ミッキーはなぜ口笛を吹くのか―アニメーションの表現史―
1,760円(税込)
発売日:2013/10/25
- 書籍
- 電子書籍あり
絵と動きと音の王国、アニメーション映画はこうして生まれた!
1906年、世界初のアニメーション映画で、黒板に絵が描かれるのはなぜか。ポパイの歩行、ベティ・ブープの大きな口、『トムとジェリー』の音楽の魅力とは? アメリカン・アニメーションの傑作を読み解き、ウィンザー・マッケイ、ウォルト・ディズニー、フライシャー兄弟など、巨匠たちの表現技法の謎に迫る。図版多数。
第二章 『リトル・ニモ』――ウィンザー・マッケイの王国(一)
第三章 『恐竜ガーティー』――ウィンザー・マッケイの王国(二)
第四章 商業アニメーションの時代
第五章 科学とファンタジーの融合――フライシャー兄弟
第六章 映像に音をつける
第七章 ミッキーはなぜ口笛を吹くのか
第八章 ベティ・ブープはよく歌う――フライシャー兄弟の復活
第九章 トムとジェリーと音楽と――スコット・ブラッドリーの作曲術
第十章 ダフィー・ダックに嘴を
終章 アニメーション界と現実界
あとがき
書誌情報
読み仮名 | ミッキーハナゼクチブエヲフクノカアニメーションノヒョウゲンシ |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 360ページ |
ISBN | 978-4-10-603735-1 |
C-CODE | 0374 |
ジャンル | コミックス、演劇・舞台 |
定価 | 1,760円 |
電子書籍 価格 | 1,408円 |
電子書籍 配信開始日 | 2014/04/25 |
書評
波 2013年11月号より 他領域へと広がる優れた「表現史」
その幸福をまず祝福するとともに、ぼくが著者の立場に共感するのは「表現史」という立ち位置だ。少し前まで教員をしていた大学で「まんが表現史」という講義をもち、まんがという表現の一つ一つの方法が歴史の中で立ち上がってくる様をぼくもまた説き起こしていたからである。
だから第一次世界大戦下、フライシャーのアニメーションが軍の科学教育のために用いられた、というくだりなどは実に興味深い。戦時下の科学教育のツールとしての運命は日本のまんが史が十五年戦争下でたどる運命だからだ。ぼくの考えでは日本のまんが・アニメーションが現在の形式性を獲得するのは十五年戦争下だ。アメリカのアニメーションもまた科学的啓蒙のツールとして進化してしまうくだりを読むとその歴史をこの国が繰り返していることに気づく。アニメーションが科学的説明の技法として有効だ、というのは実は高畑勲が「おもひでぽろぽろ」の中の紅花栽培シーンで用いてみせたものだが、その出自は戦時下の科学教育映画としての「文化映画」にある。などと著者の記述からこの国のまんがアニメ史に照射すべき事柄をいくつも思いつくのは、本書が作品名や作者名の羅列でもアニメーション領域の内部に限定された蘊蓄でもなく、ごく自然に視覚メディア全体の近代史の中に接合できるような書き方がされているからだ。ぼくは著者が別の本で書いた明治期のパノラマについての記述に触発され、それが「のらくろ」の中に延命しまんがの「見開き」の起源となったことを学生によく話すが、そういう他領域への広がりを誘ってくれるところが著者の優れた点だ。それは本来、視覚メディアの中に、あるいは「文学史」さえも今のぼくたちが考えるほどジャンルとして単独ではありえずその歴史は重なりあっていることが著者の仕事では常に自明であるからで、それがフライシャーへの偏愛を語りながら同時に大きな広がりを持つ本書の特徴になっている。
担当編集者のひとこと
ミッキーはなぜ口笛を吹くのか―アニメーションの表現史―
絵と動きと音の王国は、いかに作られたか? アニメーションの歴史は意外と古い。
世界最初のアニメーション映画は、一九〇六年に制作されたジェームズ・S・ブラックトンの『愉快な百面相』(ほんの三分の短篇です)と言われているから、もう百年あまり前のことになる。数々の傑作が作られてきた。『リトル・ニモ』『インク壺から』『蒸気船ウィリー』といった作品名になじみの薄い読者でも、子どもの頃には多かれ少なかれ、ポパイやミッキーマウスやトムとジェリーの登場するシリーズには親しんだことがあるにちがいない。
本書はちょっとマニアックな名作と、誰もが知っている人気シリーズ作品と、その双方の魅力を同等に、いわば大人の眼で精緻に見直そうとする。そして、いくつもの謎に答えてゆく。世界初のアニメーション映画ではなぜ黒板に絵が描かれるのか。ウォルト・ディズニーのサウンド・アニメーション第一作の冒頭で、ミッキーはなぜ口笛を吹くのか。ポパイが三拍子で歩き、ベティ・ブープが大きな口でよく歌い、『トムとジェリー』の音楽でシェーンベルクばりの十二音技法が使われるのはなぜか……。
これらの「なぜ」は、アニメーションという表現のあり方と深く係わっている。本来動くはずのない絵が動き出し、音を発しないはずの画像から声や口笛が聞こえてくる。そうして、絵に魂が吹きこまれる。著者はそこにアニメーション映画の本質を見さだめたうえで、ウィンザー・マッケイやフライシャー兄弟やディズニーといった巨匠たちが、いかにして「絵と動きと音の王国」を作り上げていったのか、その表現技法の謎を時代順に、スリリングに解き明かしてゆく。と同時に、このような「アニメーションの表現史」が、二十世紀前半におけるアメリカの大衆文化(ヴォードヴィル、新聞連載漫画、ジャズ、ラジオ番組)の変遷と密接に結びついていたことも、楽しく豊富な逸話とともに語られる。
いわゆるアニメファンだけでなく、いやむしろ、たとえば「最近はスタジオ・ジブリのものくらいしかアニメは見てないなあ」という大人にこそ読んでいただきたい快著。類書は(たぶん)ないと思います。
2016/04/27
著者プロフィール
細馬宏通
ホソマ・ヒロミチ
1960年生まれ。京都大学大学院理学研究科博士課程修了(動物学)。現在、滋賀県立大学人間文化学部教授。ことばと身体動作の時間構造、視聴覚メディア史を研究している。著書『浅草十二階』『絵はがきの時代』(青土社)、『絵はがきのなかの彦根』(サンライズ出版)。共著『ステレオ 感覚のメディア史』(ペヨトル工房)、『活動としての文と発話』(ひつじ書房)など。