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親鸞と日本主義

中島岳志/著

1,980円(税込)

発売日:2017/08/25

  • 書籍
  • 電子書籍あり

なぜ“南無阿弥陀仏”は、
ファシズムと接続したのか――。

大正から昭和初期にかけて起きた親鸞ブーム。その絶対他力や自然法爾の思想は、やがて“国体”を正当化する論理として、右翼や国粋主義者の拠り所となる。ある者は煩悶の末に、ある者は戦争の大義を説くために「弥陀の本願=天皇の大御心」と主張した。「親鸞思想と国体」という近代日本の盲点を衝き、信仰と愛国の危険な関係に迫る。

目次
序章 信仰と愛国の狭間で
一枚のビラ/吉本隆明の衝撃/『最後の親鸞』/保守思想と親鸞/日蓮主義と超国家主義/三井甲之『親鸞研究』の衝撃/倉田百三『出家とその弟子』/倉田百三における親鸞と国粋/親鸞と日本主義
第一章 『原理日本』という悪夢
第一節 歌人・三井甲之と「同信の友」
『原理日本」という存在/三井甲之の「煩悶」、近角常観の「実験」、正岡子規の「写生」/「阿弥陀経に代ふべきはロダンの芸術の如きである」/木村卯之と井上右近――「同信の友」と「同人」/「阿弥陀仏より祖国日本へ」
第二節 蓑田胸喜と『原理日本』
「祖国礼拝」/蓑田胸喜の登場/蓑田胸喜と親鸞/『明治天皇御集』拝誦宣言/『原理日本』の創刊/親鸞は「釈迦の仏教」を超越している/蓑田胸喜とその死
第二章 煩悶とファシズム――倉田百三の大乗的日本主義
第一節『出家とその弟子』
忘れられたべストセラー作家/立身出世から煩悶へ/「真の宗教はSexの中に潜んでるのだ」/恋と挫折/キリスト教的愛と親鸞への関心/女性との葛藤/キリスト教への懐疑/親族の死と「善くなろうとする祈り」/『出家とその弟子』
第二節 不眠症・ファシズム・絶対の恋愛
べストセラーと病/恋愛の葛藤と思想の空転/強迫性障害、不眠症、そして親鸞/水行と参禅/「一枚の宗教」と大乗的日本主義/ファシズムと絶対の恋愛
第三章 転向・回心・教誨
第一節 教誨師という存在
転向/教誨師/教誨師・藤井恵照と帝国更新会/小林杜人という存在/山口隼郎の場合/悪人正機と転向
第二節 亀井勝一郎の回心
「富める者」という罪/マルクス主義へ/投獄と転向/宗教的回心と戦争/親鸞との出会い/自力としての近代合理主義/自然法爾と神ながらの道/「戦争に念仏まうすべきである」
第四章 大衆の救済――吉川英治の愛国文学
若き吉川英治/親鸞ブームと『親鸞記』の執筆/作家へ/平将門への仮託/満州事変と愛国文学/「大衆と伍し、大衆と共に歩もう」/『親鸞』
第五章 戦争と念仏――真宗大谷派の戦時教学
第一節 暁烏敏の恍惚
『歎異抄』の再生/スキャンダル・外遊・ナショナリズム/仏の顕在としての天皇/「日本は阿弥陀仏の浄土なり」/天皇による世界統一
第二節 聖戦と教学
真宗教学懇談会/本地垂迹/神宮大麻・大祓・靖国神社/日本の国土は「穢土」か「浄土」か?/「真俗二諦」から「真諦一元」へ/時代相応の教学/金子大栄と曽我量深/異安心騒動/興法学園――時代への不安、教団への不信/マルクスか仏道か/戦争・宿業・念仏/国策への関与/聖徳太子と国体/『国家理想としての四十八願』
終章 国体と他力――なぜ親鸞思想は日本主義と結びついたのか
国体と国学/宣長と他力/煩悶と国体
あとがき
引用・参考文献

書誌情報

読み仮名 シンラントニホンシュギ
シリーズ名 新潮選書
装幀 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 考える人から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 304ページ
ISBN 978-4-10-603814-3
C-CODE 0395
ジャンル 宗教
定価 1,980円
電子書籍 価格 1,232円
電子書籍 配信開始日 2018/02/09

書評

「親鸞と保守思想」という重い課題

釈徹宗

 待望の書籍化である。「考える人」(新潮社)の連載終了から5年にもなろうか。連載時から親鸞研究者や真宗者の間で話題になっていた。本書は書きおろし部分も含めて、三百ページを越える力作となっている。
 左翼系思想家や活動家たちが親鸞思想に影響を受けたことは広く知られている。三木清、服部之総、吉本隆明など、すぐにでも数人の名を挙げることが可能だ。三木や吉本の著作を通じて親鸞の教えと出会った者も少なくないだろう。しかし、保守系・右翼系の日本主義においても親鸞の影響が強いことは、これまでほとんど指摘されてこなかった。この点、筆者の眼力に敬意を表したい。
 冒頭、筆者と親鸞の出会いがあり、そこから親鸞と保守思想との密接な関係に気づく一連の流れはなかなかドラマチックである。本書では、三井甲之、木村卯之、井上右近、蓑田胸喜、倉田百三亀井勝一郎吉川英治、暁烏敏などが取り上げられているが、いずれも筆者の人物描写が巧みであり、その人特有の魅力が十分に描かれている。章によっては、まるで群像劇のような展開となっているのである。
 取り上げられた人物共通のキーワードは「転向」であろう。ことに第一章から第四章ではそのことを強く感じた。どの人も人生が二転三転するのだ。進むべき方向が見つからない苦悩。自分の無力・無能にうちひしがれる。そんな苦悩のどん底で聞こえてくる親鸞の声。親鸞という人は、絶望的状況でその声が聞こえて来るようなところがある。苦悩する人の深層に響く力が強い。これは確かである。本書に登場する人たちも苦悩の中で親鸞と邂逅する。ただ、その声をどう解釈するかによってその後の歩みは大きく変わっていく。
 筆者は「保守思想では、人間の理性には決定的な限界が存在すると考え、人智を超えた伝統や慣習、良識などに依拠すべきことが説かれる。(中略)左翼的啓蒙思想は、設計主義的合理主義によって成り立っており、そこには『理性への過信』が含まれる」と述べる。この保守の定義は卓見であろう。この定義で考えるならば、私も保守の立場である。そして多くの宗教者はこの立場に立つのではないか。宗教は本質的に理性や人知を超えた領域をもつからである。
 そうなると、戦時中において多くの宗教者たちが国策賛同へと傾斜したのも、ある種の必然性があると言わざるを得ない。今回書き下ろされた第五章「聖戦と教学」にもつながる問題である。戦時教学については、真宗教団がこれからも背負っていかねばならない荷物である。あらためてその思いを強くした。
 ただ、「親鸞思想に民族的国家主義への傾斜を生み出す根源的な要素がある」と筆者が主張するのであれば、親鸞の原典を詳細にあたるべきではないか。日本主義者から親鸞を読み解くという道筋から、この結論を導き出すことはできない。ひどく歪曲された親鸞思想をもって、「親鸞の中にある根源的な要素」を特定するわけにはいかないだろう。とはいえ、これは筆者の仕事ではないかもしれない。筆者の問題提起を受けて、真宗学者が取り組むべき課題と言うべきか。
 ところで、今回取り上げられた人物それぞれの親鸞理解には、かなり開きがある。三井甲之や蓑田胸喜の理解と、倉田百三や亀井勝一郎の理解では、やはり後者の方が深みはあるような印象を受けた。さらに暁烏敏をはじめ、金子大栄や曽我量深たちの味わいも独特のものがある。ここは本書を誤読しないためにも、丁寧に読み込む必要があると思う。
 一方、登場人物各氏に共通している点もある。ひとつは、いずれも「近代知性から見た親鸞」である。また、『歎異抄』に大きな影響を受けている点も共通している。『歎異抄』は唯円の著作であって、親鸞の著作ではない。蓮如は『歎異抄』写本の末尾に、「無宿善の機においては、左右なくこれを許すべからざるものなり」(仏の教えを聞く機縁が熟していないものには、安易にこの書を見せてはならない)と付言している。まさに蓮如の危惧通りの状況が生まれたのである。蓮如は『歎異抄』のきわどさ・・・・がわかっていたのである。
 いずれにしても、親鸞や真宗から保守思想を抽出した立論を高く評価したい。ひとつの宗教思想から右も左も生まれる。このように多様な影響が起こる事態を見通す眼をもたねばならない。本書は、ある意味で、親鸞を自分勝手に振り回した人列伝なのである。この点においては左翼やリベラルの方も同様なのだ。

(しゃく・てっしゅう 宗教学・浄土真宗本願寺派如来寺住職)
波 2017年9月号より

著者プロフィール

中島岳志

ナカジマ・タケシ

1975(昭和50)年、大阪府生れ。大阪外国語大学でヒンディー語を専攻する。京都大学大学院博士課程修了。2005(平成17)年、『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』で、大佛次郎論壇賞とアジア・太平洋賞大賞を受賞する。京都大学人文科学研究所研修員、ハーバード大学南アジア研究所客員研究員、北海道大学公共政策大学院准教授を経て、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。著書に、『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』『血盟団事件』『親鸞と日本主義』『超国家主義 煩悶する青年とナショナリズム』『自民党 価値とリスクのマトリクス』『思いがけず利他』などがある。

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