エッセイ
波 2010年3月号より 「ん」をめぐるミステリー
日本語表記の歴史を精査してみると、我が国には平安時代初期まで「あいうえお」から始まる平仮名や片仮名はなく、すべて漢字を利用した万葉仮名で書かれていた。万葉仮名で書かれた奈良時代の文献『古事記』『日本書紀』『万葉集』などには、実はただの一文字も「ん」という字は使われていないのである。
また、平安時代初期に著されたとされる『伊勢物語』には「掾」が「えに」と書かれており、『土佐日記』にも本来「あらざんなり」と書くところを「あらざなり」と「ん」を抜いて書いてある。鎌倉初期の鴨長明『無名抄』には、「和歌を書くときには、〈ン〉と撥ねる音は、書かないのが決まりである」と記されているのである。また、江戸時代でも、井原西鶴の『好色一代男』には「ふんどし」を「ふどし」と書いてある。
「ん」は無くてもよい日本語だったのだろうか?
江戸時代の国学者、本居宣長は、この点について次のように述べている。「我が国の五十音図は、整然と縦横に並ぶものとして作られているが、この『ン』という音は、いずれにも当てはまらない。これは、日本語の音としては認められないものである。だからこそ古代の日本語には『ン』という音がないのである」(『漢字三音考』より拙訳)
しかし、「書かない」のではなく「書けない」というのが平安時代の実状だった。なぜなら平仮名の「ん」、片仮名の「ン」、また、それを書き表すためのもととなる漢字も存在しなかったからである。そして、その影響は江戸時代まで続いていた。
江戸時代には、「しりとり」遊びもなかったし、「んー」と返したり、「うん!」と相槌を打つ言葉もなかった。現代の日本語からは、かつて「ん(ン)」がなかったなどとは考えられないだろう。
では、この「ん」を、いつ、誰が創り出したのか。また、どうして現代日本語の五十音図の最後に取り入れられたのか。
日本語の脇役的な存在「ん」を主役にして、とくとその舞台裏までお見せしたい一心で、四年間をかけ、私は本書を書いた。前著『日本語の奇跡―〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明―』(新潮新書)と共にお読み頂ければ、「あいうえお」から「ん」までの音と文字の歴史、隠された機能と壮大な思想から日本文化の奥深さを知って頂けると思う。
日本語は実に面白く、ミステリーに満ちている。
蘊蓄倉庫
「しりとり」がまだ無かった江戸時代に、「ん廻し」という言葉遊びが流行しました。
「ん」ができるだけ多く入った単語を、遊び仲間で言い続けるという遊びです。言えなかった人が負けになります。
寛永5(1628)年の『醒睡笑』という笑い話集にはこんな話が載っています。
2、3丁の豆腐を田楽にして食べようとしたところ、分けて食べるには人が多すぎるので、「ん廻し」で食べられる人を決めることになりました。
それぞれが「雲林院」(うんりんいん)、「根元丹」(こんげんたん)、「煎茶瓶」(せんさんびん)などと言い合って、田楽を取り合います。でも、だんだんと少なくなってきて、ひとりの子どもが、ある言葉を言い放ち、残りの田楽を取ってしまうという話です。この詳細は、本書でお読みください。
ほのぼのした当時の庶民の様子が伺えますが、本書だって「ん廻し」でなら負けていません。
「新潮新書新刊『ん』」――。
「ん」が5つも入っていますから、圧勝ですね!
……でも、この遊びには条件があり、なんと単語は3文字までなのです。
現代なら「新幹線」「真犯人」「結婚観」「信頼感」「人生論」などが挙がってくるでしょうか。日本語ってやっぱり面白いですね。
担当編集者のひとこと
「ん」をめぐる壮大なミステリー
著者の山口謠司さんは、中国文献学の専門家であり、研究の上でも「中国の言葉は日本語の母だ」と実感している方です。もちろん、日本語にも深い興味をお持ちです。
フランスとイギリスに留学され、漢字にまつわる著作やユニークなイラストも描かれ、奥様はフランス人という異才の学者です。
山口さんと出会った数年前から、仏教伝来の時代の日本語が激変した話や江戸や明治の日本語を研究した碩学にまつわる逸話などをたびたび伺いました。
山口さんは、3年前に『日本語の奇跡―〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明―』(新潮新書)で、平仮名と片仮名の起源について描かれました。「あ」は、「あ・うん」(阿吽)の仏教思想のひとつが源にあり、「世界の始まり」を意味しているというのです。
それなら、「世界の終わり」は「うん」ですか、と尋ねたところ、山口さんは、「うん」、つまりは「ん」にはその終焉思想が隠れていると思いますと話されました。そして、「ん」は大昔の日本語には存在せず、誕生後も、明治までは何種類もの「ん」が使われており、かつての文部省により現在の「ん」に統一されたそうなのです。 では、一体、いつ、誰が、なぜ「ん」を創造したのか?
これが本書誕生の契機です。
山口さんに詳しく調べていただくと、次々に驚く事実を知ることになりました。『古事記』にも「ん」が書かれていません。空海は「あ・うん」の教義を希求し、「ん」の創造には深く関与しています。戦国時代の外国人宣教師たちも「ん」の考察を残しています。江戸時代には「ん廻し」という遊びも流行しました(「蘊蓄倉庫」参照)。また、本居宣長と上田秋成は「ん」をめぐる大論争を展開し、大槻文彦や幸田露伴も「ん」の謎を追究していました。
そして、日本の近代化には不可欠な言葉だったという山口さんの大胆な謎解きとは……ぜひ本書でご覧いただきたいと思います。
不思議な言葉「ん」の謎を、日本語の壮大な歴史を踏まえ、スリリングに解き明かしています。
また、このユニークな書名の本書が、五十音順の書籍目録でのいちばん最後に加えられることが、ささやかな喜びでもあります。
2010/02/25
著者プロフィール
山口謠司
ヤマグチ・ヨウジ
1963(昭和38)年、長崎県生れ。大東文化大学文学部教授。博士(中国学)。フランス国立高等研究院大学院に学ぶ。ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員を経て、現職。『ん』『語彙力がないまま社会人になってしまった人へ』『ますます心とカラダを整える おとなのための1分音読』『文豪の悪態』など、著作多数。