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画家たちの「戦争」

神坂次郎/著 、福富太郎/著 、河田明久/著 、丹尾安典/著

1,650円(税込)

発売日:2010/07/23

  • 書籍

「戦争画」とは一体、何だったのか? もう一度、徹底的に考えてみよう!

いまだにタブー視されている「戦争画」。戦費調達のために軍部へ献画されたもの、従軍し、記録画として描かれた作品がある一方、現時点で見るととても戦争画とは思われない作品もある。戦後65年、十五年戦争開戦80周年を前に、さまざまな意見に触れながら、戦争画の名作といわれるものをじっくり鑑賞しなおしてみよう!

目次
【グラフ】これが戦争画だ
藤田嗣治◎“世界のフジタ”ならではの究極の戦争画!?
小早川秋聲◎天覧を拒絶された戦争画
中村研一◎戦争記録画家の雄
鶴田吾郎◎戦争画への意欲と画家の信念
宮本三郎◎戦争の光と影
田村孝之介◎まるで映画のような作戦記録画
川端龍子茨木衫風◎海・空一双六曲屏風
輝ける翼、勇まし空中戦御厨純一 小野具定 石川寅治 向井潤吉 小川原脩
描かれた戦争の“幕間”【一】原精一 安達真太郎 住谷磐根
描かれた戦争の“幕間”【二】鈴木良三 奈良岡正夫
銃後の護り鍋井克之 北川民次 鈴木誠 新海覚雄
栗原信◎最前線からの従軍日記 【文】福富太郎
小川原脩【インタヴュー】隠れ棲んだシュルレアリストの“戦後”
【コラム】武藤夜舟今村嘉吉 絵筆を揮った職業軍人
描かれた“十五年戦争” 【文】神坂次郎
戦争美術とその時代一九三一~一九七七 【文】河田明久
戦争美術の様態 【文】丹尾安典

書誌情報

読み仮名 ガカタチノセンソウ
シリーズ名 とんぼの本
雑誌から生まれた本 芸術新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 A5判
頁数 128ページ
ISBN 978-4-10-602206-7
C-CODE 0370
定価 1,650円

書評

従軍画家の声を聴く

木下直之

 この本を読みながら、著者のひとり丹尾安典さんが、ある研究会で「ヒトラーの名画はありうるか?」と問いかけたことを思い出した。若き日のヒトラーは画家志望であった。彼が画家としても大成したならば、ユダヤ人虐殺を命じた同じ人物の指先から生まれた絵だけを取り出して、そこに美を語ることは許されるのだろうか。絵は画家を離れて自由になるかという問いかけだった。
 ヒトラーほどの「極悪人」を出さなかった日本でも、敗戦後、戦争につながる一切が否定されると、戦争を描いた絵もまたその価値を剥奪された。戦争を描いたがゆえに、画家までもが「戦争協力者」、あるいは「戦犯」として断罪された。
 連合国軍総司令部は接収した百五十余点の戦争画をいわば戦利品としてアメリカ本国に送り、それらが無期限貸与という名目で日本に返還されるのは、ようやく一九七〇年になってからのことだ。東京国立近代美術館での全面公開がいったんは企てられたのだが、政治的諸事情から見送られ、常時数点ずつの公開で今日に至っている。
 絵に罪があるのか、それとも描いた人間が悪いのか、時代の要請に応えて画家は最善を尽くしただけではないか。答えの見つからない堂々巡りに陥りがちな問いかけもまた、戦争画同様に封印されてきた。冷静さを取り戻すには、半世紀を越える時間が必要だったのかもしれない。本書はその封印を解く。小振りだが、中身はずしりと重い。
「戦争画が面白いから描いてゐるんだ」という宮本三郎の、あるいは「我々は画家だから画家として御奉公することが幾らでもあるんだ」という鶴田吾郎の、ともに昭和十七年に語った言葉に、本書の著者たちは耳を傾ける。それらを「戦犯」の動かぬ証拠だと、鬼の首を取ったかのごとく突きつけるのではなく、なぜ彼らが嬉々として戦場に赴き、絵筆を執ったのかを明らかにする。
 日中戦争を機に従軍画家が増えたのは、当時の画家たちの生活基盤が貧しかったからだという。依るべきは脆弱な美術団体と市場のほかなかったところに、戦争は格好の画題を提供した。画家は社会とつながり、自らの存在意義を確認できた。日米開戦は泥沼化した日中戦争を一気に打開、「東亜解放」という大義を得て、晴れて「聖戦」となった。それは画家が戦争を描く自信と意欲につながった。これを軍が有効活用、数々の大作が生み出されたのだという説明は説得力がある。むろん、一方には戦争画を受け入れた大衆がおり、煽った新聞社があったことを忘れてはならない。
 富士山や仏像、鳩や南方の女性などを描いた、一見すると戦争とは無縁な絵にも注意を促す。戦争画に見えないがゆえに、それらを描いた画家は、戦後、戦争との無関係を装うことができた。いとも簡単に断罪する側に回ることができた。
 本書の射程は、戦争画の表層を突き抜け、戦時下を生きた人間の深層にまで届いている。

(きのした・なおゆき 東京大学教授)
波 2010年8月号より

担当編集者のひとこと

画家たちの「戦争」

 二〇〇六年三月、東京国立近代美術館で幕をあけた「生誕120年 藤田嗣治展 パリを魅了した異邦人」は、国立機関が主催する藤田回顧展としては不満の残るものだったが、そこに展示された藤田の「戦争画」五点の細密描写による大画面には圧倒された。
 藤田は「美術」第四号(昭和十九年五月三日発行)に「戦争画制作の要点」を寄せているが、「戦争画を描く第一の要件は、作家そのものに忠誠の精神が漲つて居らなくてはならぬ。」とし、「次には戦争についての体験又は知識を豊かならしめる事が第二の要件である。戦争画の場面に於て、風土、時刻距離、風速、温度、乾湿の度合、其の現場の特徴、更に其の戦争に参加した軍隊の作戦、服装、兵具等、総て正確に如実に資料を集め、軍部又は技術者の指導を受けねばならぬ。(中略)現下の戦争画は全く苛烈なる凄い相を描写し、又は皇軍が窮地に陥つたり、或は悪戦苦闘の状況をも絵画に写して、猶皇軍の神々しき姿を描き現さねばならぬ。」と書く。
 回顧展に出品された〈アッツ島玉砕〉および〈神兵の救出到る〉(共に本書収録)の迫力ある画面は、藤田がここで宣言していることをうなずかせた。一方、戦意高揚に力をかしたことからくる一種の暗いイメージが「戦争画」につきまとい、今だにタブー視されていることがある。
 戦後六十五年がたち、戦争を体験した世代が少なくなりつつある現在、本書は素直な眼で「戦争画」を鑑賞していただき、「戦争画」とは何だったのかを考えていただく機会をつくりたいと、企画されたものです。本当は図版写真ではなく、実物を鑑賞していただきたい思いが強い。一九七〇年に「無期限貸与作品」として「戦争画」群を受領し、所蔵する東京国立近代美術館は、常設展示の一部分で数点ずつの展示はするものの、一括展示の企画をはたさないまま四十年の月日をおくってきた。一日も早く一括展示が企画され、国民一人ひとりが「戦争画」について考えられる機会がきてほしい。

2010/07/23

著者プロフィール

神坂次郎

コウサカ・ジロウ

(1927-2022)1927(昭和2)年、和歌山市生れ。1982年『黒潮の岸辺』で日本文芸大賞、1987年『縛られた巨人―南方熊楠の生涯―』で大衆文学研究賞を受賞。1992(平成4)年には、皇太子殿下に自著『熊野御幸』を二時間半にわたって御進講した。2002年南方熊楠賞、2003年長谷川伸賞を受賞。他の著書に『元禄御畳奉行の日記』『今日われ生きてあり』『海の稲妻』『海の伽倻琴』など。

福富太郎

フクトミ・タロウ

1931年、東京生れ。東京都立園芸学校(旧制)中退後、さまざまな職業を転々とし、1960年、キャバレー経営につき、大成功する。近代美術、浮世絵のコレクター、評論家としても活躍し、主著に『絵を蒐める 私の推理画説』(新潮社 1995)、『描かれた女の謎 アート・キャバレー蒐集奇談』(同 2002)がある。

河田明久

カワタ・アキヒサ

1966年、大阪生れ。早稲田大学大学院文学研究科芸術学(美術史)専攻博士後期課程終了。日本を中心とする近代美術史を専攻。現在、千葉工業大学准教授。丹尾安典との共著に『イメージのなかの戦争―日清・日露から冷戦まで―』(岩波書店 1996)、共編著に『戦争と美術 1937-1945』(国書刊行会 2007)などがある。

丹尾安典

タンオ・ヤスノリ

1950年、東京生れ。早稲田大学第一文学部卒業。専攻は近代美術史。主著に『男色の景色―いはねばこそあれ―』(新潮社 2008)、とんぼの本シリーズ(新潮社)に『パリ オルセ美術館と印象派の旅』(1990)、『こんなに面白い上野公園』(1994)、『洲之内徹 絵のある一生』(2007)があるほか、多数の編著書、論文、評論を発表している。

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