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また会う日まで(上)

ジョン・アーヴィング/著 、小川高義/訳

2,640円(税込)

発売日:2007/10/31

  • 書籍

オルガニストの父を追う、刺青師の母と小さな息子。最新最長最強の大長篇!

逃げた父は、教会オルガニストにして全身楽譜の刺青マニア。若き刺青師の母と幼子が、男を追って北海の国々を巡ってゆく。父を知らない息子は年上の女たちを心ならずも幻惑しながらカナダで成長、ハンサムな映画俳優となる。母が死に、やがて知ることになる真実の愛は、思いもよらない形をしていた――。巨匠4年ぶり、感動の大長篇。

目次
第I部 北海
1 教会の人々、およびオールド・ガールズの世話になる
2 小さな兵士に救われる
3 スウェーデンの会計士に助けられる
4 不運続きのノルウェー
5 うまくいかないフィンランド
6 聖なる騒音
7 またも予定外の町
第II部 女の海
8 女の子なら安心
9 まだ早い
10 一人だけの観客
11 内なる父
12 普通ではない「ジェリコのバラ」
13 いわゆる通販花嫁にはならないが
14 マシャード夫人
15 生涯の友
第III部 幸運
16 凍上現象
17 ミシェル・マー、そのほか
18 クローディア登場、マクワット先生退場
19 つきまとうクローディア
20 天使の都に二人のカナダ人
21 二本のロウソクが燃える
22 いい場面

書誌情報

読み仮名 マタアウヒマデ1
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 568ページ
ISBN 978-4-10-519111-5
C-CODE 0097
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 2,640円

インタビュー/対談/エッセイ

はるかな時間、はるかな距離

いしいしんじ豊崎由美小川高義

逃げた父は、教会オルガニストにして全身楽譜の刺青マニア。跡を追う刺青師の母と幼子が、北海の港町を巡ってゆく。父を知らない息子は年上の女たちに溺愛されながら成長し、やがてハンサムな映画俳優に――。4年ぶりの最新長篇の魅力を、作家、書評家、翻訳者に語っていただきました。

ジョン・アーヴィングの集大成

豊崎 まずは翻訳なさった小川さん、おつかれさまでした。『また会う日まで』は上下巻で一一〇〇ページちょっとありますが、よく引き受けられましたね(笑)。

小川 ついうっかりと(笑)。あとがきにも書いたんですけれど、最初に原書を読んだときと、翻訳している最中、それからゲラになってからとでは、長さの印象がまったく違うんです。私にはもうこの小説が長いんだか短いんだか、よくわかりません(笑)。

豊崎 ともかくすごい本を訳されたなと。現時点でのアーヴィングの集大成ですね。ジャックという少年の成長物語であり、カナダ、北欧、アメリカの街々をめぐるロードノヴェルであり、女性によってつくられていく男、強い母、父の不在、レスリング、そして何より記憶について――これまでアーヴィングが書き継いできたものが、この一冊に全部収まっている。

小川 集大成でもあり、新しいアーヴィングでもあり、という感じがしますね。暴力性やドタバタで読ませる部分が減ってきて、父の不在なり父探しなりのテーマに収斂してきている。

豊崎 ドタバタは、ジャックが幼稚園から小学校低学年だったころ、同級生の双子二組が、怖い話をされると毛布をチューチュー吸ったり足をバタバタさせて大騒ぎしたり、かわいい感じで残されていますね。

小川 死が出てきても、必要以上に悲劇的ではなくなったということかな。つくったような事故はもう起こりませんし。

いしい 「つくったような」というのがない小説だと思います。上巻を読んでいるとき、話が続いていく感じがつるつるしていて、すごく不思議でした。アーヴィングの書き方、語り方はこんなふうになってきたんだな、と思って読んでいると、下巻になってその理由が驚くような手際で示される。そのとき小説が一挙に立体構造になって立ち上がってくるんです。その理由が全部小説の中で語られていく。びっくりしました。

豊崎 すべてを時間順に語るというのがこの小説のルールなんですが、なぜそうでないとだめなのかが小説を読んでいけばわかるようになっているのが立派。

いしい メタフィクションになっていないことの潔さですね。つるつる感は上巻の子供時代の場面にだけ感じられることで、成長して映画俳優になってからというのは、ストーリーではなく、本気で何かを感じることができないジャック自身がつるつる。

豊崎 人間関係も、女性との関係もつくっていけないキャラなんですね。それが父の不在と深くつながっているんですが。

いしい ストーリーとして、つるつる感が疾走していくのが上巻だとするならば、下巻は、つるつるの主人公にだんだんひだができてくる。

豊崎 つくりものじゃない、演技じゃないジャック・バーンズという人間が立ち上がってくる、そういう構成ですよね。
 ちょっと深読みかもしれないんですけど、下巻に精神科医のガルシア博士というのが登場して、ジャックに小さなころからの体験をぜんぶ時間順に省略しないで話しなさいといいますね。このガルシア博士=よい読者で、この小説は、よい読者に向かってアーヴィングが自身の人生で笑ったり泣いたりしたことをお噺として語りかけているみたいな、そういう見方もできるんじゃないかと思いました。

いしい アメリカの友人によると、アーヴィングがラジオに出て、今回の作品には自伝的な要素がたくさん入っていると話していたそうです。

小川 後半になればなるほど、自伝的要素が強いと思います。刺青に関する部分は調べた成果でしょう。本人も刺青をしているようですが、それはこの本の調査をするうち結果として彫っちゃったらしい。それから、アーヴィングは何しろ自作を映画化した「サイダーハウス・ルール」でアカデミー脚色賞をとっていますから、そのときの体験が活かされている。不在の父親というのはまさに自伝的な要素ですし、ストーリーに関わるので言えませんが、創作して書いていたことがあとで現実になったりもしたそうです。

初のリアリズム小説?

いしい 章見出しだけ見ていても面白くて、書き写してしまいました。

豊崎 十九世紀以前の古い小説が好きな作家らしいですよね。第一部は「北海」。逃げた父ウィリアムを追って、若い母親で刺青師のアリスと四歳のジャックが北欧の港町をめぐっていく。第二部が「女の海」。アリスはジャックを元女子校に入れるんですが、どうして「女の子なら安心」なんて思ったんでしょうね。女ったらしの父の子で、悩殺まつげのジャックなんだから、よけい心配じゃないですか。

いしい 第四部の「針に眠る」というのはいい言葉ですね。見たことも聞いたこともない日本語なのに、すごく詩的で、思ってもいないところがぱっと開かれる。

小川 そのまんまなんですよ、sleeping in the needlesで。

いしい 違和感があったのが第五部の「ガルシア博士」なんです。ガルシア博士ってなんだい、「北海」や「女の海」と同じくらいでかいのかい、と思った(笑)。豊崎さんがおっしゃったように、ガルシア博士に時間順に過去を語っていくという設定が、小説全体の構造を決めているということなんですね。

豊崎 でも最初は「何者?」ですよね。

いしい これまでの小説は、綿密につくり込まれていたし、小説を書く視点もずいぶん高みにあった気がします。見晴らしのいいところから鳥瞰するように、スムーズな放物線を描きながら小説が進んで終わるという感じだった。今回は、その単眼的な大きな視点が下の方におりてきて、複数のばらばらな視点に変わっている。
 たとえば、小学校時代の担任で、アカデミー賞の授賞式にもいっしょに出席するワーツ先生が出てくる場面では、視点はすごくワーツ先生的だし、母親のアリスが一人でボブ・ディランを流しながら自分の刺青店にいるような場面では、アリスに入り込んで見ているような感じだったり。

豊崎 主要登場人物がすごく多いですね。

いしい 多さに意味があるというか、世の中を見渡したとき、本当に人はこんなふうにいるんだろうと思う。それぞれの距離感を一人ひとり確認していくというような話でもあるから、手間はかかるけれども、小説家としてじつに誠実な態度ですよね。

豊崎 『また会う日まで』は、もしかしたらアーヴィング初のリアリズム小説なのかもしれない。『オウエンのために祈りを』や『ホテル・ニューハンプシャー』みたいなつくり込んだ物語とはかなり違います。

いしい 上巻から下巻に読みすすんでいったとき、さっきお話しした驚きとともに、ここまで現代的なことを先頭を切ってしている作家はいないんじゃないかと思ったんです。いまあえて王道の物語ものを書いて、こんなにも最先端のことができるのは、この作家が本当に現代に生きているからだろうと思う。

豊崎 アーヴィングは一貫して稀にみる前衛小説嫌いですよね。それが、父親であるウィリアムの芸術観としてちゃんと書かれている。一人の観客に向けてという考え方ではだめだ、すべてのみじめな人々を観客として考えなければいけない。オルガニストであるウィリアムは、教会の外の娼婦にもとどくように弾かなければいけないと考えている。アーヴィングは、それが小説だと思っているんですね。
 だからどれほどリアリズム小説に近づこうと、読ませる物語にしようというところだけは変わっていない。このサービス精神ゆえに、アーヴィングは信じられる。

小川 要所要所で笑わせてくれるから、ああ、訳していてよかった、もうちょっとやろうという気にさせられる。あの笑いがなければとてもつづきません(笑)。

豊崎 映画界が舞台となる下巻には実在の俳優が登場します。いちばん笑ったのは、もらったばかりのオスカー像を持ってトイレで用を足そうとする場面で、シュワルツェネッガーが「それ、持っていてあげようか」。「それ」ってどっち? っていう(笑)。

いしい あれ、アカデミー賞のとき本当にあったんでしょうか。

豊崎 あったのかも。あと私は、ジャックの「おー」という口癖が好きで好きでたまらない。原文は何ですか。

小川 ただの「Oh」です。こういうのは実に困るわけですよ。どうしよう、「おー」でほんとにいいのかな、と。

豊崎 私は、もうあれがすごい萌え要素で。小さいジャックが「おー」って言うたび、「かわいい~ん」とかと思って(笑)。

小川 普通はわざわざ訳さない。でも子どものころからの口癖として出てくるし、ハリウッドの業界人に「意味ないよ」と言われてもやめられず、ついには意味がないどころか相当に重い意味が加わってくる。

なぜこんなに厚いのか?

豊崎 それにしてもこの小説は紹介者泣かせ。言えないことが多すぎます!

いしい ほんとにそうですね。この本を読んでいる時間は特別で、後半に入っても、前半を読んでいたときの時間がありありと残っている。それがこの小説を読む独特の時間、空間をつくっていく。まさに実感として、はるか遠い過去、すごい距離を旅してきた感じがするんです。だからこの厚さが必要なんで、こうなっちゃった(笑)のには、必然性がある。

豊崎 それはすばらしい指摘ですね。幼児のジャックが、三十何歳になっていく、その時間の長さと距離の長さが物量によって示される。四歳での母との父探しの旅が終わると、カナダに落ちついて小学校に入りますよね。旅の過程で出会った人たち、土地土地の刺青師たち、会計士や娼婦たち、警官などには、別れがたいキャラクターが幾人もいるから読んでいて寂しいんです。だから、大人になったジャックが北欧を再訪して、あとでもう一度会えるというのがすごくうれしい。死んでいる人がいるのが悲しいけれど、それもまたいい。

小川 読んでいくうちに読者の記憶もいわば再点検を迫られる。それがなかなかつらいですよね。ジャックと同様に。

豊崎 でも、逆に「ごほうび」といってもいいかもしれませんよ。ずっと読んできたからこそ再会できて、そのとき思いもよらない新しいものがみえてくるという。

いしい 前半に出てくる忘れがたい人たちというのは、あくまで影絵的なんです。それが再訪のときには、大人になったジャックの視点になるから、がぜん生きている感じがする。死んでいる人たちも、ちゃんと死んでいる。たとえば、コペンハーゲンでお城の堀に落ちたジャックを助けてくれた「小さな兵士」がなぜ死んだか。それにはこういうわけがあったのだ、というふうに話がどんどん押し寄せて、人がガッガッガッと立ち上がってくる。その迫力。たしかにごほうびですね。

豊崎 で、さらにもう一回すごいごほうびがもらえますが、これは書けない。ああ、こういうごほうびの出し方もあるんだ! なんて鮮やかだろうと思いました。

いしい やりたい放題ともいえる(笑)。でもここまできたらぜんぜん大丈夫、どんどんやってくださいと言いたくなる。

豊崎 自分にも許しますよね。この長い道のりをともに歩いてきたんだから、このぐらいいい思いをしてもいいじゃないって。

小川 映画だったらもうエンドロールのところですよね(笑)。

いしい 読んでいる自分たちもいっしょに参加しているという感じがします。

豊崎 そう、いい本ってインタラクティブですよね。参加できるから最後まで楽しめるし、感動も大きいんだと思います。

いしい 原題はUntil I Find Youですね。このyouは父探しのテーマからいうとお父さんなんでしょうけれど、あいまいな広がりがありますね。無理に締めていないからこそいくつもの意味が感じられる。

小川 このyouは父であると同時に、ジャック自身のことでもあると思うんです。父を発見することが、自分が何者かを見いだしていく過程でもある。

いしい findという動詞の深みというか、この言葉に込められているドラマチックな感じとか、それまで見えなかったものがすっと立ち上がってくる驚きとか怖さとか、いろいろなものが伝わってきます。

小川 ただ単に会えばいいというわけではなく、こういうことだったのか、というものがなければfindになりませんものね。

いしい findの意味を伝えるのに、この上下巻がまるまるぜんぶ必要だったということなのだと思います。

豊崎 この物量自体に意味があるんですよね。いくつもの旅、いくつもの舞台、いくつもの映画の話を経て、そして……あとは皆さん、読んでのお楽しみ!

【2007年9月28日 東京・神楽坂】
(いしい・しんじ 作家)
(とよざき・ゆみ 書評家)
(おがわ・たかよし 翻訳家)
波 2007年11月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

1942年、アメリカ、ニューハンプシャー州生まれ。プレップ・スクール時代からレスリングに熱中。ニューハンプシャー大学、ウィーン大学等に学ぶ。1965年よりアイオワ大学創作科でカート・ヴォネガットに師事。1968年『熊を放つ』でデビュー。1978年発表の『ガープの世界』が世界的ベストセラーに。映画化された『サイダーハウス・ルール』では自ら脚本を手がけ、アカデミー賞最優秀脚色賞を受賞。その他の作品に『ホテル・ニューハンプシャー』『オウエンのために祈りを』『また会う日まで』『あの川のほとりで』『ひとりの体で』など。デビュー以来半世紀、19世紀小説に範を取った長大な小説をつぎつぎと発表。現代アメリカ文学を代表する作家。

小川高義

オガワ・タカヨシ

1956年横浜生れ。東大大学院修士課程修了。翻訳家。『緋文字』(ホーソーン)、『老人と海』(ヘミングウェイ)、『ねじの回転』(ジェイムズ)、『変わったタイプ』(トム・ハンクス)、『ここから世界が始まる トルーマン・カポーティ初期短篇集』(カポーティ)など訳書多数。著書に『翻訳の秘密』がある。

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