春本を愉しむ
1,320円(税込)
発売日:2009/09/25
- 書籍
お咎めのないエロは、エロではない。
源義経・大石内蔵助・則天武后ら歴史上の有名人たちがモデルとなり、森鴎外・石川啄木・芥川龍之介ら文豪たちが愛読し、高名な学者たちが小遣い稼ぎにひそかに書いていた。その他、禁書指定を免れるための「暗号春本」、女性のための「人情春本」など、意外なエピソードが満載された愉悦の春本案内。美麗イラスト多数収録。
第一章 美快言うべからず――古典春本『壇の浦枕合戦』
第二章 大石小石競一力(おおいしおやこきそうおざしき)――暗号春本『大石内蔵助』
第三章 あなたは大層お巧者で――女性向け春本『真情春雨衣』
第四章 眉の間へしわを寄せ――人情春本『春情心の多気』
第五章 彼女は「愛の矢」をくわえ――泰西名作猥本『ツルー、ラブ』
第六章 いずれの御時(おんとき)にか押し広げて――源氏物語千年紀『正写相生源氏』
第七章 痛みで始まり痛みで終る――中国の禁書『如意君伝』
第八章 作者は風流好事の学者――娘の結婚費用を稼ぐために
第九章 「芭蕉」十大弟子の春本――元禄淫風草紙『好色大富帳』
書誌情報
読み仮名 | シュンポンヲタノシム |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
雑誌から生まれた本 | 小説新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 240ページ |
ISBN | 978-4-10-603649-1 |
C-CODE | 0393 |
ジャンル | 古典、文学賞受賞作家 |
定価 | 1,320円 |
インタビュー/対談/エッセイ
啄木作の春本?
菊池寛の、いわゆる通俗小説の一篇に、「受難華」という長篇がある。大正十四年作。女学校の、仲よし三人組が、卒業式に約束を交わす。私たちもいずれは結婚をする。三人とも身を固めたら、一度会って、めいめいの結婚生活を報告しあおう。そういう決めである。小説はそのように展開する。
菊池は執筆に当って、何十冊もの小説を読破した。物語のヒントを得るためである。「英文の猥本」に、三人の乙女が一年後に結婚し、それぞれの性生活を語る、という内容のものがあった。この筋を借りた、と菊池は述べている。自作の種明かしを堂々と行うところが、菊池らしい。何しろ、「小説を書くことは生活のためであった」と表明した人である。いや、筆者が敬服するのは、猥本を読んでいる、と明かし、猥本のおかげで創作が成った、と謝意を言外に表わしている、菊池の度量の広さである。戦前、猥本の効用を説いた知識人は、数えるほどしかいない。効用を知りつつ、しかし口にせず、ひそかに愛読する者ばかりだった。
石川啄木は、ローマ字日記の中で、一晩中、猥本を書写した興奮を記している。そのため会社を欠勤した。また、浅草で娼婦を買ういきさつが、克明につづられている。
すすけた壁の、二畳ほどの部屋で女を抱く。終ったあとの女との会話は、一篇の小説である。この日啄木は、会社から二十五円前借した。下宿代が滞っている。それを払ったら、手元に残らない。さて、どうするか。思案が決まらねば帰れない。啄木は、ふらふらと浅草行きの電車に乗る。そして雷門で下車し、牛めしを食い、活動写真を見、「行くな! 行くな! と思いながら、足は」娼婦のいる「浮世小路の奥」に向っている。吉原遊廓ではない、「銘酒屋」である。「白い手が格子の間から出て 予の袖を捉えた」
啄木はこの女と一時間過ごした。「二度とも快く」過ごした。では、女との遊びにいくら費したのだろう? 不思議に金額が記されていない。「おびを解くでもなく、“サア”といって、そのまま寝る」と情景のみ詳細である。
ローマ字日記は、明治四十二年の記録である。たぶん、この年頃発行されたと推定される春本に、『二つ枕』がある。吉原や浅草の夜の世界を描いた短篇が収められていて、その中の一篇「秘密室」は、啄木が遊んだあたりを舞台にしている。まず銘酒屋で女と交渉する。代金は二円五十銭である。一円は銘酒屋の取り分、一円が女、五十銭は宿代。遊ぶ場所は銘酒屋でなく、そこから少し歩いて路地の棟割長屋。あとから女が来る。狭い二階。「『さあ、しませうよ』とばかり、女は男の逸物を片手に握つたまゝ、仰向けになつた。男は得たりと女の上に乗りかゝり、逸物を穴のふちにあてがへば唾の世話もなく、づぶりと這入つた」……。もしかして、これ、啄木の小説? 春本の世界は興深い。
(でくね・たつろう 作家)
波 2009年10月号より
担当編集者のひとこと
春本を愉しむ
インテリは春本がお好き 知能指数の高さとエロさは正比例する――。
こんな俗説が世間に流布されていますが、本書に描かれているエピソードを読むと、さもありなんという気がしてきます。
石川啄木は夜な夜な春本を書き写すのに熱中し、ついには寝不足で、勤務先の東京朝日新聞社を休んでしまいます。いわく、「ああ、予は!予は そのはげしき楽しみを求むる心を制しかねた!」。
森鴎外も「けしからん」「馬鹿げている」などと言いながら、古今東西の春本を読了していますし、芥川龍之介もあらゆる伝手をつかい『金瓶梅』をはじめ中国の「淫書」を多数入手しています。
さらには、自ら春本を創作して小遣い稼ぎをする高名な学者など、多くのインテリが「春本」に並並ならぬ情熱を傾けている有様が、面白おかしく描かれています。
……などと書くと、「たしかに知能指数は高そうだけど、肝心のエロさは物足りない本なのでは」と思われる方がいるかも知れませんが、その点はご心配なく。
エロの基本は「秘めたるが花」、あとは読んでのお愉しみということで――。
2016/04/27
著者プロフィール
出久根達郎
デクネ・タツロウ
1944(昭和19)年、茨城県生まれ。作家。古書店主。1973年から東京都杉並区高円寺で「芳雅堂」を営む。1992年『本のお口よごしですが』で講談社エッセイ賞、翌年『佃島ふたり書房』で直木賞を受賞。読売新聞「人生案内」の回答者を長くつとめている。著書多数。