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プラハの憂鬱

佐藤優/著

1,760円(税込)

発売日:2015/03/31

  • 書籍

私が祖国のためにしたことをマサルに知ってほしい。私はもう故郷に帰れないのだから。

1986年ロンドン。外交官研修中の私は、祖国の禁書の救出に生涯を捧げる亡命チェコ人の古書店主と出会った。彼の豊かな知性に衝撃を受け、私はその場で弟子入りを願い出た――神学・社会主義思想からスラブの思考法、国家の存在論、亡命者の心理まで、異能の外交官を育んだ濃密な「知の個人授業」を回想する青春自叙伝。

目次
あたかもバルコニーの上で
インタープレス
チェコ人の存在論
チェコスロバキア・クラブ
インコグニト
神父(ファーザー)
召命
ジョージ・ホテル
ダンスパーティーの夜
「ミッション」
亡命ロシア人
ブラシュコ先生
最終講義
カウンターパート
あとがき

書誌情報

読み仮名 プラハノユウウツ
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 336ページ
ISBN 978-4-10-475208-9
C-CODE 0095
ジャンル ノンフィクション
定価 1,760円

書評

若き憂鬱人の献身

亀山郁夫

 かつて1995年の1月に初めてプラハを訪ねたとき、私は、「中欧のパリ」としばしば表されるこの町の孤独な美しさに打たれ、あるエッセーにこう記したことがあった。かりにもし、世界中のどこかの市長になることを許されたら、迷わずプラハを選ぶ、と。当時の私にとって、プラハは2人の固有名詞と深く結びついていた。1人は言うまでもなく、フランツ・カフカ。そしてもう1人は、ロシアの女性詩人マリーナ・ツヴェターエワ。プラハはその後、今は亡き米原万里の名と結びつき、そして今回、この『プラハの憂鬱』を通して、新たな出合いを獲得するに至った。「プラハの市長」というおよそ非現実的な夢には、こうした見えざる糸の導きがあったのだ。
 本書は、日本を代表するオピニオンリーダーの1人佐藤優が、自らの青春時代の知的放浪を綴ったノンフィクションである。世界の政治やコミュニズムの本質、さらに人間の運命といった問題に寄せる好奇心の初々しさが際立つが、私が何よりも興味を掻き立てられたのは、現に私たちの目の前にいる成熟した佐藤の、思想的起源に息づく独自の思考法だ。
 周知の通り、佐藤は、同志社大学在学中にチェコのプロテスタント神学者フロマートカの著作と出合い、神学者としての将来をも念頭に置きつつ、外務省入省を志した。そこには、佐藤なりの若々しい打算が働いていた。そしてその彼が、本来の希望をよそに送られた英国の地で出会ったのが、ロンドンで古書店を営む1人のチェコスロバキア人。名前は、スデニェク・マストニーク。内面的に幾重にも引き裂かれたこの人物との出会いを通し、佐藤は、フロマートカのドストエフスキー哲学や、彼の故郷であるチェコスロバキアの現実、そしてそこに生きる人々の心に巣食う深いペシミズムに触れる。
 タイトルに「プラハの憂鬱」とあるが、プラハの町に関する記述は1行たりともなく、読者は読後にある種の不意打ちを覚える。本書において、プラハは、歴史の荒波に翻弄されて生きる人間の憂鬱を照らし出すサーチライトのような役割を果たしているが、思うにプラハほど、(ことによるとパリ以上に)「憂鬱」の表象としてふさわしい町はないかもしれない。
 W・ベンヤミンの理解に従えば、「憂鬱」とは一種の運命論である。人間の意志の力に対する根本的な不信に苛まれた憂鬱人にとって、世界はまさにその意志の力から切り離され、固定化された状況を呈する。しかし、その憂鬱にとらえられることなく、人は現象の真の洞察者たりえない。その意味で、亡命者マストニークも優れた憂鬱の思想家である。歴史的に「いつ消えてしまってもおかしくない」チェコスロバキア人の、まさに憂鬱な存在論を展開しつつ、彼は語る。
「チェコ人は現実主義者です。……構想力に限界がある民族です。それだから、常に妥協を模索する」
 ロシアとドイツという2つの巨大な力に囲繞され、翻弄されてきたチェコスロバキアの存在自体が、佐藤の根源に息づくペシミズムを深く刺激する。彼の関心はやがて、当然のように、英国と海峡を隔てた北アイルランドの問題へと、そこに住む人々の「過剰同化」へ向けられていく。
 佐藤にとって、おそらく歴史の進歩という観念ほど縁遠いものはないのではないか。それは、フロマートカ神学との出会いから生まれた根源的な世界観でもあろう。だが、佐藤は、ベンヤミンと異なり、持ち前のペシミズムと、救済への狂おしい期待の間で揺れ動いている。その揺れを介して、彼の発言にみなぎる熱とダイナミズムは生まれるのだ。
 本書の執筆動機について佐藤は率直に告白する。
「個人の努力ではどうしても突き破ることができない壁がある」と。これこそはまさに「憂鬱」のペシミズムではなかろうか。彼は続けて、「日本人に完全に同化しようと思ってもそうはなりきれない在日沖縄人である自分の想い」について語り、「複合アイデンティティ」とこれを名付ける。思えば、まさにその「複合アイデンティティ」を、チェコスロバキア人は身をもって生き、神学者フロマートカもまた、誠実さの限りを尽くしてこの二重性を戦い抜いた。この「複合アイデンティティ」のプリズムを通すとき、佐藤の、左右両極への天衣無縫ともいうべき分極化の正体がはっきりと見えてくる。自らを限りなく「脆い」と感じる人間は、時として過剰なペシミズムの表明や局地的なゲリラ戦法に走ることがあるかもしれない。しかし、そこに脈打っているのは、「過剰同化」とはおよそ質の異なる何か、「献身」とでも名づけるべき、誠実かつひたむきな精神性である。

(かめやま・いくお ロシア文学者・名古屋外国語大学長)
波 2015年4月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

佐藤優

サトウ・マサル

1960年生れ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了の後、外務省入省。在英大使館、在露大使館などを経て、1995年から外務本省国際情報局分析第一課に勤務。2002年に背任と偽計業務妨害容疑で逮捕・起訴され、東京拘置所に512日間勾留。2005年2月執行猶予付き有罪判決を受ける。2009年6月に最高裁で上告棄却、執行猶予付き有罪確定で外務省を失職。2013年6月に執行猶予期間を満了、刑の言い渡しが効力を失った。2005年、自らの逮捕の経緯と国策捜査の裏側を綴った『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。以後、作家として外交から政治、歴史、神学、教養、文学に至る多方面で精力的に活動している。主な単著は『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、『獄中記』『私のマルクス』『交渉術』『紳士協定―私のイギリス物語』『先生と私』『いま生きる「資本論」』『神学の思考―キリスト教とは何か』『君たちが知っておくべきこと―未来のエリートとの対話』『十五の夏』(梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞)、『それからの帝国』など膨大で、共著も数多い。2020年、その旺盛で広範な執筆活動に対し菊池寛賞を贈られた。

判型違い(文庫)

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