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女が嘘をつくとき

リュドミラ・ウリツカヤ/著 、沼野恭子/訳

1,980円(税込)

発売日:2012/05/31

  • 書籍

彼女の波瀾万丈の人生が、全くの嘘だったとしたら!

ジェーニャの家に毎晩やってきては、ポートワインを飲みながら辛い人生を涙ながらに語るアイリーン。ところがその話はほとんど嘘。彼女は結婚したことも子供を亡くしたこともない。真実を知り打ちのめされるジェーニャ。だが嘘にも効用があって……。もう一人の自分の物語を生きる女たちの、面白く哀しくときに微笑ましい人生。

目次

1 ディアナ
2 ユーラ兄さん
3 筋書きの終わり
4 自然現象
5 幸せなケース
6 生きる術
訳者あとがき

書誌情報

読み仮名 オンナガウソヲツクトキ
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 224ページ
ISBN 978-4-10-590095-3
C-CODE 0397
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 1,980円

書評

嘘のない人生はない

中島京子

 女の嘘について、リュドミラ・ウリツカヤは「何の意味も企みもないどころか、何の得にさえならない」と定義している。女は「ひょいと、心ならずも、なにげなく、熱烈に、不意に、少しずつ、脈絡もなく、むやみに、まったくわけもなく嘘をつく」とも。
 これには異議を申し立てる人もいるかもしれない。女だって、見栄を張るために嘘をつくし、女の結婚詐欺師もいるではないか。しかし著者はそういう議論をしたいのではないのだろう。人生にたびたび立ち現れる小さな嘘、ほとんど意味をなさない、なぜつくのかもよくわからない、それなのに強烈な印象を残す不思議な嘘を、ウリツカヤは「女の嘘」と名づけたのだ。自己顕示欲に満ちた、理由のはっきりした、ある意味で英雄的な、マッチョな嘘と対比させる概念として。
 本書には六篇の短篇小説が編まれている。それぞれ、嘘をつく女が登場するのだが、「女の嘘」の聞き手だけが同一人物という設定になっている。聞き手の名前はジェーニャで、最初の一篇には二歳の息子の母親として登場する。ジェーニャは狂言回し、聞き役ではあるが、ほんの数行の描写で、彼女がたいへん悩ましい恋愛の渦中にいたことが明かされる。二番目の短篇中では、彼女は二児の母になっている。このようにして、六篇の中でジェーニャは年をとっていく。
 流れるのは、そこそこ長い時間であり、ジェーニャの家族構成や仕事の内容なども、変化する。彼女自身を見舞った人生の紆余曲折は、いくつもの「女の嘘」の背景に、あるいはスパイスのように描かれる。けれど、読み進むうちに、それなりにいろいろあったジェーニャの人生が、どっしりと読者の記憶に根を下ろしてしまうのがおもしろい。「女の嘘」の数々は、背景やスパイスへと後退するわけではないが、時間を追うにつれて、ジェーニャの人生のスケッチとしての役割を持たされていくのが印象的だ。
 母親、少女、思春期の娘、老女教師、売春婦――。彼女たちは勝手な嘘をつく。たしかにたわいないけれど、罪がないとばかりも言えない。ついた本人に邪気がない分、嘘を信じた人には傷も残るからだ。けれども嘘はそれぞれ、なんとはなしに魅力的である。
 人はなぜ嘘をつくのか。という大問題に踏み入ろうとは私も思わないし、著者もそこに明確な答えを出そうとは思っていないようだ。ただし、読んでいると「女の嘘」には、ある共通の動機めいたものが浮かび上がってくる。「打算も、利益も、謀を企てようなどというつもりも入り込む余地はない」「白樺やミルクやマルハナバチと同じ自然現象のような」「女の嘘」は、嘘をつく彼女たち自身を救う物語なのである。他人からはそう見えなくても。物語じたいはなんとも救いがたいものであっても。ほんのひとときのまやかしであっても。
「自然現象」とウリツカヤは書いたが、こうして考えてみると本書で取り上げられたような「嘘」は、じつのところ、私たち自身の人生に常に存在するのではないだろうか。多かれ少なかれ、人は小さな嘘をついて、嘘に支えられて生きている。たわいのない、しかし時に心奪われるほどの魅力を放つ嘘がなかったなら、人生はもっと退屈で、生きづらいものになりそうだ。嘘をつく本人にとって救いになるだけではない。実際、最初の一篇「ディアナ」の中で、友人の大嘘の虜になったジェーニャは、「人生の『大惨事』とも言える忌まわしい出来事を一度も思いださなかったのだ」「あんなレンコンみたいなレンアイ、もうたいして気にもならない」と独白する。
 つまり「女の嘘」というのは、あれだな、小説だな、と私は思った。人々は大昔から、フィクションを味方にして、心の糧にしたり、ひとときの慰めとしたりしながら、人生をやり抜いてきたわけだ。
 だから、「歌のような、お伽噺のような、謎めいた」「女の嘘」も、(著者が「序」であきらかにしているように)オデュッセウスの英雄譚のごとき「男の嘘」にひけをとらない、小説の起源なのである。

(なかじま・きょうこ 小説家)
波 2012年6月号より

短評

▼Лев Данилкин レフ・ダニルキン(文芸評論家)

ウリツカヤによれば、女の嘘というのは男の嘘とまったく違って、何の利益も求めず、前もって何か企んだりもしないという。……ウリツカヤは素晴らしい風俗作家だ。まさしく「貫く線」を巧みに引き、ディテールに溺れることがない。すべてが滑らかで自然に流れている。彼女の小説では、まるでどこか離れたオーケストラ・ボックスに調和のとれた音楽ユニットが配されていて、伴奏しながら同時にリズムと気分と音響効果を醸しだしているかのようだ。


▼Nakajima Kyoko 中島京子

二度の結婚を経験し、子供も夫も仕事も友人も持つ、教養ある女性ジェーニャが、人生のいくつかの場面で聞かされた、女たちの嘘の数々。虚栄心や策略に満ちた男の嘘と違って、女の嘘は脈絡なく、ふいに、作為もなくつかれる。それぞれに原因だけはあるらしい。しばしばそれらは謎めいているけれど、謎めいた嘘なしの人生なんて退屈なものに、果たして人は耐えられるだろうか。女たちが口にする罪のない嘘は、彼女たち自身を救う物語でもある。たとえそれがひとときのまやかしであっても。たとえば一篇の小説のように。


▼Елена Шубина エレーナ・シュービナ(「AST」編集者)

出会うことと出会わないこと、惹かれることと反発すること、人生のまたとない機会……。『女が嘘をつくとき(原題は「貫く線」)』に収められているのは、「嘘」というより「思いつき」というテーマでくくられた物語である。思春期の女の子も、家族を支える母も、年老いた文学の教授も、ここに出てくる女たちは自分自身の人生を好きなように作りあげ、そうすることでありふれた日常から抜け出す。それも、より面白いからというだけの理由で。

著者プロフィール

1943年生れ。モスクワ大学(遺伝学専攻)卒業。『ソーネチカ』で一躍脚光を浴び、1996年、フランスのメディシス賞とイタリアのジュゼッペ・アツェルビ賞を受賞、2001年には『クコツキイの症例』でロシア・ブッカー賞、『通訳ダニエル・シュタイン』でボリシャヤ・クニーガ賞(2007年)とドイツのアレクサンドル・メーニ賞(2008年)を受賞。他に『子供時代』『それぞれの少女時代』『女が嘘をつくとき』など。2011年、シモーヌ・ド・ボーヴォワール賞を受賞し、ロシアで最も活躍する人気作家である。

沼野恭子

ヌマノ・キョウコ

1957年東京生れ。東京外国語大学教授。著書に『夢のありか――「未来の後」のロシア文学』(作品社)、『ロシア文学の食卓』(日本放送出版協会)等、訳書にウリツカヤ『ソーネチカ』『女が嘘をつくとき』、クルコフ『ペンギンの憂鬱』(以上、新潮社)、アクーニン『堕天使(アザゼル)殺人事件』『リヴァイアサン号殺人事件』(以上、岩波書店)、ペトルシェフスカヤ『私のいた場所』(河出書房新社)等がある。

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