日本売春史―遊行女婦からソープランドまで―
1,210円(税込)
発売日:2007/09/25
- 書籍
「その昔、娼婦は聖なる存在だった」なんて大ウソ。「売春論」の新たなスタンダード!
なぜ日本の「性の歴史」はかくも貧弱なのか――。「娼婦の起源は巫女」で「遊廓は日本が誇る文化だった」など、過去の売春を過剰に美化するのはなぜか? そして、現代にも当然存在する売春から目を背けるのはなぜか? 古代から現代までの史料を徹底的に検証、幻想だらけの世の妄説を糾し、日本の性の精神史を俯瞰する力作評論。
まえがき
あとがき
関連年表
参考文献
索引
書誌情報
読み仮名 | ニホンバイシュンシユウギョウニョフカラソープランドマデ |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
雑誌から生まれた本 | 考える人から生まれた本 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 240ページ |
ISBN | 978-4-10-603590-6 |
C-CODE | 0395 |
ジャンル | 社会学、サブカルチャー |
定価 | 1,210円 |
書評
波 2007年10月号より 売春史の到達点 小谷野敦『日本売春史―遊行女婦からソープランドまで―』
ところが中世はフィクションの介在する余地のない、身も蓋もない時代であった。1504年、和泉国日根野荘(大阪府泉佐野市)でひもじさに耐えかねた寡婦が少量の蕨の粉を盗み食べるという事件があった。蕨の粉はご馳走ではあるまい。何だそれくらいと私たちは思う。村人はどうしたか。大勢で寡婦の家に赴き、彼女と幼い子どもを容赦なく撲殺したのである(『政基公旅引付』)。
中世にあって、生きる、とは相当に困難な作業であった。露命を繋ぐのが精一杯な日々の連なりの中で、仮に先の寡婦が売春に従事したとして何ほどのロマンが求められるだろう。売春という行為だけを取り出して現代の尺度で解釈しようとしても、本質は網の目からすり抜けるばかりである。中世社会への凝視の重要性を一方で説きながら、ごく少数の上層の人々との交流を根拠に「遊女=聖なるもの」との「オヤジの願望」をまるごと投影した情緒的な命題を定立し、天皇論をはじめとする自説に援用したのが網野善彦であった。「遊女の聖性とその裏返しである卑賤視」という単純な理解は、社会との連関を検討されぬまま記号化して流布し、様々な論者に便利に使用されている。
かかる状況に小谷野敦は敢然と異議を申し立てる。歴史・考古・民俗学に君臨しいまだ批判する者とてない網野に正面切って鋭い懐疑を突きつけると共に、網野の業績に安易に寄りかかる考察の問題点を剔出していくのである。
小谷野は日頃から統計・史実に基づく客観的な言説の構築を方法として選択し、恣意的な「私見」の横行に強烈な嫌悪を示す。彼の本質はその豊かな文藻にもかかわらず、緻密な研究者であることに求め得る。それ故に本書は読み物として抜群に面白いうえに、卓越した研究書となっている。過去にいかなる言説が展開されてきたかを過不足なく整理し提示する手際の良さはみごとの一語に尽きる。他者を理解する能力に欠ける私などは、これだけでも小谷野の才能に脱帽せざるを得ない。先人への真の敬意とは定見のない阿諛追従ではなくこのようなかたちで示されるべきものであり、厳密な方法を基礎とする彼の解釈はまさにゆるぎない。歴史学的に見ても現在の到達点を提示しており、今後の研究はここから始まらねばならない。
一貫した日本売春史を記述することによって、(不誠実な)論者を追い詰めることが、私の目論見だった。小谷野は最後にそう明かす。彼の放った矢が彼らののど元に突き刺さる音を、私は確かに聞くことができた。
担当編集者のひとこと
日本売春史―遊行女婦からソープランドまで―
その昔、娼婦は聖なる職業だった――なんて大ウソ!
幻想ばかりの売春論に喝。新しい日本の「性の歴史」! なぜこれまで日本には、売春にまつわるすぐれた通史がなかったのか。
そして売春について記述したものが、客観性の欠如したものばかりで、必ずある種の「歪み」が生じてしまうのはなぜか。
文芸評論とともに、『もてない男』や『恋愛の昭和史』など、日本の恋愛や性についてすぐれた論考を発表してきた著者が、こうしたわだかまりをストレートにぶつけ、まとめ上げたのがこの一冊です。
売春を語ると生じる「歪み」というのは、ひとつは、それが「美化か糾弾か」の二元論に陥ってしまうということです。結果、「娼婦の起源は巫女」や「遊廓は日本が誇る文化」といった幻想を語ったり、あるいは中世の遊女にあてはまることがそのまま無批判に近世にも援用されたり、精緻な議論がこと売春に関してはすくない。しかし議論の是非はともかく、「売春がこれまでどう語られてきたか」を考えることは、そのまま日本人の性に対する意識を明らかにすることであり、それが「幻想の産物ばかり」というのは、ある意味では興味深いことではあります。その意味では、本書は日本の性の精神史としても読めるでしょう。
そしてもうひとつの「歪み」は、売春の歴史を語る人間の多くが、現代の売春を無視していることです。ご承知のように、現代の日本で売春は合法化されていません。しかしだからといって、現代に売春は存在しない、という人もいないでしょう。なぜ昔の遊女を崇めるばかりで、現代の娼婦たちを無視するのでしょうか。それは大変な欺瞞ではないか。
こうした「歪み」を是正するべく、というと大げさですが、著者は「誰も書かないなら俺が書く」という気概をもって、本書の執筆に挑みました。著者自身が読みたかったものを自身でものす。これが良書の条件であることは言わずもがなですが、さておき、本書が日本の性の通史を記述した新たなスタンダードになることは間違いないでしょう。
2016/04/27
著者プロフィール
小谷野敦
コヤノ・アツシ
1962(昭和37)年生まれ。作家・評論家。東京大学文学部英文科卒業、同大学院比較文学比較文化専攻博士課程修了。学術博士。著書に『もてない男』『谷崎潤一郎伝 堂々たる人生』『川端康成伝 双面の人』『日本人のための世界史入門』『頭の悪い日本語』『俺の日本史』など。