大人の見識
748円(税込)
発売日:2007/11/19
- 新書
- 電子書籍あり
軽躁なる日本人へ。急ぎの用はゆっくりと、理詰めで人を責めるな、静かに過ごすことを習え……。
軽躁なるものを勇豪とみるなかれ、かつて戦国の名将はそう戒めた。国を誤る指導者の愚があり、滅亡の淵から救い出した見識もあった。英国流の智恵とユーモア、フレキシビリティを何より重んじた海軍の想い出……、歴史の中へ喪われゆく日本人の美徳と倫理をあらためて問うとともに、作家生活六十年の見聞を温め、いかなる時代にも持すべき人間の叡智を語る。
東條の演説
局長ならば名局長
沈黙を守った人々
国家の品位
上手な負けっぷり
ベントン虐殺事件
幸福であるための四条件
ユーモアとは何か
大人の文学
われ愚人を愛す
静かに過すことを習へ
ラッパのひびき
最後の訪欧航海
不思議な防空演習
最大の文化遺産?
ヒトラーを礼賛する「民の声」
ポリュビオスの言葉
「四方の海みなはらからと思ふ世に」
ヘンリー王子と日本の皇族
昭和の陛下の軍事学
あいつだけ向こう岸
映画『東京裁判』
陸軍の立派な軍人たち
五分間論語
祖国とは国語
治国平天下
漢学と朱子学
温故知新
書誌情報
読み仮名 | オトナノケンシキ |
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シリーズ名 | 新潮新書 |
発行形態 | 新書、電子書籍 |
判型 | 新潮新書 |
頁数 | 192ページ |
ISBN | 978-4-10-610237-0 |
C-CODE | 0236 |
整理番号 | 237 |
ジャンル | エッセー・随筆、ビジネス・経済 |
定価 | 748円 |
電子書籍 価格 | 660円 |
電子書籍 配信開始日 | 2008/10/17 |
書評
波 2007年12月号より 軽躁なる日本人への遺言 阿川弘之『大人の見識』
私も結婚したらそんなことを言ってみたいと思った。阿川さんの随筆を読んだあと間もなく結婚した。新婚の頃は愚妻も少しは可愛かったから、特に阿川式一喝を必要としなかった。数年して激しい口論が起きた。どんな経緯だったかは忘れたが、恐らくいつも通り、真っ当な私の意見に愚妻がつまらぬ理屈を言ったのだろう。私はここぞと思い「我が家は大日本帝国だ!」と厳然と言い放った。女房はひるんだ風も見せるどころかいやらしい微笑を浮かべ、「そうよ大日本帝国よ。あたしが天皇、あなたは侍従」と言った。阿川式一喝は賢妻にしか通用しないものらしい。
阿川さんの作品を読むようになった。帝国海軍に関連するものが多かったが、そこから発したのだろう、英国とりわけ英国紳士を高く評価されていることが分った。英国紳士特有の落着いた平衡感覚、ノブレス・オブリージュ、控え目なユーモアなどである。私も英国のケンブリッジに一年ほど住んで以来すっかりそれらに魅せられていたから、どの作品を読んでも気持にとてもしっくりくるのだった。
しばらくして息子さんの尚之さんにお会いする機会があった。大日本帝国で育つとどんな人間が育つのかと興味津々だった。英国紳士を地で行くような人だった。ユーモアに溢れた人でもあった。尚之さんは私についてその時の印象をこう書いている。「何かというとさむらい魂を発揮する人だから、高杉晋作のごとき殺気を漂わす人であろうか。もしかしたら和製ハンフリー・ボガートのような、寡黙でニヒルなやさ男かも知れない。(中略)部屋に通されて一瞬わが目を疑った。『えーっ、この人が藤原さん』。(中略)高杉晋作、ハンフリー・ボガートというよりは、むしろ山奥の村長さんといった風貌である」。謹厳実直篤実温厚質実剛健紆余曲折な私の容貌を、賞讃したい気持を抑えつつ山奥の村長と評したのだから、これこそ控え目なユーモアである。
数年後にお会いした佐和子さんもそうだったが、ユーモア、冗談、駄ジャレ、と何でも連発するのに実に気持よく伸び伸びとして品のよい人だった。子供の自由を尊重する、などというキレイ事ではとてもこうは育たない。大日本帝国の生んだ気品だった。だからこの数年後に御大の阿川弘之さんにお会いする機会にめぐまれた時は大日本帝国の本丸ということで少々緊張した。阿川さん御自身が予想通りに背筋ののびた海軍軍人であり、洗練された英国紳士でもあったのはうれしかった。私のように武士道を唱えながら意外とだらしない人間もいるからである。
今度新潮新書から出された阿川さんの『大人の見識』は、人間は鍛え方次第では八十七歳になっても若者以上に柔軟な思考ができる、ということを思い知らせてくれる本である。本書を読むと、阿川さんが右翼ではなく、無論左翼でもなく、純粋な祖国愛の人ということがよく分る。またバランス感覚が絶妙である。彼の文学のテーマとなった海軍に対してさえ、満州事変の頃から徐々におかしくなったと明記している。『雲の墓標』の頃からの軸はぶれていない。当然のことながら陸軍に関してはかなり手厳しいし、東條首相についてはこき下ろしてさえいる。しかし東條も極東裁判では立派だったと冷静に評価することを忘れない。大東亜戦争がアジア解放につながったという意義を認めながら、それはあくまで結果であり元々の目的ではなかった、と柔軟にバランスを保ち英国紳士ぶりを発揮する。主観的言葉を歴史的事実や文献の引用により裏付けるのも流石である。私はこれらの魅力的な文献を一覧表にしたほどである。本書を一言で評すと、軽躁なる日本人への遺言である。大東亜戦争という悲劇を起こし、今また経済至上主義に浮かれテレビにうつつをぬかしている軽躁なる日本人への諫言である。
私のような本好きはもちろん、金稼ぎやゴルフの指南書しか読まない人や、テレビ、マンガ、インターネットに明け暮れる人々も、昭和史の証人たる作家の含蓄ある言葉に耳を傾けてほしい。この時代を考える貴重な一冊となろう。
蘊蓄倉庫
かつてフランス皇帝ナポレオンは「荘厳と滑稽とは紙一重である」という名言を残しました。11月新刊『大人の見識』の中で、著者の阿川弘之さんは、勲章をジャラつかせて東大の卒業式にやってきた東條英機首相の「赫々たる」演説に、はからずも場内から失笑が漏れたシーンの想い出を語っています。勇猛果敢なスローガンと、破滅への道をひたはしった歴史とは、紙一重なのかもしれません。
担当編集者のひとこと
文体は語る
文体、とはいうまでもなく文章のスタイルであり、「語彙・語法・修辞などいかにもその作者らしい文章表現上の特色」(広辞苑)のことです。同じ言語を使いながらも、作家には皆それぞれの特徴がありますし、またそれを持ちうることが、作家である条件のひとつのようにも思います。 11月新刊『大人の見識』は、「語る」という形式をとっていますが、お読みいただければ分かるように、文章の隅々にいたるまで、著者・阿川弘之さん独特の文体でつづられ(語られ)ています。本書の冒頭でも触れている通り、「不見識を自認する爺さんに、そんな大任は御勘弁」と渋る阿川さんに頼み込み、ようやく聞かせていただいた話がもとになってはいるものの、一冊としての仕上がりは、やはり紛れもなく著者の分身、すなわち「作品」なのでした。
2007/11/22
著者プロフィール
阿川弘之
アガワ・ヒロユキ
(1920-2015)広島市生まれ。1942(昭和17)年、東大国文科を繰上げ卒業し、海軍予備学生として海軍に入る。戦後、志賀直哉の知遇を得て師事。1953年、学徒兵体験に基づく『春の城』で読売文学賞を受賞。同世代の戦死者に対する共感と鎮魂あふれる作品も多い。芸術院会員。主な作品に『雲の墓標』『舷燈』『暗い波濤』『志賀直哉』のほか、『山本五十六』『米内光政』『井上成美』の海軍提督三部作がある。