利他学
1,320円(税込)
発売日:2011/05/25
- 書籍
- 電子書籍あり
人はなぜ、赤の他人にまで救いの手を差し伸べようとするのか?
「自分の遺伝子を後世に残すこと」が生物の最大の目的ならば、なぜ人は赤の他人を助けるのか? なぜ自分が損をしてまで、震災の被災者に物資や義援金を贈るのか? 「情けは人の為ならず」という言葉と「進化」との関わりは? 生物学、心理学、経済学、哲学などの研究成果もまじえ、人間行動進化学がヒトの不可思議な特性を解明する!
参考文献
書誌情報
読み仮名 | リタガク |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 256ページ |
ISBN | 978-4-10-603680-4 |
C-CODE | 0345 |
ジャンル | 哲学・思想、思想・社会 |
定価 | 1,320円 |
電子書籍 価格 | 1,056円 |
電子書籍 配信開始日 | 2011/11/04 |
書評
人はなぜ他人を助けるのか?
天国と地獄の食事の話、というものをご存じだろうか。天国も地獄も、使っているお箸はどちらもかなり長いそうだ。そうなると食事の時に食べ物をつまんで自分の口に持っていくことが難しい。
地獄ではみな自分のことばかり考えているため、結局誰もご馳走を食べられない。天国では、食べ物をつまんでお互いの口に運びあう。これを皆がやることで全員が満足のいく食事ができるのだ。
今回の震災の影響で、都会において食料や燃料などの買い占めが一部で発生したが、そうした残念なニュースを聞くたびに私はこの逸話を思い出す。私は東北関東大震災の3日後にドイツから帰国したが、海外メディアでもトップニュースで日本の悲惨な現状を報道していた。そして同時に、日本人の助け合い精神のすばらしさも伝えていたのだ。現在、確かにたくさんの義援金が集まりつつあり、また各地で様々なボランティア活動が始まっている。
本書でも、ノンフィクション作家ソルニットの著書『災害ユートピア』に触れ、大規模災害の後には、被災者や援助者による極めて利他的なコミュニティができると述べている。このような利他行動がなぜ生まれるのか、そしてどうやって社会の中で維持されているのか、またこの利他性の起源などについて科学者の立場から分かりやすく語ったものが本書である。特に生物学や心理学、そして経済学的な多数の実験結果を紹介し、人間の利他性がどのような状況で生まれるか、ということを統計的手法を用いて詳細に分析している。その多くは一般にはあまり知られていない最新のもので、利他性に関する科学者サイドからの研究結果を概観できる貴重な本である。
利他性に関する考察の歴史は古いが、それはこれまで主に宗教や経営学に絡んだ文脈で語られることが多かった。特に大乗仏教に「自利利他」という言葉があるが、これはぶつかることの多い自らの利と他人の利をうまく融合することが大切だという考えである。
江戸時代には石田梅岩が「心学」にて、まことの商人は先も立ち我も立つことを思うなり、と唱えた。自利を追求する商人こそ相手のことも考えるべし、というこの考えは、後に近江商人に大きな影響を与えた。
本書ではこれに対して、単なる精神論的考察だけでなく、進化生物学や進化心理学を基盤とした科学的実験を多数行い、その結果の統計分析を通じてどのような因子が行動の根底にあったのかを詳細に示している。その科学的記述の誠実さは際立っており、本書の結果は読者に十分説得力を持って迫ってくるだろう。
例えば、実験の中で被験者に人の「目」の絵を見せるだけで人は利他的に振る舞うとか、人は利他的な人を外見から見分けられる能力もある、ということが報告されている。さらに、人は他人に親切にされると、その人はまた別の人へ利他行動をする傾向があるという実験結果も紹介されており、これは「逆行的互恵性」といわれ、人間の共同社会の成り立ちを考える上で大変興味深い発見である。
このようにお互いが利他行動をし合うことで、結果として社会全体が最適化されていく例は、私の専門である交通問題にもたくさん見られる。高速道路の合流部では、譲らずに自分ばかり先に行こうとすると、結果として流れが悪くなり皆が損をすることになるのだ。したがって、利他行動が回りまわって互恵的になるということは、社会のしくみとして必要不可欠なことなのだ。
本書と対極にあるのが、アメリカの思想家アイン・ランドの著書『利己主義という気概』(藤森かよこ訳、ビジネス社)である。その中で彼女は、利己主義を積極的に肯定し、利他主義はありえないと徹底的に批判している。人間は合理的に自分の利益を考えて生きるべきで、そうすれば争いも起きず、それこそ真に相手のためになると説く。確かに合理的な人は、最終的には自分自身の利益を考えて、表面的には他人のためになる行動をすることができる。これを利他主義というのか、利己主義というのか、私にはどちらも同じことを言っているように思える。要するに、他人からの一方的な援助を期待したり、無私に与え続けているばかりではダメで、社会的動物たる人間としては、長期的視野に基づいた互恵的な関係を築くことこそが重要なのではないだろうか。
(にしなり・かつひろ 東京大学教授、渋滞学者)
波 2011年6月号より
担当編集者のひとこと
人はなぜ、見知らぬ他人を助けるのか?
先日テレビを観ていたら、震災に関して、東京での路上インタビューを放映しており、一人の若い男性がこんなことを言っていた。
「今は、人を助ける時代ですね……」
今回の大震災では、被災した人たちへの支援行動が、幅広い層の、しかも本当に大勢の人たちの手によってなされている。義援金、支援物資、ボランティア活動など形はさまざまだが、今まで会ったことのない人たちへ向けて、大勢の人が無償の救援を行なっている。
冷静に考えてみると、私たちはなぜこうした行動をとるのか、不思議な気にもなる。自分の遺伝子を残すために、血のつながりのある者を助ける行為なら、よく理解できる。しかし、赤の他人のためにホームから線路に飛び降りて救助したり、見ず知らずの子供にランドセルを贈るような行為は、直接、自分の利益にはならないのではないだろうか。進化論の立場からは、生物は自分の不利益になるような行為――つまり自分の遺伝子存続に役立たない行為――は、とらないとされている。要するに、無駄なことはしないのだ。
それでは、なぜ……? この謎解きを、最新の人間行動進化学が解明してくれるのが本書である。ネタばれになってしまうので詳細は書かないが、ひとつだけヒントを――。
「情けは人の為ならず」という格言は、進化論的には「正解」である……。
2011/05/25
著者プロフィール
小田亮
オダ・リョウ
1967年徳島県生まれ。東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻博士課程修了。京都大学霊長類研究所教務職員、名古屋工業大学講師などを経て現在、名古屋工業大学大学院工学研究科准教授。専門は自然人類学、比較行動学。霊長類を対象に心と行動の進化について研究している。著書に『約束するサル―進化からみた人の心―』(柏書房)、『ヒトは環境を壊す動物である』(ちくま新書)など。