ひとりの体で(上)
2,200円(税込)
発売日:2013/10/31
- 書籍
美しい図書館司書に恋をした少年は、ハンサムで冷酷なレスリング選手にも惹かれていた──。
小さな田舎町に生まれ、バイセクシャルとしての自分を葛藤の後に受け入れた少年。やがて彼は、友人たちも、そして自らの父親も、それぞれに性の秘密を抱えていたことを知る──。ある多情な作家と彼が愛したセクシャル・マイノリティーたちの、半世紀にわたる性の物語。切なくあたたかな、欲望と秘密をめぐる傑作長篇。
2. 不適切な相手に惚れる Crushes on the Wrong People
3. 見せかけの生活 Masquerade
4. エレインのブラ Elaine's Bra
5. エズメラルダと別れる Leaving Esmeralda
6. 私の手元にあるエレインの写真 The Pictures I Kept of Elaine
7. 私の恐ろしい天使たち My Terrifying Angels
8. ビッグ・アル Big Al
書誌情報
読み仮名 | ヒトリノカラダデ1 |
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発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 336ページ |
ISBN | 978-4-10-519115-3 |
C-CODE | 0097 |
ジャンル | 文芸作品、評論・文学研究 |
定価 | 2,200円 |
書評
この世のすべての出来事の、圧倒的な一回性
まったくもって、めくるめく。言葉がやってのけるのだ(小説においても、人生のある局面においても)と、たぶんここには書いてある。「鴨はどうなるの?」にしても、「アダージョ」にしても、「十七で懐かしくてたまらないんなら、たぶんあなたは作家になるわ!」にしても。
でも、まず、概要。一九四二年生れの作家の「私」(「今では六十代の後半、ほとんど七十だ」)が過去を回想する形で、物語は語られる。進んでは戻り、戻っては進み、あっちへ飛びこっちへ飛びして、すこしずつ。
回想の中心となる場所は、アメリカ、ヴァーモント州の小さな町だ。その町には図書館があり、主人公ビリーは少年時代にそこで、「ミス・フロスト」という瞠目すべき司書と出会う。彼女によって書物の森に誘われ、同時に、「彼女とのセックスを夢想」する。その町にはアマチュア演劇クラブもあり、ビリーの家族は祖母以外みんなそこの、熱心かつ中心的なメンバーだ。ビリーも、だからそこでたくさんの時間を過ごす。そしていろいろ垣間見る。近所の人たちが無防備に露呈する内面を、自分の家族のいつもとはべつな顔を、つまり世間を。
町にはもちろん学校もある。母親の再婚相手であり、「常套句の権化」でもあるリチャードが英語英文学を教えているその学校で、ビリーはさまざまな少年たちに出会う。「トム」や「トローブリッジ」や「キトリッジ」に。読んだが最後、忘れられなくなるであろうこの少年たちの、何て生硬でナイーヴで、不恰好でみずみずしく、残酷で、あたり前に特別なことだろう! 私は彼らの学校生活を垣間見られてよかったと思う。興味深くも痛々しい一時期を。
ところで、ビリーには軽い発音障害と、女性のみならず男性にも性的に惹かれてしまうという悩みがある。しかも、女性に惹かれる場合も、同世代の女の子たち(たとえば親友のエレイン)にではなく、母親ほども年の離れた大人の女性に惹かれてしまう。
これは性をめぐる小説で、当時禁忌とみなされていた、同性もしくは両性愛者に対する、善良な人々の不寛容をめぐる小説でもあるのだが、その不寛容で善良な人々のなかには、当事者たちも含まれる。というか、当事者たちこそが、まっさきに自分の不寛容と直面する。
そして、でも、図書館には本が、演劇クラブには芝居が、学校にはレスリングがあって、世界は物語に満ちている。彼らの日々には家族がいて友達がいて、その後はもちろん恋人(たち)もできる。別れがあり、再会があり、時の流れがあり、戦争があり、エイズがあり、変化があり、この世のすべての出来事の、圧倒的な一回性がそこにはある。読んでいてめくるめくのは、その一回性のためなのだろう。
なんといってもすばらしいのは、汁気たっぷりの登場人物たち(そしてディテイル。そして言葉)。演劇クラブの「女優」で、いつも観客を沸かせる「お祖父ちゃん」や、「もっとも美しい体のレスリング選手」であり、全編を通して強烈な存在感を放つ「キトリッジ」(「彼の陰茎は右腿に沿って曲がる傾向があった、というか、異常なほど右を向くように見えた」)。ビリー同様に発音障害があり(彼は時間(タイム)という言葉を口にできない)、のちにビリーとヨーロッパ旅行をする、やさしい「トム」。少年ビリーのポケットや靴のなかに、しょっちゅうスカッシュのボールを隠しては見つけさせ、「ああ、そのスカッシュボールをあちこち探していたんだよ、ビリー!」と言う「ボブ伯父さん」。「舞踏室みたいじゃない」ヴァギナの持ち主で、ビリーの親友の「エレイン」。彼女とビリーの関係は、この小説を貫く光だ。「僕は君のヴァギナ、大好きだよ!」たとえばビリーが彼女にそう言うときの、言葉のまっすぐな届き具合はうらやましいほどだ。ビリーは彼女と何かしようとしているわけでは全然なく、ただ事実として、文字通りの意味で言っているのだが、女性にそう言える男性は滅多にいないし、男性にそう言ってもらえる女性も滅多にいない。
おもしろかったー。
文字通り、心からそう思う。
(えくに・かおり 作家)
波 2013年11月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
ジョン・アーヴィング
Irving,John
1942年、アメリカ、ニューハンプシャー州生まれ。プレップ・スクール時代からレスリングに熱中。ニューハンプシャー大学、ウィーン大学等に学ぶ。1965年よりアイオワ大学創作科でカート・ヴォネガットに師事。1968年『熊を放つ』でデビュー。1978年発表の『ガープの世界』が世界的ベストセラーに。映画化された『サイダーハウス・ルール』では自ら脚本を手がけ、アカデミー賞最優秀脚色賞を受賞。その他の作品に『ホテル・ニューハンプシャー』『オウエンのために祈りを』『また会う日まで』『あの川のほとりで』『ひとりの体で』など。デビュー以来半世紀、19世紀小説に範を取った長大な小説をつぎつぎと発表。現代アメリカ文学を代表する作家。
小竹由美子
コタケ・ユミコ
1954年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。訳書にマギー・オファーレル『ハムネット』『ルクレツィアの肖像』、アリス・マンロー『イラクサ』『林檎の木の下で』『小説のように』『ディア・ライフ』『善き女の愛』『ジュリエット』『ピアノ・レッスン』、ジョン・アーヴィング『神秘大通り』、ゼイディー・スミス『ホワイト・ティース』、ジュリー・オオツカ『あのころ、天皇は神だった』『屋根裏の仏さま』(共訳)、ディーマ・アルザヤット『マナートの娘たち』ほか多数。