炭素文明論―「元素の王者」が歴史を動かす―
1,815円(税込)
発売日:2013/07/26
- 書籍
- 電子書籍あり
食料・ドラッグ・エネルギー――「炭素」が世界を支配する!
農耕開始から世界大戦まで、人類は地上にわずか〇・〇八%しか存在しない炭素をめぐり、激しい争奪戦を繰り広げてきた。そしてエネルギー危機が迫る現在、新たな「炭素戦争」が勃発する。勝敗の鍵を握るのは……? 「炭素史観」とも言うべき斬新な視点から人類の歴史を描き直す、化学薀蓄満載のポピュラー・サイエンス。
コラム:脇役たち
主要参考文献
書誌情報
読み仮名 | タンソブンメイロンゲンソノオウジャガレキシヲウゴカス |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
雑誌から生まれた本 | 新潮45から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 256ページ |
ISBN | 978-4-10-603732-0 |
C-CODE | 0343 |
ジャンル | 世界史 |
定価 | 1,815円 |
電子書籍 価格 | 1,144円 |
電子書籍 配信開始日 | 2014/01/31 |
書評
炭素に秘められた驚きの物語
〈著名人が薦める〉新潮選書「私の一冊」(10)
南欧を旅すると延々と続くブドウ畑を目にします。ワイン用に栽培されたブドウです。必ずしも酒が生命に必要でないことを考えれば、ブドウ畑の広さは、いわば、豊かさの指標です。
しかし私は広大なブドウ畑にウイルスにも似た恐ろしさを覚えました。ウイルスは宿主を利用して増殖する媒体です。ブドウは、ワインと化して人を惑わし、人の手を介して自らの保存と繁殖を成功させています。いや、ブドウだけでなく、サトウキビもコーヒーも茶もタバコも、人を魅了することで栄華を極めた、いわば文明に感染したウイルスです。
『炭素文明論―「元素の王者」が歴史を動かす―』(佐藤健太郎著・新潮選書)を読みました。著者の本にハズレはありません。本書も高品質な知的好奇心を刺激してくれます。「炭素」という元素を横串に、歴史と化学の綾を解きほぐします。教科書的な史実が、ミクロ分子の科学的な視点から焼き直され、驚くほど新鮮に映ります。
人体を構成する元素のうち炭素は18%です。人を魅了するアルコールや砂糖、カフェイン、ニコチンにも炭素が含まれています。プラスチックやビニールや化学繊維などの工業化合物も炭素を下地にしています。ところが炭素は地上の元素の0.08%にすぎません。文明はごくわずかな炭素を濃縮し、ようやく成立しています。
炭素は主に植物や石油から得られます。人類は、限られた資源をもたらす農地や油田をめぐって、醜い争いを繰り広げてきました。炭素化合物の持つ感染力は底知れません。
水不足やゲリラ豪雨で、環境の「水」を気にする人は増えました。これと同様、人類の運命を左右する「炭素」も、もっともっと注目されてよいと思います。そこには驚くような物語が隠されています。
(いけがや・ゆうじ 脳研究者)
「読売新聞」2013年9月8日 「本よみうり堂 ビタミンBook」より
人類と炭素の関わりを辿る楽しさ
書物のタイトルで、その内容を想像するのは自然なことだ。書肆の編集部と営業部とが、ときにタイトルでもめたりもする。評子の偏見がそうさせたかもしれないが、タイトルを見て、最初に思ったのは、二酸化炭素を中心とした、現在の環境問題を説き起こす文明論だった。読んでみて、全く当てが外れた。この外れは、まことに心地良いものであった。念のために書いておくが、タイトルが内容から遊離しているのではない。むしろ、言われてみれば、まさしく著者の本書のメッセージは、人間の文化・文明を造り上げ、支えてきたのが炭素という元素なのだ、という点にあるからである。
我々を取り巻く自然環境、さらには我々人間も含めた生命体、そのすべてに炭素が絡んでいる。著者は先ず、炭素化合物の図抜けた多様性を指摘する。実際、あまたある元素の中で、かくも容易に二次元的・三次元的につながり合える元素は炭素を除いて存在しない。つながり方も、直線的(リニア)にも、また例の「亀の子」のように環状にも、さらに継手を出す角度によって、立体的にも、様々な構造と形状が可能なのである。そこから、ほとんど無限の数の化合物が生まれる。すでに自然が多様な化合物を産出してきた。そして、人間もまた、新しい炭素化合物を、用途に合わせて造りだしてきた。その意味では、炭素の王国は、先ずは自然が用意してくれたものだ。同時に、人間は、その自然に、自らの利便性や有効性を求めて、手を加えてきた。まさに「自然に人為が参画する」という文明の定義に相応しい現場である。
第一章では、食料、とくに穀類とジャガイモが取り上げられる。いわばでんぷんの項目である。農業社会における穀物の重要さは当然であり、米は日本における文化の中心になったが、自然に恵まれなかったヨーロッパでは、ジャガイモが救いの手になった。ケネディ家のアメリカでの成功の引き金にも、きちんと触れられている。
第二章は砂糖、かつては万能薬のように扱われた砂糖、トマス・アクィナスが、砂糖は「禁欲」(犠牲として、食事を制限する場合)の対象としないでよい、と断定した話などは面白い。「甘い」が「旨い」と同義語であるように、砂糖が自由に手に入る、ということがどれほど意味があったか、サトウキビ栽培の歴史を振り返りながら、糖尿病へと筆者の筆は続く。砂糖を「中毒性の物質」とみなそうという、ユニークな意見も明かされる。砂糖代替物質も炭素化合物であることに変わりはない。ただ「甘味」を感じる作用機序に関しては、現在でもあまり解明が進んでいないという。
第三章は香辛料、第四章は「うま味」の元とされたグルタミン酸ナトリウムが扱われる。グルタミン酸は、むしろタンパク質と結びつくが、日本では誰にも馴染みの「出し」という概念も、必ずしも普遍的ではないようだ。その点で池田菊苗の業績が重視される所以もはっきりする。
そこまでは、人間の通常の食生活に関わる炭素化合物の話であった。第二部第五章以下は、ニコチン、カフェインという嗜好物質、痛風の原因である尿酸、そして最大の嗜好品としてのアルコールと人間との関わりが取り上げられる。
第三部はエネルギーとしての炭素化合物だが、最初に爆薬が登場するのは意表をつかれる。ここでは窒素との結びつきが問題になるが、エネルギーの本命である化石燃料は、現代文明の鍵となった。しかし、その成分は、意外に簡単な炭化水素である。様々な歴史上のエピソードをちりばめながら、人類と炭素化合物との関わりの跡を辿ることの楽しさを、著者は存分に見せてくれる。
最終章は、過去から現在への時間の流れから言えば、未来が焦点になる。ここでは、現在開発が進行中の、新しい炭素化合物の得失が語られる。発光材料、炭素繊維、ドラッグデザインの下での製薬、「第四の炭素」と言われるフラーレン、カーボン・ナノチューブなどへの期待から、人類は、幾つかの元素を造りだしたように、自然には存在しない炭素化合物を設計、製造する段階にさしかかっていることになる。
最後に、評子がタイトルを見て早とちりをした、二酸化炭素の問題が登場する。そして、解決策の一つとして、人工光合成の可能性に言及される。
広範な知識集約と先見性を備えた好著と言えよう。
(むらかみ・よういちろう 科学史家)
波 2013年8月号より
担当編集者のひとこと
人類の未来は「人工光合成」が握っている
地球温暖化が取り沙汰されて以来、「炭素」はすっかり邪魔モノになってしまった観があります。
しかし本書の冒頭で、意外な事実が明かされます。じつは炭素は地上にわずか0.08%(重量比)しか存在しない物質であること。一方、7千万種以上に及ぶ全化合物のうち、炭素を含むものがほぼ8割を占めていること。つまり、炭素は邪魔モノどころか、あらゆる元素の中でもっとも重要な存在なのです。
その証拠に、本書がひもとくわれわれ人類の歴史は、まさに「炭素争奪戦」一色です。食糧、ドラッグ、エネルギー……炭素化合物を手に入れ、それをうまく利用した者だけが世界を制してきたことが、如実に描き出されます。
さらに最終章では、今後の炭素争奪戦の鍵を握る「人工光合成」技術が論じられます。大気中の二酸化炭素から炭素だけを回収し、地球温暖化とエネルギー危機を一挙に解決しようとする、夢のような科学技術です。
すでにアメリカをはじめ世界各国が100億円単位の予算を人工光合成研究に投じ、熾烈な開発競争を繰り広げています。われらが日本もノーベル化学賞受賞者の根岸英一博士を旗振り役に参戦し、早くも成果を上げつつあるようです。果たして、世界に先駆けて人工光合成を実現し、次の覇権を握るのはどの国なのでしょうか? 劇的なパラダイムシフトを予感させてくれる一冊です。
2013/07/26
著者プロフィール
佐藤健太郎
サトウ・ケンタロウ
1970(昭和45)年、兵庫県生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了。医薬品メーカーの研究職等を経て、2020年8月現在はサイエンスライター。2010年、『医薬品クライシス』で科学ジャーナリスト賞受賞。著書に『炭素文明論』『世界史を変えた新素材』など。